上田剛士、10代の原点と向き合うことで再確認した自分らしさ THE STALINからYMOまで、初のカバーアルバムを語る
コロナ禍に生まれたAA=の『story of Suite #19』(2021年)は、上田剛士のキャリアにおいて特別な質感の一枚となっていたが、続いて届く新作はさらに意外性が高い、同時にとんでもなく熱い内容である。『TEENAGE DREAMS』と名づけられた初のカバーアルバム。THE STALIN「STOP JAP」、あぶらだこ「PARANOIA」、シーナ&ザ・ロケッツ「ユー・メイ・ドリーム」、Sex Pistols「Bodies」など、上田が愛してやまなかったパンク/ロックンロールの名曲たち。あえて渋めのチョイスをせず、名曲中の名曲を真正面から受け止める手法も素晴らしく潔い。これまでカバー自体に積極的ではなかったという上田が、この制作を経て気づいたこと、そしてバンド活動に向かう時期に感じていたこと。知られざる時代を語ってもらった。(石井恵梨子)
「自分の元になっているものがここにある」
一一大興奮の一枚でした。初めて剛士さんの音楽に出会った中学生の頃に引き戻されるような感覚もあって。
上田剛士(以下、上田):あぁ、世代的にはそうだよね。でも原曲も知ってるでしょ、だいたい。
一一もちろん。後追いで夢中になった曲がほとんどです。これは剛士さんにとってはド真ん中?
上田:そうですね。中学生、高校生ぐらいの時に好きだった、影響を受けたものが中心です。
一一まず、このカバー企画はどこから始まったんでしょう。
上田:ちょうど2年前、自分のメジャーデビュー30周年で、その時に「ちょっと変わったこと、いつもと違うことやろうか」っていう話があって。その時に出てきたアイデアのひとつ。なんだけど……結局ダラダラ作ってたらいつの間にかこの時期になってた。ちょうどコロナの時期でもあったし、自分で違う作品を作りたくて、そっち優先でやってたから。ただ、同時にこれもなんとなく手をつけてて。だから気持ちとしては30周年記念ですね。
一一前作『story of Suite #19』と並行して作るって……だいぶテンションが違いますよね?
上田:そう(笑)。一曲だけ楽しんで作ってみては「こんなのいつか形になるのかな?」くらいの感じ。最初はできるのか自分でも半信半疑で。今まで、10代の頃からカバーってあんまりしたことなかったから。
一一以前、THE STALINとBUCK-TICKのトリビュートアルバム(2010年の『ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜』、2012年の『PARADEⅡ~RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK~』)に参加した時に、「カバーなら完全に自分の音に作り変える。そうじゃないと意味がない。原曲に忠実にやるんだったら原曲を聴くほうがいい」と発言されていた記憶があります。
上田:はいはい。でもね、それは今も思ってる。原曲のほうがいいです。そこはもう変わらず。だから、どっちかって言うとこれは趣味です。
一一趣味!
上田:いざやってみて、俺はすげぇ楽しかったけど、作品にしていいのかどうか、みたいな。もちろん自分なりのものにはなってると思うけど、特にアレンジを変えることも多くはしていないので。だから……趣味(笑)。楽しんで遊ばせていただいたっていう感じです。それで、原曲を聴いてください、っていう。
一一メンバーはどんな反応でした?
上田:これはドラムがYOUTH-K!!!、ギターが(児島)実で、二人にはほぼ全曲に参加してもらって。実は同級生だからもう一緒ですよね。どの曲も「泣くわ、懐かしすぎる」って。でもYOUTH-K!!!はほとんど知らない。特に彼はメタルばっかり聴いてる子なんで「デッケネ(Dead Kennedys)しか知らないっす」みたいな感じ。
一一今わかったけど、「TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE!)」に出てくる〈METAL-san!〉は彼なんですね。
上田:そう。もともとの歌詞が〈Papa-san!〉だから。細野さんのことかな。
一一歌詞を変える遊びはありつつ、ほとんどが原曲に忠実な作りで。改めて、当時の音楽から何を感じ取りましたか。
上田:いや、もう、自分のベースは本当にここにあるなってことですね。元になってるもの。人間変わんないっすね、みたいな感じ。
一一パンクロックとの最初の出会いって何でした?
