アユニ・D×エリザベス宮地、ドキュメンタリーに刻まれたPEDROの軌跡 撮る/撮られることで生まれた“尊重と覚悟”とは?

アユニ・D×エリザベス宮地 特別対談

 BiSHのメンバーとして札幌から上京したアユニ・Dは、とあるきっかけでベースを購入し、PEDROプロジェクトをスタートさせた。わずか3年前の出来事である。幾度ものツアーを重ねたPEDROは急速な勢いで成長し、今年2月には念願の単独武道館公演『生活と記憶』を成功させた。「カメラを向けられることが苦手」「他人と話すことが苦手」だったというアユニは、前途多難な道のりをどのように歩んできたのだろうか。そんな、華々しく見えるスターロードの裏に隠された“アユニ・Dのリアル”を捉えたドキュメンタリー映像こそ、今年2月にYouTubeでプレミア公開され、このたび7月7日にパッケージとなってリリースされる『SKYFISH GIRL -THE MOVIE-』である。今回は、様々なPEDROのドキュメンタリーを通してアユニを撮り続け、『SKYFISH GIRL -THE MOVIE-』の撮影編集を担当した映像作家・エリザベス宮地と、アユニ・Dによる対談が実現。お互いの印象や変化から始まり、“撮ること・撮られること”にまで話題は発展。ここでしか語られない貴重なトークを楽しんでいただきながら、ぜひ『SKYFISH GIRL -THE MOVIE-』を観てその“答え合わせ”をしてみてほしい。(編集部)

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カメラが捉えた“PEDRO始動の瞬間”

ーーアユニ・Dさん、宮地さんと言えば、BiSHのドキュメンタリー映画『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』(2017年)や『BiSH Documentary Movie “SHAPE OF LOVE”』(2018年)を通して交流を深めてきました。PEDROとしての関係は今回の『SKYFISH GIRL -THE MOVIE-』にも収録されていますが、2018年2月にアユニさんがWACKの代表・渡辺淳之介さんやavexの担当者に呼び出されて「ベースをやらないか」と誘われるところから始まります。あの時、宮地さんがカメラを回せていたのはどうしてだったんですか?

エリザベス宮地(以下、宮地):実は、事前に知っていました。それこそ当時は『SHAPE OF LOVE』を撮影していたんですけど、その渦中で当時avexにいた赤窄諒さん(現在PEDROのA&Rを担当)と篠崎純也さん、WACKのサウンドプロデュースを務めている松隈ケンタさんが「アユニにバンドをやってもらおう」というアイデアを思いついて。その2日後くらいに、赤窄さんと篠崎さんが企画書を作って渡辺さんに提案をして。それで「渡辺さんにご快諾いただけました。明日、本人にも話したいと思います」という連絡があり、アユニちゃんにベースの話を持ちかけるシーンに繋がるんです。

アユニ・D(以下、アユニ):あ、そういうことなんですか! 

宮地:そうなんです。なので、企画が思いついてから1週間も経たずに、PEDROはスタートしていて。

アユニ:大人のノリと勢いだ。

ーーPEDROの結成が決まったとはいえ、今後どのように活動していくのかは、明確になっていなかったですよね。

アユニ:決まっていなかったです。2018年9月に新代田FEVERで初ライブ『happy jam jam psycho』をやって終わりだと思っていました。

宮地:そうですよね。ただ、初ライブの出来がすごく良くて「これ1回で終えちゃうのはもったいないよね」とみんなが感じていたと思います。

PEDRO / 「自律神経出張中」from first live “happy jamjam psyco” @新代田FEVER

ーーPEDROの方向性が明確になったのは、2019年3月にavexからEMI Recordsへ移籍したタイミングですよね。

宮地:はい。ちょうど赤窄さんがavexからユニバーサルミュージックに移ったんですよ。それで「PEDROはEMI Recordsでやることになりました」と連絡をいただいて、わざわざ僕が住んでいる最寄りの駅まで来てくれて2人で話をしました。

ーー何を話したんですか?

