小田和正×水野良樹(いきものがかり)、世代を超えた関係性 HIROBAが『クリスマスの約束』から受けた影響とは?

小田和正×水野良樹の関係性

 いきものがかり・水野良樹と小田和正の対談が実現した。

 水野良樹主宰のプロジェクト・HIROBAが第一弾シングルとして2019年4月にリリースした「YOU (with 小田和正)」においてコラボレーションを行った両者。同曲も収録されたフルアルバム『HIROBA』のリリースを経て、改めて二人の出会いから、音楽特番『クリスマスの約束』(TBS系)での「委員会バンド」の経験など、世代を超えた関係性について語ってもらった。(柴那典)

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『クリスマスの約束』への出演はデビューしたとき以上に“夢が叶った”瞬間

水野良樹(以下、水野):自分がHIROBAを始めたのは、小田さんに『クリスマスの約束』に呼んでいただいて、参加させていただいたのがきっかけなんです。しかも長いこと、毎年冬になるとスキマスイッチのお二人と(根本)要さん(スターダスト☆レビュー)と小田さんと5人で(委員会バンドを)やらせていただいて。小田さんになることはもちろんできないし、なろうとも思わないんですけど、この『クリスマスの約束』を自分なりに表現するならどういうものになるだろうと考えて。曲を作る中で、今まで会ったことのない人、全然違う人に会ってみよう、繋がってみようと思ってHIROBAをやってるんですけど――。

小田和正(以下、小田):どう?

水野:楽しいです。

小田:楽しいよな。結果が残るから。

水野:はい。『クリスマスの約束』をやられてきて楽しいと思うことや、小田さんにとっての意義はどういうところにありますか?

小田:なんだろう。やってるときは大変だけどね。でも、振り返ったときに、頑張ったアーティストたちみんなの笑顔もあるし、スタッフたちも喜んでるし、「ああ、やってよかったな、できてよかったな」という気持ちがあるね。毎回、僕の中では奇跡に近いことができたと思っていて。みんなが頑張ってくれたっていう。そもそも個人戦よりも団体競技が好きだから、みんなで掴んだ勝利というものがたまらなく好きで。僕にとって『クリスマスの約束』は団体戦だということをもっとうまく表現できればいいんだけど、なかなかそういう器量もないし、結局、自分が曲を選んだり、自分の曲をみんなに歌ってもらったりすることになっちゃった。団体戦を上手く表現できたのがメドレーのとき(2009年に披露した「22分50秒」、2011年に披露した「28分58秒」)で、「ああ、こんなことができたな」って。

水野:あれは一生忘れられないです。

小田:だから団体競技を戦うには格好の場なんだね。みんなもそういう気持ちになってもらわないとって思ってる。ついつい「小田さんのお手伝いをしている」っていう風になりがちだけど。でもとにかく、みんなに感謝してますね。

――小田さんから見たいきものがかりの第一印象や、最初に会った時の記憶はどういうものでしたか?

小田:ほぼ、こういう人なんだろうなという枠の中には概ね入っていたのかな。ただ、会う前だから、若い人たちってやっぱり気難しかったりするのかなと思って、最初は気を遣った記憶があります。どんな人たちなんだろうって。(『クリスマスの約束』で)「SAKURA」を歌ってもらおう、さらに本人たちがよろしければ絡んで演奏しよう、とにかく会ってみようと。そしたら、とても素直でいい人たちで。ただ、今でもよく言うんだけど、(冒頭の)「♪電車から〜」って、もうちょっとテンポが早くてもいいのかなって思ったんだ。それで(吉岡)聖恵ちゃんに「もうちょっと早くなるってことを考えられる?」みたいに言ったら「このままがいいです」って即答で。「あ、いいんだね、じゃあ忘れて」って。それをすごく思い出すんだよね。余計なこと言ったなと思って。