上田:なんだろう……まず音楽的な流れで言うと、小学生ぐらいの時にYMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)が流行って、好きでよく聴いていて。そこから坂本(龍一)さんと(忌野)清志郎さんが一緒にやった「い・け・な・いルージュマジック」を知って、さらにRCサクセションっていうものがあると知って。で、髪の毛を立てたりしてたから「これがパンクなのかな?」みたいな感じ。そこからいろいろ聴いてくうちにTHE STALINに辿り着いて「あっ、これだ!」と。だからTHE STALIN、(遠藤)ミチロウさんは俺の中でアイドルですね。そこにどっぷりハマってこの世界に来た感じです。
YMO「TIGHTEN UP」の選曲理由は“パンク精神”
一一ほぼ納得の選曲ですけど、意外だったのはThe Cure「In Between Days」ですね。
上田:あ、そうですか?
一一今まで剛士さんの音にThe Cureはあまり感じたことがなくて。
上田:でも好きですね。The CureはいわゆるMTV的なもので流れていて好きになったから、そういう意味では非常にメジャーだけど、でも自分の中でパンクだったというか。当時の流れで言うとパンクもニューウェイヴも基本的に一緒なんですよね。ロックンロールっぽいパンクか、もっと変なことをやっているパンクか、みたいな感じ。The Cureもその流れのひとつで。
一一さらに、サウンドも含めて異質なのがYMO。それでも今の話からすると大事な原点なんですね。
上田:そうです。最初、いわゆる歌謡曲ではない音楽の第一歩目。バンドサウンドって言うのが正しいのかわかんないけど、最初にハマって好きになったものでしたね。
一一どのあたりが魅力でした?
上田:いやー、わかんない。かっこよかったんですよ。今聴いてもちょっとびっくりするくらいかっこいい。音もすごいし。やっぱり音の持つエネルギーですかね? もちろんシンセの音が好きだったこともあるんです。当時は新しく出てきたサウンドで、それがロックというかバンドに合わさっているところに惹かれたんだと思うけど、今聴いても抜群にサウンドがかっこいいんで「そりゃあ好きになるよね?」って感じです。どれもそうなんですけどね。音に説得力がある。
一一YMOは世代を超えて、うちの娘もハマってます。なんで選曲が「TIGHTEN UP」なんだろう、って言ってましたけど。
上田:ははははは! そうだよね。普通これ選ばないよね。
一一THE STALINなら代表曲は「STOP JAP」。その流れで言うと、YMOなら「Rydeen」とか「東風」あたりかと。
上田:そうそう。「東風」は前にリミックスでやらせてもらったことがあって(『YMO REMIXES TECHNOPOLIS 2000-01』)。あと「SOLID STATE SURVIVOR」は前のバンド(THE MAD CAPSULE MARKETS)の時にカバーしたことがあったので。その流れで同じようなもの、同じような気分でやるのはアレかなと思って。「TIGHTEN UP」は、単純にあのベースのフレーズを自分で弾いてみたかった。
一一あぁ、わかります。
上田:あと当時「TIGHTEN UP」って、YMOが「Rydeen」とかでブレイクして、ピコピコサウンド、テクノカット、みたいなイメージの中、突然出たシングルだったんですよ。みんな最初は「あれ? 何これ?」ってなるんだけど。その後の『増殖』も、もう一個のYMOらしさ一一面白さとか、ユーモアだったりシニカルだったりが表れた作品で。ピコピコ全盛期にあえてこれを出してくる凄さ。言うなれば商業主義に乗らないというか、あれだけメジャーの世界にいる人たちが、自分たちのやりたいことをやっている。それはパンク精神と言われるものと同じだったと思うし。だから一個の象徴のような気がしますね。それで「TIGHTEN UP」を選ぶのがいいんじゃないかと思ったし、選ぶなら言葉も自分らのものに変えよう、と。「怒られっかもしれないけど、やっちゃえ!」みたいな感じでしたね。OK出てよかったです。
一一原曲と比べると、剛士さんのベースって異様なくらい歪んでいるのがわかります。今さらの質問として、これって理由はあるんですか?
上田:あの……すごく明確な理由があるわけじゃないんだけど。自分が当時使ってた、どこのメーカーだかわからない中古の安物、ちっちゃいアンプがあったんですよ。それはギターアンプなんですね。ベースアンプとギターアンプの区別もわからない時期に買ったから。で、繋ぐと、ギターアンプなんで単純に歪むんです。その音がすごく好きだったんだけど、実際スタジオに行ってベースアンプで弾くと全然違う。「なんか、こっちのほうが好きだな」みたいな。それが一番最初ですね。自分のベースの原点。
一一間違いから生まれていたと。
上田:そう、それに近い音を探していくうちに、ドライブっていうツマミのあるベースアンプが好きなんだってわかってきて。そこからです。