『story of Suite #19』インタビュー
AA= 上田剛士、素通りできない現実を描写した異色の1枚 「特殊な時間にいることを形にしておきたかった」
『story of Suite #19』と銘打たれたAA=の新作アルバムがいかに普通の作品ではないか、ということについては以前にもお伝えしたが(※1)、今回はこの作品について、当事者である上田剛士自身に語ってもらう。完全初回限定オンライン販売というリリース形態自体がこの作品の特殊さを示唆しているようにも思うが、それはいわば「この音源を聴きたいという行動を起こさないと手に入らない」「ぼんやりと過ごしているとその発売自体に気付かない」ということでもある。それ自体に昨今の世相と重なるところがあるようにも思えるが、それは筆者の単なる考え過ぎなのだろうか。上田との会話は、ごく簡単な挨拶を経て、すぐさま本題へと突入した。その一部始終をお届けしたいと思う。(増田勇一)
「バンドマンとしてどこに居るのか、自分でもわからない初の体験」
ーーこのコロナ禍のご時世、「本来こういう音楽の作り方をしなくてもいいはずなのに、今やらずしてどうする?」みたいな気持ちにさせられるところが少なからずあるはずだと思うんです。そこでの心情が『story of Suite #19』の制作動機としては大きいのではないかと察するんですが。
上田剛士(以下、上田):自分としては常にその時々の気持ちに忠実に作りたいと思ってるし、音楽作りをアルバム単位で考えている人間なんで、自然といえば自然なものなんです。元々、去年配信ライブをやって、それをBlu-rayで映像作品として出した時にシングルとして付けた3曲というか、3曲が1曲という組曲みたいな形で作った曲があるんですけど……。
ーー「Suite #19」のことですよね?
上田:ええ。それを作ってみて、ちゃんとストーリー立てたものにするというか、もっと膨らませてみたいなという欲求が出てきてしまって、いつの間にかこうなってたという感じで。元々はアルバムにするつもりも全然なくて、そこに2~3曲足すぐらいのイメージでレーベルの担当者には伝えてたんですけど、いつの間にかこれだけ増えていて。
ーー自分で作ったものに触発されながら、さらに作り続けた結果でもあるわけですよね。
上田:そうですね。なんかまだ、あの時点では自分の中で足りない感じがしていました。
ーー11月4日付のTwitterで、「初のナンバリングされていないオリジナル作品です。つまり少し風変わりということかな」(※2)と書かれていましたけど、やはりこれは規格外というか、これまでのAA=の流れとは別のところにあるもの、と解釈すべきなのでしょうか?
上田:そう。なんか、AA=として作るものなのかどうかということもわからないぐらいの感じで自分では作っていて。ただ、メンバーみんなでこれをやりたかったので形にしたんだけど……。そのぐらい、いつものテンションとは違う感じですね。
ーーつまり「これは個人として出すべきものじゃないか?」とも考えたということですか?