水野:(笑)。本人は覚えてないらしいですよ。ただ小田さんにテンポをちょっと上げた方がいいんじゃないかって言われたのに即答したと聞いて、僕らは逆に大丈夫だったかな? って思ってました。

小田:失礼なことを言ったなと思って、いまだに後悔してるんだけど。でも何しろ喜んで出ますっていう一言はとても嬉しかったね。

水野:吉岡が音大の歌の練習に疲れて、いきものがかりをやりたくないって言っていた時期が1年間くらいあったんです。その時にちょうど『クリスマスの約束』が始まって、それを学生として観ていたんです。自分はこのステージに立てるくらいになりたいのに、今何もやってないっていうことがすごく辛くて。

小田:焦ってた?

水野:焦ってました。その印象があったんで、デビューした年に「どうやら小田さんが『SAKURA』を気に入っているらしい」とレコード会社の方から聞いて、最初は信じられなくて「嘘だ」って思ったくらいで。だから、あのステージに立った時は、気持ちとしてはデビューしたとき以上に“夢が叶った”という瞬間でした。小田さんが構えていて、今から「SAKURA」を3人で歌いに行く、ステージに上がる階段を今でも覚えてます。それくらい特別な時間でした。

小田:2006年だから17年前か。すごいよね。

――小田さんとしては、そこから時を経て水野さんに対して印象が変化した部分や、番組の制作を重ねる中で新たに見えてきた部分はありますか。

小田:そういう部分もあるけど、主には『クリスマスの約束』を一緒に作っていく仲間だったね。そういう印象の方がむしろ強いな。もちろんヒットを重ねて、『紅白』にも出て、オリンピックのテーマ曲を書いて、見事に王道を行って。でも「水野、それはともかく『クリスマスの約束』は頑張ろうな」という感じですかね。

――そういった仲間のような関係を下の世代のミュージシャンと築いてきたことは、小田さん自身にとっても得るものはありましたか?

小田:それはもちろんそうだね。若い人と知り合うと、いろんな局面で時流の中にいて、みんなの会話を聞いていても「こういう感じなんだな」って思ったりする。番組をやることによってそういう機会ができたということと、やっぱり一緒に作り上げるというのが大きいね。そこは若いとかそういうことよりも、ミュージシャンとして夢中でコラボしたという。ちょっと押しつけすぎたかなという反省もあるけど、よくやってこれたなと思うよね。

水野:僕はもう、いろんな景色を見させてもらったし、得るものばかりですね。小田さんが「仲間」という言葉を使ってくれましたけど、ことあるごとに「みんなの『クリスマスの約束』にしたいんだ」ということを強くおっしゃっていて。どうしても小田和正という存在に僕らが甘えてしまう瞬間もあるし、そこについていきたいと思う瞬間もあるんですけれど、自分の中では、もっと自立して、小田さんに頼るんじゃなくて、『クリスマスの約束』という番組に自分たちなりに貢献しなきゃとか、番組を離れて音楽を作るときにも何か貢献しなきゃという気持ちにさせてもらえる。そういう励みをもらえるというのは、この十数年間で何度もありました。

――いろんな景色を見させてもらったということですが、たとえばどういうものがありますか?

水野:2009年に「22分50秒」というメドレーをやったんですけれど、その時は小田さん以外のほぼ全員が「これは無理だろう」「これは実現できないんじゃないですか」と、言っていて。だけど小田さんはその景色が訪れることを信じて旗を振っていたんです。そうするとだんだん僕らも「これを実現するためにはどうしたらいいんだろう」と意識が変わっていって。実際、曲が終わった瞬間のステージ上の興奮だったり、会場の盛り上がりだったり、本当に見たことのない景色をそこで見させてもらったんですよね。諦めちゃいけないということとか、一瞬見えた景色を追いかけることの大切さとかを身をもって経験させてもらった。この十数年間の『クリスマスの約束』での経験は、財産以外の何ものでもないと思います。

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