BTS、個人活動への集中は有効な選択に? グループを取り巻く複雑な背景をメンバーの発言から考える

 一方で、“自作するアイドル”というグループのアイデンティティを考慮すれば、このようなネガティブな感情こそコンテンツの中で吐露するだけではなく、作品に落とし込むことで昇華することはできないのか、それができなかったり踏みとどまるような状況なのだとしたら、それは果たして「K-POP/アイドル」というビジネスのあり方だけの問題なのか、ということも、同時に思わざるを得なかった。発言内容自体は「Yet To Come」の歌詞の中に織り込まれている部分もあるが、この発言が各メディアの見出しになるような状況というのは、歌詞の中のポジティブなイメージとは相反するようなネガティブさが本質にあるのを感じた人が多かったということで、曲だけでは伝わっていない感情が表れたからこそショックを受けた人もいたのだろう。

 メンバーの発言から窺える大きなプレッシャーや抑圧の影には、ビジネス的なシステムだけの問題ではなく、K-POPアイドルを取り巻く韓国内の社会的な目線や、韓国外での文化的・社会的なバイアスがある中での取り扱われ方、K-POP特有の濃密なファンとの関係性など、複雑な背景が絡み合っているように思う。会食中に何度もファンに対する感謝や「ネガティブにとらないでほしい」という発言が出たことは、ファンとアイドルの関係性がSNSを通じてダイレクトかつ濃密に思える時代の中で、ファンによる熱心な自主広報や応援の後押しの恩恵を誰よりも受けて人気や知名度を獲得してきたグループが、背後に背負うものの重さを感じさせるものでもあった。BTSのアルバムの内容自体、イレギュラーなリリースだった『BE』を除いて、韓国活動で最後に出た『MAP OF THE SOUL: 7』の収録曲のテーマにグループとファンの関係性を歌うものが多くなっていたことを振り返ると、“その先”について考える間もなく、柱であるはずの韓国での活動やリリースがない状況で、アメリカ活動における“欧米社会の中でのポップスター”を演じ続けることがメインになってしまう状況が続いたことでアイデンティティが曖昧になるというのは十分に納得できる。また、「曲に込めるべきメッセージやテーマがわからなくなった」「歌詞を書かなければいけないのに、今は絞り出さないと出てこない」という発言にも頷けるものはある。

 とはいえ、これらの感じ方もメンバーによって異なり、乗り越え方もそれぞれ違うはずだ。そういうズレや違いが補い合えない状態になるほどであれば、やはりそれぞれがグループよりも個人の活動に集中することはリセット方法のひとつとして有効なのかもしれないし、エンタメを生業とする“グループ”としては真っ当でよくある選択だろう。今回の「Yet To Come」では、「ON」以来2年ぶりの音楽番組での活動も積極的に行なっている。久しぶりの事前収録でのファンとの触れ合いや“エンディング妖精”など“ザ・K-POP”の現場を楽しんでいるメンバーの様子を見ると、新曲のメッセージはつまるところシンプルに「普通のK-POPグループに戻りたい」というようなことなのかもしれない。

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