『映画大好きポンポさん』インタビュー

カンザキイオリが明かす、活動を続けていく上での原動力 「湧き上がる感情こそが創造の源」

 ボカロP/作曲家・作詞家として活躍するカンザキイオリが、6月4日に公開されたアニメーション映画『映画大好きポンポさん』にて主題歌と挿入歌2曲を制作している。

 杉谷庄吾による漫画を映像化した『映画大好きポンポさん』は、敏腕映画プロデューサー・ポンポさんに見出された新人映画監督のジーンや、駆け出し女優のナタリーらの成長を描いたヒューマンドラマ。すべてを投げ打ってでも映画作りに心血を注ぐ、そんなクリエイターや役者たちの“モノづくり”に対する情熱が映し出される。

 カンザキイオリは、DUSTCELLのEMA、バーチャルシンガーの花譜、新人歌手・CIELという<KAMITSUBAKI STUDIO>所属のアーティスト3名をそれぞれ迎えて楽曲を制作。カンザキ自身、『映画大好きポンポさん』からどんなメッセージを受け取り、楽曲に反映していったのか。それぞれの楽曲に込められた思いを紐解くと共に、カンザキイオリ自身が考える創作活動に対するスタンス、クリエイターとしての原動力について赤裸々に語ってもらった。(編集部)

(創作活動を行う上で)葛藤や反骨精神なんて日常茶飯事

劇場アニメ『映画大好きポンポさん』本予告

ーー今回『映画大好きポンポさん』にEMA「反逆者の僕ら」、花譜「例えば」、CIEL「窓を開けて」の3曲を提供されています。楽曲制作を行うにあたって原作や脚本などを読まれたかと思いますが、初めて作品に触れた時の率直な感想、魅力を感じた部分を教えてください。

カンザキイオリ(以下、カンザキ):今回挿入歌・主題歌制作で携わらせていただいた『映画大好きポンポさん』は、何かを創造することが好きな人、もしくはそれを仕事としている人の心を揺さぶる作品だと思います。今まで沢山の曲を作ってきた日々が思い返され、あの時はこうだったな、とか、あの時はこうしていればな、とか、色んなことを考えました。考えて考えて、結局たどり着いたのが、ああ、曲を作る人生を選んでよかったなということです。自分の今までの創作生活を思い返すほど、この作品は全ての物づくりをする人たちに衝撃を与える作品です。

ーー楽曲制作にあたって、平尾隆之監督からリクエストやイメージの共有はありましたか?

カンザキ:平尾監督は、映画の中のキャラクターの一人、ジーンくんと同じくらい作品を作る熱意がある方だと思います。だからこそ、歌詞の細かい部分に熱心にリクエストしてくださいました。僭越ながら私もこれまで花譜ちゃんの楽曲制作を通し、さまざまなタイアップを手掛けさせていただきましたが、ここまで作品に執念を燃やし、的確に意見をしてくださる方はいませんでした。苦節や、悔しさももちろんありました。だけど最後試写会で映画を見た時、ああ、この興奮を味わうためにあの日々はあったんだな、と感動しました。平尾監督とお仕事をさせていただき、本当によかったと思っております。

ーー映画主題歌・挿入歌という立ち位置の楽曲を作る上で、普段の制作とは考え方を変えた部分はありますか?

カンザキ:今回は映画への楽曲提供でもありましたが、また新たに、3人のシンガーへの楽曲提供という意味もありました。自分1人の作品であれば、存分にがむしゃらに書き殴れたりしますが、今回は他方と協力して制作するものでしたから、自分の色を出すというよりかは、相手の色に寄り添う形で制作を進めていきました。完成してからまるっと構成を変えたり、歌詞を全部やりなおしたり、とにかくいろいろやりましたね。そのおかげで新たな考え方を得ることができました。沢山あるのですが、一例をあげるとしたら、絶対に妥協しないことです。妥協したら、未来の自分が、今の僕を憎むから。

EMA - 反逆者の僕ら

ーー「反逆者の僕ら」はDUSTCELLのEMAさんのボーカル曲です。何かを成し遂げようと未来に向かって生きる人を鼓舞するような歌詞が印象的ですが、どのような思いで楽曲を作り上げていきましたか?

カンザキ:自分の本性を炙り出したものを作り上げたい、という決意で常々制作しておりますが、誰かの感情に寄り添ったものを作りたいという気持ちもあります。相手がいないと、創造を続ける意味がないですから。憎悪であれ、愛であれ、なんであれ。「反逆者の僕ら」は、周りとは違うと悩んでいる人達を解放してあげたい、と思いながら作った曲です。それは創造することだけじゃなくて、容姿だったり、性別だったり、色んなことがあると思います。会社や学校なんかでは、それを理由に塞ぎ込んでしまう子たちもいるでしょう。映画を通し、そんな子たちに勇気を与えられるような世界観にしようと、楽曲を作り上げました。

DUSTCELL EMA

ーー「反逆者の僕ら」の“僕ら”の中には映画の登場人物はもちろん、クリエイターとして活動するカンザキさん自身も入っているのでないかと思いました。例えば、音楽活動を始めた当初など、この歌詞に書かれているような、周囲に対する葛藤や反骨精神を実際に感じた経験はありますか?

カンザキ:沢山あります。それは今でも、というか毎日。全て自分と同じ考えを持っている人間は必ず世界のどこかにいるけれど、それが身近にいることって限らないんですよね。だからこそ自分の気持ちを言い合って、確かめ合うことが大切なはず。でも私、臆病な性格なので自分の気持ちをうまく言えないんです。よく我慢する性格で、それを我慢と知らずにやっていることがよくあります。だから葛藤や反骨精神なんて日常茶飯事です。

 私が生きている日常では、仲間であり敵である、敵であるけど仲間である、そんな人たちでいっぱいです。なので自分と意見が違うんだ! と悲しむこともあるし、私を信じてついてきてくれるんだね! と信頼する時もある。いつだってどっちかを漂っています。ちなみに今の環境が嫌だということではありませんよ! 昔からそうなんです。幼い頃からずっとそう。ふと、自分は誰とも分かり合えない、孤独であると思う時があります。それが悲しい時もあるし、嬉しい時もある。その時湧き上がる感情こそが、私の創造の源で、創造のチャンスになります。その感情で出来たものに、世界の誰かが共感してくれたら、私は満足です。

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