相川七瀬が大事にする“静”の表現 「できる限り長く楽しく歌っていきたい」これからに向けた展望も語る
相川七瀬が、1月25日にニューアルバム『中今』をリリースした。今作は2013年にリリースされたアルバム『今事記』の続編にあたる作品で、“相川七瀬=激しいロック”だけではない“静”を表現したものとなっている。雅楽とのアレンジを取り入れたリード曲「むすんでひらいて」や約20年の時を経て作品として収録された「永遠の糸」、ROCK STARSTEDY名義で2011年にリリースされた楽曲のセルフカバーである「Crystal Heart」などを収録。アルバムタイトルが表す通り“今”を大切にした作品を通して、これからのキャリアへの展望についても語ってもらった。(編集部)
変わりゆく世界の中に、いち歌手として存在している
――デビュー以来、ロックを軸に活動を展開してきた相川さんが2013年2月にリリースしたアルバム『今事記』は、そのパブリックイメージを覆す穏やかで優しさに満ちた楽曲群が収録されていたことで大きな話題を呼びました。当時、あのアルバムについて「つぼみのようなアルバムでもあると思うから、どんな花を咲かせていくのか」とおっしゃっていましたよね(※1)。あれから丸10年が経った今、「今事記」はご自身にとってどんなものをもたらしてくれたと感じていますか?
相川七瀬(以下、相川):振り返ると、『今事記』に収録した楽曲に支えられた10年だったなと思うんですよね。それ以前に出してきた「夢見る少女じゃいられない」(95年リリースのデビューシングル)や「恋心」(96年リリースの5thシングル)のような曲ももちろん大事なんだけど、ここ数年はライブハウスやコンサートホールではない静かな環境でもパフォーマンスする機会をたくさんいただいていたので、そういったときには『今事記』からの曲をセットリストに組み込むことがすごく多かったんです。そうすると「あ、相川七瀬はこういう曲も歌うんだね」と思ってくださる方も増えて、結果として私の中にある違った表情がゆっくりと浸透していったというか。“相川七瀬=激しいロック”だけじゃないイメージをみなさんに理解していただくベースを作れたのは『今事記』があったからこそだと思いますね。
――相川さんの中にある“静”と“動”、それぞれの側面がバランスよく表現できるようになった部分もあったでしょうし。
相川:そうですね。『今事記』を出したときは、ファンの人たちも「この人はいったいどこへ行くんだろう?」「ロックはもうやらないの?」って思われていただろうなと(笑)。そもそも昔から私の中には“静”と“動”がずっと同居していたし、どちらかを捨てることは絶対にできないものでした。織田(哲郎)さんが書いてくれるバラードが私は大好きだったし、静かな曲にも昔から力を入れてきていました。年齢を重ね、子供を持って母親になったことで、今まで以上に大きなテーマの曲を歌っていきたい気持ちが強くなってきて。その過渡期に出したのが10年前の『今事記』だったんですよね。ある意味、あのアルバムを作れたことで、ようやく自分のこれから先の歌いたい世界の入口を見つけることができた感覚もあったと思います。
――『今事記』以降は、ロックな楽曲で“動”の相川さんの姿もしっかり見せてくれていましたし、2020年にはデビュー25周年も迎えられて。そこから『今事記』の続編となる新作『中今』に至るまでにはどんな感情の動きがあったんでしょうか?
