CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN、「都内の路上にて曲を作る」動画が話題に バンド結成から無二の音楽性まですべてを語る
とても素敵な若き3人組を紹介したい。彼らの名は、CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN。読み方は、「チョコパコチョコキンキン」。「覚えづらそうな名前だ」と思われるかもしれないが、何回か口に出してみれば思いのほか覚えやすいので、ぜひ、口に出して、この名を呼んでみてほしい。
小学生時代からの幼馴染がコロナ禍で再び集まり、夜な夜な遊び始めたことが始まりであるという彼らの音楽や映像には、とても切なくて幸福な空気感が濃密に漂っている。遠い異国に思いを馳せることと、自分の記憶を掘り起こしながら何かを思い出そうとすることが、「今」という刹那の中で重なっている。そのリズムやメロディは甘く快楽的といえるが、そこには、コロナによって様々な楽しみが奪われてしまった状況の中でも、能動的で手作りな創作活動を通して、喜びや楽しみを作り出してきた若者たちの、力強い生命力が宿っている。6月のはじめにウォン・カーワイの同名映画をモチーフにしたという楽曲「花様年華」がデジタルリリースされたが、他にも彼らには魅力的な楽曲がたくさんある。そうした楽曲を集めてリマスタリングした作品集も、近いうちにリリースされる。
メンバーであるDaido(作曲/映像)、Yuta(Ba)、So(サウンドエンジニア/DJ)の3人に取材をさせてもらった。基本的な成り立ちから音楽的なコンセプトなどを聞いた。(天野史彬)
小学校4年生で結成、1年で解散もコロナ禍に再集結
——まず、CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINがどのように始まったのかを伺いたいです。プロフィールには、「小学校4年生で結成。全員がギターだったため小学校5年生で解散」とありますが。
Daido:この3人は小学校が同じなんですけど、今チェコでバレエダンサーをやっているもうひとりの友達も含めて、THE TIMERSに憧れて、下ネタばっかりの曲を作っていたんです。それが小学校4年生の頃で。当時、そのバレエダンサーになった友達がギターを買ったので、僕らも焦ってギターを買って。
Yuta:で、全員がギターを買うという。
Daido:(Yutaに)「ベースやれ」って言ったんですけど。
Yuta:ギターのほうがかっこいいですから(笑)。
Daido:完成はしていないけど、一応、4、5曲は作ったんです。でも、バンドは5年生で自然消滅しました。
——今時、小4でTHE TIMERSって、かなり珍しいというか、早熟な感じがします。
Daido:バレエダンサーの彼が早熟だったんです。そのあとに、もう一度みんなで集まってCHO CO PAが始まったのも、コロナの時期に彼がチェコから帰ってきたことがきっかけで。その呼びかけで集まって、毎晩みんなでスケボーしたり、ドライブしたりしていたんですよね。でも、その彼がバレエ団のマネージャーに「帰ってこい」と言われて、チェコに帰ることになったんですよ。で、フライトの前夜に「曲を作ろう」と彼が言い出したんです。それが(バンドを再結成した)始まりです。なので、今は言い出しっぺ不在で頑張っている感じです。
——小学生の頃から仲がいいんですね。
Daido:でも、世の中がコロナ禍になるまでは、あまり会っていなかったんです。会っても年に2、3回くらい。みんな大学も違ったので、それぞれ別のところで遊んでいて。だけど、コロナで外に遊びに行けなくなって、「地元なら」ということで毎日集まってました。
——そのフライトの前夜に作られた曲は、今、何かしらの場所で聴くことはできるんですか?
Daido:クオリティが低すぎてYouTubeからは消しちゃったんですけど、SoundCloudにはあるかもしれないです。「End of July」という曲で、7月の終わりに作ったんです。
——その曲を作って以降、自然と音楽を作る活動を続けていこうとなりましたか?
Daido:そうですね。夜中にみんなで集まって、外で曲を録って、完成した曲を聴きながら帰る。それが個人的にはめちゃくちゃ楽しくて。「もう1曲、もう1曲……」とやっているうちに、今まで続いてきた感じです。
Yuta:本当に、友達との遊びの延長みたいな感じです。最近、ようやく「これ、お金になるかも」と意識し始めたんですけど(笑)。
Daido:半年くらい前から、「これ、お金にしてみよう」となりました(笑)。
Yuta:でも、「遊びの延長」という部分は変わらないです。
——「お金になる」と意識し始めたのは、TikTokなどで広がったことがきっかけですか?
Daido:いや、「お金になるかも」と気づいてから、TikTokを(笑)。
——なるほど(笑)。プロフィールには、「メンバーのひとりが中南米音楽に傾倒し、キューバのハバナ大学に留学」とありますが、これはどなたですか?
Daido:僕です。僕らが中学生か高校生の頃に『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス』が上映されて、それをおばあちゃんと観に行ったんです。それがきっかけで、キューバを好きになりました。
——どういった部分に魅力を感じたんですか?
Daido:ノスタルジックな感じですかね。日本の昭和みたいな。
——Daidoさんは、ノスタルジックなものに惹かれますか。
Daido:惹かれるんだと思います。ノスタルジックなのに日本じゃない、というところに惹かれました。キューバって、家の前の道にテーブルを出してみんなで夕涼みをしながら麻雀をやっていたりするんですけど、おばあちゃんから聞いた昔の日本の景色とそれがリンクするなと思って。
——留学されて、現地で音楽を学ばれたんですか?
Daido:音楽がメインで行ったわけではないんです。どちらかというと、宗教やアニミズム的なものが好きで。サンテリアという宗教がキューバにあるんですけど、その宗教を研究する研究会がハバナ大学にあって、そこに参加していたんです。ついでにコンガの先生を見つけて、習ったりはしたんですけど。
——宗教やアニミズムに興味を持つきっかけはあったんですか?
Daido:昔から好きなんですよね。小学生の頃も“アバターごっこ”とかをよくやっていて(笑)。
Yuta:やってたねえ。
Daido:『アバター』に出てきそうな名前で呼び合って、木の上に登って(笑)。昔から、そういうものが好きでした。