サザンオールスターズ、なぜ他の追随を許さないポップミュージックであり続ける? キャリアにおける“変化と一貫性”を考察

 SpotifyとFM COCOLOによる『ArtistCHRONICLE』サザンオールスターズ特集に、監修という立場で関わらせていただき、この偉大なバンドの歩みや魅力について、改めて考えるよい機会となった。

 ただ、僕が関わったのはあくまで骨子の部分であり、実際に番組を深く楽しく届けてくださったのは、FM COCOLOの優秀なスタッフの方々である。

 また、全4回の後半2回に関しては、サザンオールスターズの楽曲制作やライブに欠かせない重要ミュージシャンの方々からの証言が、より一層、プログラムの価値を高めたといえる。

 今回、番組を構成するにあたり、いくつかテーマがあった。この原稿では、そのあたりを書こうと思う(なお、必ずしも全4回の内容に則した書き方ではないことをお断りしておく)。まずはやはり、今さらながら、このことだ。サザンオールスターズの、一体どこがすごいのか?

 まず言えるのは、彼らが長きにわたり、サザンという屋号を、汚すことなく守り続けてきた点である。そのために、上手に休息も取ってきた。ファンの方はご存じだろうが、これまでも、メンバーのソロ活動を優先した時期が何度かある。

 でも、流行り廃りが激しい音楽シーンにあって、休めば忘れられる危険が大きくなる。そして、もし再始動しても、過去の栄光に縋りつけば、単なるリバイバルとみなされてしまう。

 ここからがサザンのすごいところ。再始動に際し、必ず時代の突端に追いつく斬新な新曲を世に問うてきたのが彼らである。10周年を期に再結集したときの「みんなのうた」も新鮮だったし、1年半のインターバルのあと1995年に発表されたのが、あの「マンピーのG★SPOT」なのだった。さらに、今回の「盆ギリ恋歌」も同じだろう。

サザンオールスターズ - 盆ギリ恋歌 [Official Music Video]

 それを可能とするのが、桑田佳祐のソングライティングだ。次に、桑田のどこがすごいのかを考えてみよう。その前に、あることに気づいた。

 彼はJ-POPに多大な影響を与え続けているが、フォロワーというのが見当たらない。彼のように幅広く、社会問題からエロまで歌にできる人間は、他にいないのである。でも、なぜ彼には可能なのだろう。そこにはこのヒト特有の、「振り子運動」があるのだ。

 大衆性のある作風があったかと思うと、次は振り子が逆に動き、アバンギャルドなこともやってのける。もっとも振り子が大きく振れた瞬間は、1999年の「イエローマン〜星の王子様〜」から2000年の「TSUNAMI」に至るあたりだ。大胆で過激な前者をリリースしたあと、永遠の名バラードを世に問うてみせた。こうした局面は、この45年間、他にも様々、起こっている。サザンオールスターズのみならず、桑田のソロ名義とサザンの楽曲の間でも。

 今年でいえば、「盆ギリ恋歌」と「Relay〜杜の詩」がそうかもしれない。タイやインドネシアの音楽も取り込みつつ新たな日本の盆踊りミュ−ジックを確立させた「盆ギリ恋歌」と、(ひとつ「歌えニッポンの空」という作品を挟んだものの)拙速な神宮の杜の再開発に関して、もう少し時間をかけて話し合ってはどうでしょうと歌う「Relay〜杜の詩」では、がらりと作風が違うわけであり、まさに振り子運動と言えるのだ。

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