相川:本当は25周年のタイミングでロックなアルバムを作りたい気持ちがあったんですけど、その時の自分の心の中にはロックな楽曲に乗せたい言葉が全然見当たらなかった。でも、25周年が終わったときになんだかすごく吹っ切れた感覚になって。私は過去の自分を大事にしながらも、ここから50代、60代に向かってキャリアを重ねていくんだなっていう気持ちにスッとなれた。それで、去年のツアー中にデモテープなどストック曲を聴き返したりしているうちに、徐々に今の自分として形にしたいものが見えてきたんですよね。その中で1番大きなきっかけになったのは、去年の7月7日の朝に「むすんでひらいて」という曲ができたこと。その瞬間、「この曲はすぐリリースしよう」「『今事記』のシリーズとなるアルバムを作ろう」という気持ちになったんです。
――『今事記』や『中今』のような作品は、導かれるように生まれるものなのかもしれないですよね。
相川:私もそう思います。若い時のように作品を量産することができないので(笑)、何かしらの意味やストーリーがあり、自分自身が歌い継いでいきたいと心から思うものこそを残すべきだなと。しかも今回は奇しくも『今事記』から10年経ったタイミングでもあるので、『今事記』がそうだったように、ここから10年の歌手生活を支えてくれるようなアルバムにしたいという気持ちもありました。そういった意味では、“未来への自分への手紙”みたいな感覚なのかもしれません。
――以前、2011年の東日本大震災をきっかけに「ことのは」という曲が生まれたことが『今事記』制作に繋がったとおっしゃっていました。それを考えると、ここ数年の世界的な情勢が『中今』を編む後押しになったところもあるのかなと思ったのですが。
相川:確かにそれもあったと思います。コロナのパンデミックがあり、ウクライナのことがあり、日本では安倍(晋三)さんのことがあって。そこで感じた今までと違う世界が変わっていくような感覚は、2011年の東日本大震災に直面したときの感情とリンクしていた部分がありました。そういった変わりゆく世界の中に私は今、いち歌手として存在しているんだということを強く実感したことが、アルバムタイトルの『中今』という言葉にも繋がっていきました。
――タイトルに込められた“今、この一瞬を大切に生きる”という思いは、今作はもちろん、前作の『今事記』にも通底するものですよね。
相川:人間っていうのは変わっていくものだと思うんですよ。5年前と今の私はもちろん違うし、もっと言えば昨日と今日でも違う私になっている。そう考えれば、今この瞬間を生きている自分が1番若くて、1番アクションを起こせるわけじゃないですか。だからこそ人間は今をちゃんと大事にしなければいけない。その思いは50歳を目前にリアリティがより増してきているので、人生の午後の時間をどう楽しく、豊かなものにしていくのかを今の私はすごく大切にしていますね。
――その思いを証明するように、相川さんは2020年に國學院大學を受験し、合格。現在も神道文化学部に通われているんですよね。学生生活はいかがですか?
相川:とにかく楽しくて、すごく充実してますよ。学生さんたちは自分の子供と同じ年頃なんですけど、みんな声をかけてくれるし、一緒にご飯を食べたりとか、一緒に駅まで帰ったりとかしてますね。みんなすごくかわいいです。
――シンガー・相川七瀬だということは認識されているんですか?
相川:うん、みんな知ってますよ。「お父さん、お母さんがファンです!」と声をかけてくれる子もいるし、中には「相川さんの曲、すごく聴いてます!」みたいな子もいて。「いやいや曲が出た頃はまだ生まれてないでしょ? なんで知ってるの?」って聞くと、「学校のブラスバンドで『夢見る少女じゃいられない』を演奏したんです」とか。おもしろいですよね。そういう若い世代の子たちと一緒にいることは自分にとってもすごくプラスなんですよね。最高のアンチエイジングになるというか(笑)。みんなの輪に入るために、流行りのゲームや音楽、言葉とか教えてもらったりもしてますからね(笑)。
――神道を学ぶ中で新たな気づきもありますか?
相川:私はお祭りが昔からすごく好きなんですけど、それって古代のエンターテインメントなわけですよ。そこに儀礼があることを思うと堅苦しい感じにはなるんだけれど、でも本質的な部分は人と人を繋げて、「また明日から頑張ろう」といった心を育むものなんです。そう考えれば、今やってる音楽フェスは神道における祭りと一緒。歌う人とか演奏する人たちは、昔で言うと神に選ばれた人であり、曲をご奉納することと一緒だし、それによってみんなが日常を忘れて恍惚となるっていうのも昔から同じなんです。そういうことをあらためて学ぶと、自分の芸能生活にも生きてくるから、すごく楽しいんですよね。
――25年以上にわたってエンタメの中心にいる相川さんが「フェスと祭りは一緒」って言うのは、すごく説得力がありますよね(笑)。
相川:もちろん厳密に、学術的に言えば違います。でも、たくさんの人を集める求心力ってなんだろうって考えると、それは見えない力であり、昔はそれを神と言ったんだと思うんですよね。
――昨年11月には春日大社の若宮式年造替奉祝コンサートにも参加されて。そこも相川さんの信念がリンクした結果なのかなと。
相川:私は20代前半ぐらいから春日大社にはお世話になっていたんですけど、昨年初めて歌唱奉納をさせていただきました。それはもう25周年のご褒美をいただいたような気持ちでしたね。縁がある人しか歌えないような場所に呼んでいただき、そこで1時間も歌わせてもらえたときに、「『今事記』というアルバムを出してよかった!」ってすごく思いました。
――『中今』からは「むすんでひらいて」も歌われたそうですね。
相川:はい。あの日は大雨だったんですよ。でも、「むすんでひらいて」のときだけさーっと雨が止んで。「こういうことってあるんだよなぁ」って、すごく神秘的な気持ちになりましたね。で、最後は「夢見る少女じゃいられない」で奉納を終えたんです。「たぶん、春日大社でロックをやったのは歴史的に初めてだと思う」って、みなさんすごく喜んでくださってましたね(笑)。