【浜田麻里 40周年インタビュー】第4弾:度重なるレーベル移籍で芽生えた反骨精神 9年ぶりのライブ復活への想いや、9.11など社会不安が制作に与えた影響

「俯瞰して実感するのは“人生は呼吸だ”ということ」

――2005年2月にはバラードベスト第2弾『Sincerely II』がリリースされましたが、このタイミングで制作をした理由はありますか?

浜田:タイミングさえ合えばいつでも出したい気持ちでいたので、きっと「ここだ」って思ったんでしょうね。ダークめのロックアルバム『Sense Of Self』の反動もあったかもしれないです。『Sincerely II』はすごく気に入っていて。『INCLINATION』と『Sincerely』のシリーズはベスト盤に括られますけど、自分にとってオリジナルアルバムに近いもので、自分ならではの作品という感じもします。『Sincerely II』の完成度については、かなりいけたなっていう手応えがあって。でも、地味なリリースではありました(笑)。

――ちょうど会社の再編があった時期で、『Sincerely II』からはトライエムではなく、メルダックからのリリースになっています。その年には『elan』(2005年10月)もリリースされていますね。

『elan』

浜田:はい。『marigold』から『Sense Of Self』は、若干ダークな世界観だったと思うんですが、『elan』ではもうちょっとメジャー感を出そうと思っていて。メジャー感というのはコードとか、歌詞とかいう意味ですよ。「Fly High」とかね。自作曲もかなり増えて、情感系の自分の色がより出てきました。「Ilinx」や「Mayoi-boshi」は好きです。

――作曲に関しては大槻さんが半分ほど手掛けていますが、レコーディングはバンドメンバーを起用していくようになりました。

浜田:そうでしたね。『marigold』は『marigold』でよかったと思うんですけど、そこからどんどんプラスアルファで成長したアルバムにしたいという思いがあって、段階を踏んでいった感じです。音作りもUK的なサウンドに寄せたものから、本来の自分の好みの世界がまた台頭してきたというか。その前の『Sincerely II』の時点から、本間(大嗣)くんや増崎(孝司)くん、増田(隆宣)くんなどに参加してもらっています。『Sincerely II』には、武道館(2019年の『浜田麻里 The 35th Anniversary Tour “Gracia” at 日本武道館』)でもやった「Canary」もそうですし、「Ataraxia」や「Koi・uta」といったすごく気に入っている新曲が残っているんですよね。ライブではなかなかセットリストに組み込みにくいんですけど、いつかやりたいなと思うんです。この辺りから曲作りなどでも今に繋がるこだわりが、より一層強くなっていった感じはあると思います。作曲陣は藤井(陽一)くんの時代もそこそこ長かったですけど、共作するにしても、オケにメロディを乗せるだけではなく、アレンジの詳細な施しを自宅に篭ってするようになっていきました。

 そういう意味では、やり方は全然違いますけど、大槻さんが自宅スタジオを作って、DTM的なスタイルになっていったことにも多少感化されたと思います。布石にはなっているでしょうね。

――次の『Sur lie』(2007年3月)はどうでしょう?

『Sur lie』

浜田:何となく徳間時代の作品の中で地味に感じるかもしれないですけど、自分としては、アメリカにまた行き始めて、その後のメインドラマーとなったグレッグ・ビソネットに出会って。

――グレッグはここで初めてレコーディングに参加していますね。

浜田:はい。アメリカでのレコーディングが復活して、ライブバンドに対しても、レコーディングとの繋がりを少々意識し始めました。その頃はもう完全に1人でアメリカに行って、すべて自分でやることが当たり前になりました。『Blanche』の頃もアメリカでほぼ1人でしたけど、ビルとのミックス作業では私の専門知識がまだ足りないところがあったので、ビクターのエンジニアに来てもらったりしていたんですね。親しいビクターのエンジニアは何人かいて、代々でアメリカに来てもらってたんですけど、もうそれがなくても大丈夫になって。よく話しますけど、だいたい私に関わるスタッフって、その後に売れるんですよね(笑)。今は超多忙のエンジニアばかりで。全員とは言わないですけど、成功した人たちの売れ方がみんな半端ないというか。

――B'zの松本孝弘さんをはじめとして。

浜田:そうですね。マイク・クリンクもGuns N' Rosesのプロデュースで売れたり。増崎くんも、原(一博)くんもそうですね。

――原さんは作曲家としてのみならず、キーボディストとして一時期ツアーにも参加されていましたね。

浜田:マニピュレーターとしての付き合いが先なんです。最初は「Forever」のレコーディングだったと思います。その後にツアーにも参加してもらい、私が彼の才能に気づいて、作曲をお願いするようになったんですよ。今はavex系アーティストとか、そのあたりの曲をいっぱい書いてるみたいですね……私がみんなに運を全部あげてるんだと思います(笑)。

――今度は麻里さんがもらわなきゃいけませんね(笑)。このときグレッグ・ビソネットはどういう経緯で起用することになったんですか? 以前から目星をつけていたわけですよね。

