コロナ禍に決意した“バンドで生きていく”覚悟 Atomic Skipper、メジャーデビューを経て届ける“真っ向勝負”の音楽
Atomic Skipperが、5月24日にメジャーデビューフルアルバム『Orbital』をリリースした。2014年に静岡県でバンドを結成した彼らは、“あなたと100%で向かい合う「真っ向勝負なロックバンド」”というキャッチフレーズを掲げ、真っ直ぐな歌詞とライブ映えするロックサウンドで認知を拡大。結成から9年、現体制になってから4年という月日をかけてメジャーデビューを掴み、現在のバンドの充実感と勢いを感じさせる本作を完成させた。
2019年、コロナ禍が始まった同時期にメンバー全員が仕事を辞め、音楽の道一本で進む決意を固めたという。そんな決意と前進する意志に溢れた『Orbital』の制作、メジャーデビューに対する率直な思いを聞いた。(編集部)
音楽に専念するために、全員が同時に仕事を辞めた(中野)
ーー神門さんのブログに「25歳までにメジャーデビュー出来なかったら、俺の才能の限りだと思って見捨ててくれと葉っぱをかけたのに、ついてきてくれたメンバー スタッフの皆、レーベル、そして自分にすごく誇りを持てた」とありました(※1)。メジャーレーベルへの所属にこだわらないアーティストもいる中で、Atomic Skipperはメジャーデビューを明確な一つの目標にしていたように感じるのですが、皆さんはメジャーデビューというものをどのように捉えていたのでしょうか?
神門弘也(Gt/Cho)(以下、神門):たしかにひとつの目標でした。僕も、今の時代にメジャーとインディーの垣根はあまりないとは思っていて。それでも、目標のない中でだらだらバンドをやっていても道筋が立てられないと思ったし、僕たちの場合は歌っている人と曲を作っている人が違うので(※楽曲の作詞作曲は主にギタリストの神門が担当)、僕が曲を作っていることに対する自分の責任みたいなものとして「25歳までにメジャーデビューする」とずっと言っていました。
ーー「25歳までにメジャーデビューする」という目標はいつから掲げていたんですか?
神門:何歳のときだ? 19、20くらい?
久米利弥(Ba/Cho)(以下、久米):うん、19、20くらいだったと思う。まさにブログに書いていたようなことを、当時から僕らにも伝えてくれていました。だから、僕たちもメジャーデビューという目標は漠然と持っていて。でも、僕はバンドを続けていく中であまりそういうことを考えず、がむしゃらに活動をしていた気がします。
松本和希(Dr/Cho)(以下、松本):僕も、メジャーデビューは目標ではあるものの、自分自身はがむしゃらに目の前のことをやっていくだけという感じでした。今は、メジャーデビューはひとつの節目であり、スタートラインだと思っています。責任もありますけど、楽しみですね。
中野未悠(Vo)(以下、中野):私も神門と同じ意見で。目標がないと下に流れていってしまうので、漠然とはしていても、メジャーデビューという目標を掲げることで、実現するために具体的なやり方を考えるようになったし、ひとつの目標でした。何よりも、メジャーデビューすると周りを安心させることができるのかなと思っていて。メジャーデビューって、おばあちゃんが聞いてもすごいことだということがわかるひとつの出来事だと思うので。そういう意味でも、メジャーデビューという目標はずっと掲げていました。
ーー実際、ご家族はメジャーデビューに対して何かおっしゃっていましたか?
中野:驚かれましたけど、喜んでくれました。家族には、バンドを続けるために仕事を辞めたタイミングで「縁を切る」くらいのことを言われていたのですが、なんだかんだずっと応援して支えてくれていて。だから「家族を安心させたいな」とずっと思っていたので、いい報告ができてうれしいです。
ーーAtomic Skipperの結成は2014年で、現体制になったのは2019年。現体制になってからバンドの勢いも増し、知名度もぐんと上がったように感じますが、皆さんはバンドのターニングポイントを挙げるとしたら何だと思いますか?
神門:“音源を出してツアーをする”という、バンドマンからしたら一見単純に見える行動の一つひとつがターニングポイントになっていたとすごく感じていて。例えば1st EP『KAIJÛ』(2022年1月リリース)は、コロナ禍でお客さんがライブでの声出しができない時期に全てシンガロングの曲にして。それに対して、去年の3カ月連続配信シングルリリースではシンガロングのない、勢いだけじゃない曲を突き詰めて作った。それらのツアーがあって、メジャーデビューを発表するツアー(『額縁の花ツアー』)を回って。そうやって、特にここ1、2年は短いスパンの中で新しいビジョンに取り組んでいたので、この先振り返ったときに、2022年という1年間はすごく大きなポイントになるんじゃないかなと思います。
ーー特にライブバンドはコロナ禍で楽曲やライブに大きな変化があったと思うのですが、コロナ禍で得たものを挙げるとしたら何ですか?
神門:結束力ですね。「これがやりたい」「これをやって生きていくんだ」という気持ちが、ピンチの状況になって、みんなの中でより固まったんだなというのを感じて。
ーー「これ」というのは音楽?
神門:音楽です。もともとは僕がDTMで作ったものをみんなに聴いてもらって、スタジオに入ってアレンジするという形でしたが、コロナ禍で2人(久米、松本)もDTMを覚えてくれて。そういうところからも、全員が「音楽で生きていく」ということに対して、すごく前向きであると感じました。
ーーコロナ禍ではライブができなかったりして、解散や休止をするバンドも多かったと思うのですが、その中でAtomic Skipperはコロナ禍で「音楽をやる」という気持ちが強くなったんですね。
中野:私たちは音楽に専念するために、全員が同時に仕事を辞めたのですが、そのタイミングがコロナ禍に入った瞬間だったから。それが良かったのか悪かったのかはわからないけど、「あとがなくなった」みたいな気持ちがあったので、みんな覚悟を決められたのかな。
神門:今回再録されている「ロックバンドなら」が完成したのもコロナ禍だったし。
松本:それこそ「ロックバンドなら」のデモが届くまでは結構ダラダラ過ごしていたんですよ。でも、「ロックバンドなら」のデモを受け取って「あ、これをエネルギーにしなきゃ」と思ってめっちゃスタジオに入るようになったので、すごく印象的でしたね。