宮地:「どうやってアユニの魅力を広めていくべきか考えたんですけど、成長の過程をドキュメントとして見せていくのが、あの子には一番適していると思うんです」とプレゼンしてもらって「僕でよければ協力させてください」というやり取りをしました。その後、赤窄さん、僕、アユニちゃん、マネージャーの小嶋(はるか)さんでユニバーサルの会議室に集まって。その席で赤窄さんがアユニちゃんに「宮地さんとは単なるアーティストとカメラマンじゃなくて、友達のような関係になってほしい」と言ったら、アユニちゃんは「あ……はぁ」みたいな反応で(笑)。

アユニ:正直、気まずいなと思ってましたね(笑)。まず、私は宮地さんに勝手な偏見を抱いていたんですよ。『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』の上映会でデスソースを一気飲みしたことがあったじゃないですか(笑)。あの一件で究極のヤバ人みたいな印象をずっと持っていて。「この人には心を閉ざしていよう」と決めていたんですよ!

宮地:それはね……かなり伝わってました。

アユニ:あー! ごめんなさい!(笑)。

宮地:「一切関わらないでください」というオーラを放っていたので(笑)。

アユニ・D

アユニ:当時、私はメンバーともそんなに喋っていなかったんです。だから日々、息苦しさがあったのと、ツアーに行っても常にカメラが回っていることも嫌だなと思って逃げていました(笑)。

宮地:僕も割と臆病な人間なので、嫌がる人に対して無理に踏み込まない。だから、遠くからアユニちゃんを撮るみたいな。アユニちゃんとコミュニケーションを取るようになったのは、EMIに移籍をして『THUMB SUCKER』のレコーディングが始まった時からだと思います。

アユニ:そうですね。私が田渕ひさ子さんの熱狂的なファンになって「ひさ子さん、可愛い!」とか「ここのギターがすごくて!」とか、その感情を吐き出せるのが宮地さんだけだったので、そこで私がめちゃめちゃ話すようになりました。

ーー宮地さんにとっても、田渕さんの存在は大きいですよね。

宮地:とてつもなく大きいですね。ちなみに「今後、PEDROは動画を軸にやっていきたい」と言われて参考にしたのは、田渕さんが在籍しているNUMBER GIRLの映像と90年代の映像なんですよ。

ーーあ、なるほど。それで言えば、NUMBER GIRLによる「IGGY POP FAN CLUB」の『SXSW』のライブ映像は、宮地さんに多大な影響を与えたんですよね。

宮地:ライブ中に、田渕さんがカメラを取り出して客席の写真を撮るシーンが高校生の頃からずっと好きで、大きな影響を受けています。映像の中でスチール写真を入れ込む手法は「IGGY POP FAN CLUB」のMVで覚えたから、アレをなくして今の自分の作風はないです。それをPEDROのドキュメンタリーでも、存分に取り入れていて。

ーーつまりPEDROの映像作品には、宮地さんのルーツが詰まっている。

宮地:あとはPEDRO「NOSTALGIC NOSTRADAMUS」の〈1999年と同じ平凡〉という歌詞が印象的だったので、実際に1999年頃のカメラを買ってみたり。PEDRO像を作るためのアプローチは機材でも試してますね。

「自分の過去を愛おしいと感じられた」(アユニ)

ーーPEDROはこれまでに『Document of THUMB SUCKER』(2019年)、『Document of DOG IN CLASSROOM TOUR』(2020年)、『Document of GO TO BED TOUR IN YOUR HOUSE』(2020年)、『Document of LIFE IS HARD TOUR』(2021年)と4本のドキュメンタリー作品を発表してきました。その集大成が今回の『SKYFISH GIRL -THE MOVIE-』ですね。

エリザベス宮地

宮地:はい。今までのドキュメンタリーをまとめて1本の映画にしたい旨は、僕から赤窄さんに話しました。

アユニ:そうなんですか?