浜田:たぶん、ビル(・ドレッシャー)の提案だったと思うんですけど、その前にもお会いしたことがあったんですよ。当時彼はデイヴィッド・リー・ロスのバンドの一員だったので、どこかのクラブで同席したときに紹介してもらって。みんなが「凄いドラマーだよ」と言ってたんですけど、彼との出会いも大きかったなと思います。

――アルバムセールスについてはどう感じていたのでしょう?  これまでヒットチャートの上位にいた麻里さんの作品ではありながら、この時期には、そこにはまったく届かない下位にありましたよね(『Sur lie』はオリコンチャート93位)。ファンとしても歯痒いですが、ご本人が一番それを痛感していたのではないかと思うんです。

浜田:チャートのことを言われると、やっぱり歯痒いの一言になっちゃうのかな(笑)。ただ、自分にとっての作品の質とは関係のないこととも言えますね。そのときの参加メンバーとのやり取りだとか、曲ができたときの達成感とか、ミックスでのこだわりとか、そういうことで作品を記憶しているんです。チャート自体はタイミングや業界での扱われ方次第なところも大きいので、当初の順位だけで全てがわかるわけではないんですけれどね。当時、このくらいの規模でのささやかなリリースなら、このぐらいの数字というのは、発売される前からわかっていることなので、それも踏まえた上での活動だったわけです。

 作品に対する自信があり、信頼できる良いスタッフがいて、日々が落ち着いているなら、それ以上多くのことを望まない時代があってもいいと私は思います。極端に言うと最初のチャートなんて、どういう体制、どういう会社に属し、誰が協力しているのかで決まってくるようなものですから。でもそれが、本当のヒットに繋がるかどうかはリスナーの皆さんの手に委ねられています。だから、いつかはビジネスとしても、周りに還元できる時期が来るだろうと考えていました。もちろん満足していたとは言いませんけどね。その後に、徳間ジャパンにも少しお返しできるようになったので、結局、(2016年リリースの『Mission』を最後に)徳間からビクター(エンタテインメント)に戻ることを決断しました。

――かなり悩まれた上での選択だったことも聞いています。

浜田:はい……。人よりも多少起伏の激しいこれまでの人生を俯瞰して実感するのは、「人生は呼吸だ」ということなんです。息を吸い込んで高いところまで登りつめる時期が終わったら、自然に息を吐く時期が訪れる。吸い込む、吐き出す、その繰り返しです。吸い込むだけでは苦しくなり限界が来る、そして、吐き続けることもできないのだと思います。人生ってその呼吸を楽しむものなんじゃないでしょうか。

――なるほど。話を『Sur lie』に戻すと、たとえば「Heartbeat away from you」は代表曲となって、皆さんにすごく好まれている曲ですよね。

浜田:どんなに売れたアルバムであれ、マイナーで不発と言われてるアルバムであれ、曲は1人歩きして残っていくものですから。

――個人的には「Blue Water」も印象深いです。余談ですが、「Blue Revolution」「Ash And Blue」など、“Blue”がつくものに名曲が多いのかもしれません。

浜田:「Blue Water」もすごく好きなんですけど、確かに私、“Blue”って多いですよね。語彙力が少ないんでしょうけど(笑)。

――いえ、そういう話ではありません(笑)。

浜田:自分自身を表現するベーシックな言葉なんでしょうね。リスナーの皆さんの中のイメージにもすんなり馴染むと思うので。“Blue”で思い出しましたけど、自分がつけたタイトルではないにせよ、(デビューアルバムに冠された)“Lunatic”という言葉にしても、やっぱり“月”っていうイメージは自分にすごく近い気がしますし、その後も月を題材にした曲は多いんですよね。つい使ってしまう言葉というか。

浜田麻里「Blue Water」

――なるほど。

浜田:『marigold』や『Sense Of Self』に比べて、『Sur lie』からは自分の中で若干アルバムイメージが明るくなってますね。とはいえ、“Sur lie”というのは、澱(おり)をわざと溜めて、上澄みだけ取るというワインの醸造方法のことなんですが、そういうタイトルをつけるということは、自分の中でドロドロしたものはきっとまだあったんだと思います(笑)。

――そうですね。明るい作品とまでは言いませんが、一連の作品の流れで聴いてくると、すごく軽やかな気がします。

浜田:撮影に関しても、友人の女性カメラマンと一緒にアメリカに行って撮る流れが生まれて楽しくなりました。それもきっと、外に外にっていう気持ちになってたからなんでしょうね。『Sur lie』のジャケットの写真は、マリブビーチで撮りました。最初の渡米のときのマリブビーチは遠かったけれど、その頃には慣れていました(笑)。

――『Sur lie』の発表に伴うツアーも盛況に終えた後は、デビュー25周年の一環で企画された『Reflection -axiom of the two wings-』の制作が始まります。次回はそこからお話を聞かせてください。

※1:https://realsound.jp/2023/03/post-1285913.html

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