栗山夕璃『Anaphylaxie Bee』インタビュー

栗山夕璃が明かす、“蜂屋ななし”との別れを決意した理由 リスナーへの感謝の想いも

リスナーによって変化していった蜂屋ななしの音楽活動

ーー今回新たにミックス/マスタリングし直した既発曲の中からも、特に印象的だった曲があれば教えてください。

栗山:今回ミックスをやり直したときに、特に「当時は技術的にできなかったことが表現できた」と感じたのは「縫口」と「オペ」でした。当時は聴こえなかった音が聴こえるようになっていますし、すごく綺麗に調整できたなと思います。

Original, v flower/ オペ

ーー「オペ」は鍵盤など含めて「こんな音が鳴っていたんだ」と僕も驚きました。曲自体がすごく豊かになっているような印象ですね。

栗山:改めて「ああ、当時はやっちゃってたんだなぁ」と思いました(笑)。きっと曲の魅力が何%か削げた状態で届いてしまっていたのかな、と。でも逆に「プラシーボ」の場合は、この曲を作った2~3カ月前に耳が聞こえにくくなる病気(メニエール病)になってしまった影響で、そもそものミックスが独特なんです。なので今回それを再現しようと思っても思い通りにできなくて。それでもともとのセッションの段階から書き出しました。新しくミックスして変わった曲がある一方で、この曲では「当時じゃないとできないこともあったんだな」と感じましたね。

ーー曲を作っていたときの思い出、という意味で印象的だった曲はありますか?

栗山:それなら「ライムライト」と「HAPPY SHAPE」ですね。「ライムライト」はクラリネットを生音で録音したんですけど、その音がとてもよくて。ベースもギターも生音で録音しています。もともと生音を大切にしているんですけど、この曲は特にいい機材で録っていて、とにかく「音がいい!」という曲です。

ーー「ライムライト」の場合、そうやって生音を大切にしながらも、途中でダブステップのワブルベースのような重低音も出てくるところがとても面白いです。

栗山:そう言ってもらえると嬉しいです。この曲は生音の本質的なよさのようなものを突き詰めつつ、同時にワブルベース/シンセベースのような同期音源を共存させる、という目的で作った曲で。この頃から生音に触れていてよかったな、と思います。視聴者として音楽を聴いていた頃から、「このギターやピアノ、偽物だなぁ」と思うことがあって、だからこそ自分の曲ではちゃんとした楽器の音を聴いてほしいな、と。

Original, 初音ミク・GUMI/ ライムライト 【FULL HD】

ーー既発曲でもうひとつ、「ディジーディジー」はどうでしょう? この曲は、蜂屋ななし名義での活動終了の際に発表された楽曲でした。

栗山:この曲は、ギターを煮ル果実くんが担当してくれて、曲は僕でアレンジを「こんな感じにする?」とお互いに話し合いながら作っていきました。ギターを聴いた瞬間に「あっ、煮ルくんのギターだ!」という感覚になったので、このよさは絶対に残そうと思って作っていきました。

ーー「ディジーディジー」以降は、歌詞の内容も徐々に蜂屋ななしから栗山夕璃になっていくような雰囲気が印象的でした。

栗山:「ディジーディジー」とは別に、その頃出したEPのタイトル曲「ゾートロープ」という曲がありましたけど、この曲は「ディジーディジー」と対になるような、「もう同じことをグルグルするのはやめよう」という、家族のことを歌った曲でした。それで「ディジーディジー」には、両親に言えなかった言葉を入れて、僕の蜂屋ななし名義での活動は終えることにしました。実はその当時同時に作っていたのが、「ディジーディジー」に続いて出てくる「8月23日」や「ハロ」でした。「8月23日」は当初、蜂屋の歌詞が入らない明るい夏の曲を、と思って作っていた曲ですね。

ーーこの曲辺りから、歌詞に温かさを感じるような雰囲気が増しているのも印象的です。

栗山:もともとは「許さねえからな」という気持ちからはじまった音楽活動が、僕の曲を聴いてくれる皆さんのおかげで違うものに変わっていった……「ディジーディジー」で蜂屋ななしが死んだとしたら、「8月23日」は蜂屋ななしが成仏するときの感情のような曲なのかな、と思います。ちなみに、この曲はニコニコ動画にも投稿していない、僕が曲を作りはじめて2曲目にできた曲のメロディとベースラインを流用しています。当時は夏の夜のイメージで作っていた曲を、今回は夏の朝のようなイメージで仕上げていきました。そういう経緯もあって、僕が活動をはじめた頃に憧れていたハチさんの初期の打ち込みからの影響が感じられる曲になっていると思います。

ーーこの曲は、luzさんの歌唱バージョンも収録されています。

栗山:luzさんはよく僕の楽曲を歌っていただいていて、ゲームの書き下ろしでもご一緒しました(『maimai でらっくす』に提供した「生命不詳」)。僕の曲は爽やかさと暗さが混ざることが多いですが、色々な声の表情や表現を持っているので、今回改めて無理なく楽曲の世界観の主役になれる方だと思いました。

 次の「ハロ」はBPMが200ぐらいで、明るい「ノイローゼ」みたいな曲を作ろうと思ってできたものです。ベースも(「ノイローゼ」に参加していた)tmswさんに「もう一度弾いていただけますか?」とお願いしました。

ーー「ハロ」はメガテラ・ゼロさんの歌唱バージョンもありますね。

栗山:「ノイローゼ」は綺麗さを表現できた曲だと思っているんですけど、「ハロ」はパワーで押したいと思っていて、メガテラさんにお願いしました。実際にお話させていただく機会があり、普段からとても優しく素敵な方で。実際歌ってもらった音源を聴いて、「おお、これだ! 最高!」と思いました。あと、最後の部分も、一瞬半音落としてから上げるという表現をしてくれていて、この部分もいいですよね。特別な声質とパワーが感じられて素晴らしかったです。

ーー続く「針を落とす」はどうでしょう?

栗山:「8月23日」と「ハロ」が朝だったとしたら、「針を落とす」は夕焼け~夜のイメージです。この曲には、蜂屋の針を落とそう(蜂の針を落とす=蜂屋ななしをいよいよ終わらせる)という意味と、栗山夕璃としての新しいレコードの針を落とそう、という2つの意味を込めていて。蜂屋がやってきたものは、僕が栗山夕璃として受け継いでやっていくからそろそろ成仏しなよ、という気持ちを曲にしました。かつての僕自身=蜂屋ななしに「もう報われていいんだよ」と言っている曲です。そして、歌っていただく歌い手の方は、これは完全に個人的な趣味ですけど、島爺さんにお願いすることにしました。島爺さんは、僕が昔“歌ってみた”ばかり聴いていた時に、ボカロをもっと好きになるきっかけをいただいた方なんです。島爺さんが人では歌えないと思うようなボカロ曲を表現しているのを聴いて、ボカロ曲に触れていったので、僕にとっては原曲の良さを教えてもらった方。今回も沁みました……!

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