宮地:一昨年の年末に「『SKYFISH GIRL -THE MOVIE-』というタイトルは面白くないですか?」と提案したら、「あ、良いですね!」と了解をもらえて。そこから作品の着地点をどうするか考えていた矢先に武道館公演が決まり、「これで映画としてもまとまる」と思いました。わかりやすく言えば、今作は「ベースを買ってわずか3年間で武道館に立った女の子」の話。それだけでもキャッチーではありますが、その裏でどういう時間を経て大舞台に辿り着いたのかをちゃんと見せなければいけないので、そこを間違えのないように伝えたいと思ったんです。「武道館までの道程は、決して簡単なことじゃない」って。

ーー本作の中で1つの見せ場が、アユニさんが上京して最初に住んだ街に降り立つシーンだと思うんですよね。

宮地:あそこは良かったですね。

ーーアユニさんは涙を浮かべながら、上京当時の思い出を話していましたね。

アユニ:私が住んでいた家の前まで来た時、これまで蓋をしていた感情が一気に込み上げてきて。その上、インタビューしている宮地さんの寄り添い方というか、カメラ越しの立ち向かい方も自分の心にグッと来てしまったんですよね。

ーー映像を見返して、どんな感情になりました?

アユニ:こういうお仕事をしておいて言うのも変なんですけど、最初の頃はカメラを向けられることが苦手だったり、他人と話すことが苦手だったり、自分の中で撮られることに対して複雑な思いがずっとあったんです。それでも宮地さんは映像作家と名乗って生きている以上、自分の立場とかやらなければいけないことや使命感など、いろんなものを背負っている。私がどれだけ嫌がろうとしても、ずっと一緒にいて写真とか映像に記録してくださった。それを後から見た時、 嫌いな自分を好きになれたんですよ。

ーー宮地さんの映像によって、苦手意識が変わった。

アユニ:無意識に見せていた喜怒哀楽とか、情緒不安定な姿とか、些細な心の変動も宮地さんが撮ってくれた映像には残っていて。ステージに立っている時だけでは分からない、私のリアルな部分が宮地さんの作品にはすべて記録されていました。私が自分の過去を愛おしいと感じられたのは、宮地さんがいたからだなとつくづく思いましたね。

宮地:そう言ってもらえると、映像作家冥利に尽きるし、本当に嬉しいです! 撮るからには10年、その人のことを追い続けなければといけないと思っていて。まあ、10年撮っても分からないんですけどね。ただ、それぐらい追いかけたい。なぜなら時間をかけたからこそ出てくる良さが、ドキュメンタリーの一番の強みだから。そして、撮り続ける上でいつか「宮地がここにいてくれて助かったな」と思ってもらえる瞬間が1回でもあれば、それが一番の幸せなんですよ。

アユニ:私を含めBiSHって、ダサいところも全部さらけ出してきたじゃないですか。とはいえアイドルになれる人は、基本的にキラキラした人生を送っていて、学生時代もスクールカースト上位の子たちの印象が強いと思うんですけど、私はそうじゃなかった。そうじゃないところを、一番わかりやすく世間に伝えてくれたのが宮地さん。それこそベースが弾けない時、不器用すぎるからこそ、手の抜きどころが分からなくて壊れてしまったこともあったんですけど、そこも本音で言えば出したくないんですよ。

宮地:確かにそうですよね。

アユニ:泣いているところとか、頑張っているところとか、練習しているところとか本当は見られたくない。それを隠し通してステージに立った時に「めっちゃ出来てる!」という見られ方をしたいんですけど、そんなの自分には出来ない。ステージに立って頭が真っ白になったりプレッシャーに負けたり、そういうところを包み隠さず見せることで、1人でも誰かの心を救えるんだって気づけた。「自分はこれで良いんだ」と思えたのも、宮地さんが作品を世に出してくださったおかげなんですよね。

ーー膨大な映像の中から、どのシーンを使うかの判断基準はなんですか?

宮地:あえて言葉にするなら「本当だな」と思ったシーン。それって会話の内容だけじゃないんです。例えば、アユニちゃんが前に住んでいたアパートの前で当時のことを話している時、声が震えているんですけど、そこはすごくグッときました。それは泣いているからとか、笑っているから良いわけじゃない。

ーーあの表情や佇まいに、アユニさんのリアルが詰まっていた。

宮地:そういう映像は意識的に残してます。ドキュメンタリーにとって良いか悪いかは別の話で、そこを僕は大事にしがちですね。

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