上田:自分のキャリア、MAD(THE MAD CAPSULE MARKETS)時代も含めてずっとそうなんだけど、曲を作ったりアルバムを作る時に、だいたいライブをイメージしてるわけですよね。フロアがぐちゃぐちゃになる、みたいなのを。それを前提として作って、そういう風景というかイメージを常に持ちながら作ってきたんだけど、このコロナの時期になって、そういったものが全部できない前提で作らなければならなくなってしまった。全部それがなくなっている世界というのは自分でも経験上初めてなんで。まずその部分で、自分が今音楽を作るとか、ライブをするというイメージがまったく湧かなかったし、今までの音楽の作り方で取り組むとなるとまったくリアリティがないというか。嘘をつくというわけではないんだけど、自分の中で現実感がないし、やる気が出ないし、気持ちが向かないし。そういう初めての体験の中で、自分の作品として作る時にどういったものなのかな、というのがすごくあった。実験的と言うとちょっと語弊があるかもしれないけど、そういう感じで作ったのが最初の3曲だったんですね。この先、この世界がどうなるかも現時点で本当のところはわからないし。そういう中で自分が「こんな時にどんな音を出すか」「何か発表するとしたらどうなるか」というのを突き詰めていった結果、自然とこうなったという感じなんです。
ーー中には長いスパンで考えてライブ活動期間と制作期間をそっくり入れ替えてしまうことで解決した人もいれば、ライブができなくてもそれができる状況を想定していつも通りの音楽作りをする人もいたはずです。ただ、ライブありきの発想の仕方をしてきた剛士さんとしては、その動機の持ち方を偽りたくなかったというか。
上田:そうですね。他の人たちがいろんな考え方でやってることについては全然否定するつもりはないんだけど、自分の中でリアリティをもって作れるものがこういう形だったということです。だからそういった意味でもこれがAA=の作品といえるのか、という自問みたいなところもあって。AA=のメンバー全員で作り上げているからこの名義で出しているけど、この先の未来に繋がっているものなのかどうかもわからないし、ただ単純に、今の自分の表現したい欲求というか、そういうものを体現してみたのがこれで。だから本当のことを言うと「AA=」の名を語ってはいながらも「AA≠」みたいな(笑)。そこにちょっと斜線が入るくらいのイメージなんですよ、自分の中では。そういう意味ではAA=がこれまでずっとやってきた歴史、MAD時代からずっと経てきたバンドマンとしての自分の延長線上のどこに居るのかが、自分でもわかっていないという初めての体験をしてきたわけなんで。まあそれぐらい今の世界が特殊な時間にあるってことだと思うし、誰もが人生の中でこういう時間が来るとは思っていなかったこの2年だったはずで。そこで感じたことというのは自分としても形にしておきたかった。
ーーAA=の場合、語弊のある言い方かもしれませんが「バンドであって、バンドでない」ような性質があるじゃないですか。発想のすべては剛士さん自身を根源とするもので、それをバンドとして形にしていく、という成り立ちであるわけで。だからある意味、大多数のバンドよりはこうしたことはやりやすいはずだとも言えるはずです。だけど実際作る上では、バンド内での意思疎通を得てやりたかったですよね?
上田:そうですね。もちろんみんなに聞いて、みんなの考えを踏まえたりもするし。ただ、元々自分は、初めて曲作りをした時から「ひとりで作る」という部分はずーっと変わっていないんで。自分で作った曲をメンバーに聴いてもらい、それをバンドとしてやろうかどうかというところから始まるという感じだから、手順としては一緒なんだけど。ただ今回は趣向が違うので「どうかな?」と様子は見ました(笑)。まあ、みんなは「ああ、こういうものを作ったんだ」という感じで受け取ってくれたと思うんですけど。
ーー純粋に音楽として受け止めた、ということですね。そこで葛藤があるとすれば、音楽を作る動機として、ちょっと大袈裟な言い方かもしれないですけど「これ、やらないほうがいいことなんじゃないの?」というような部分だったのではないかと思うんです。
上田:そこが「AA=でやるべきか?」という自問に繋がったところで。自分のものとして出すんだったら全然アリなんだけど、そうしてしまうとなんか「逃げてる」というか、ちょっと違う気がして。このAA=という形でやるからこそ意義があるんだろうし。
ーー同じ名前でこうした主張をすることにこそ価値があるというか。
上田:そうなんですよね。そういう意味では聴く人が「ちょっと今までとは違う感じだな」という角度からでもいいんで楽しんでもらえたらいいな、と思ってるけど。
ーーいざ作ろうという気持ちが固まってからは、これまでと同じように物事が転がっていったんでしょうか?
上田:自分が演奏するものとして、ライブを想定しないで作るというのが今までないことだったので、そこでの落としどころの難しさはありました。実際、曲を作ったり作品を作ったりする意欲がないということはないんですよ。単純に、例えば次に『#7』というアルバムを作る気にはならなかった、というだけのことで。
ーー逆にこの先、然るべき時期にこれまで続いてきたナンバリングの先にあるアルバムを作るためにも、今、これを吐き出しておかないと精神衛生上よろしくないというか。
上田:そういうことです。自分の中の答えの出し方というか、けじめのつけ方というか。モノを作る立場の人間としては、今の時代をこのまま素通りするわけにもいかないし、その中で自分が見つけられたもののひとつ、という感じですね。