さとうもか、変態紳士クラブ GeGから正体不明の者まで“入居”するMAISONdes ジャンルの垣根超えた“ここでしか聴けない”音楽
部屋番号も振り方も気になるところだ。第1弾に続く形で「102号室」となるのかと思いきや、「310号室」。どのような法則なのだろうか。
「000号室」という意味深な部屋番号を振られているのが、第3弾の「本当は夜の端まで」。第2弾に引き続き作詞作編曲を務めるのはくじら。ボーカルを務めるのは、正体が一切明かされていない「おおお」。「おおお」は、ローマ字「ooo」と表記するので、もしかすると「000号室」はここからきているのかもしれない。(部屋番号にアーティスト名から連想した言葉遊びが含まれているのだとしたら、「310号室」も、さとうもかの“さとう”からきているのかも……?)グルーヴィーでアンニュイなサウンドで歌われるのは、〈胸の奥の泥に手を突っ込んで握った感情は/指の隙間から溢れていくんだ/死にたいと嘆くばかりで二次元に溶けてく/一人芝居を延々と続けている〉など、陰と毒を感じさせる世界観だ。MAISONdesの楽曲は、それぞれの楽曲のMVに使われているイラストをNAKAKI PANTZが一貫して担当しているのだが、「本当は夜の端まで」で描かれているのは、テレビだけがついた薄暗い部屋で脱力したようにうずくまる女性の姿。楽曲の雰囲気と相まって、一人暮らしの夜、不意に襲い来る孤独や無力感が伝わってくる。
そして4月21日、新曲としてリリースされたのが「いえない」。グループ「変態紳士クラブ」のGeGと、STUPID GUYSのメンバーであり、オリジナルソングでも多くの支持を集める堂村璃羽、正体不明のシンガー・301のコラボであり、MAISONdes初めて男女のデュエットソングとなる。アートワークにはソファの上でもつれ合う男女の姿が描かれており、これまでの楽曲にはないアダルティックな雰囲気を醸し出す。人肌の合わさる熱量を帯びているくせに、歌詞は〈20°の部屋で熱くなる身体/好きという割に冷え切った愛が/芝居じみた声で溶けていく〉と、どこか渇いており、タイトルの通り人に言えない関係性を想起させる。誰も見ていない閉ざされた部屋でだけ成立する、かりそめの愛の歌だ。
さらに、SNS上では「いえない」が“癒えない”、“言えない”にかかっていること、男女が同時に歌うときの一人称が男性は「僕ら」なのに対して女性は「わたし」となっていることなどの指摘が話題に上がるなど、考察の面でも盛り上がりを見せている。
ここまで発表してきた楽曲から察するに、MAISONdesは「歌い手」と「作り手」の役割を明確に分けているようだ。例えば、泣き虫が他者への楽曲提供するのは今回の「Hello/Hello」が初だし、普段は自身で作詞作曲を行っているさとうもかは「For ten minutes, for a hundred yen」では「歌い手」に徹している。アーティストがそれぞれ単体で曲を作るのではなく、作品ごとに「歌い手」と「作り手」として引き合わされることで、今までにない魅力が引き出される。そんな化学反応の発生を追求しているのが、MAISONdesという試みのおもしろさの一つだ。
現代では、InstagramやTikTokなどのSNSで、誰しもが自然と自分の生活を切り取り、見せたいように自分自身を演出することができる。だが、そこには必ず切り取るためのフレームと、「フレームの外側の世界」が存在する。そして、リアルというのは往々にして、切り捨てられた「フレームの外側」の方にあるものだ。
MAISONdesの楽曲は、「どこかのアパート」という舞台装置と組み合わされることによって、六畳半の部屋に暮らす人間の人物像と、生活のイメージをも掻き立てる。そこで描かれているのは「フレームの外側」の世界であり、誰しもが持っているはずの「人には見せない秘密や本心」でもある。「誰かの歌」は、実は「自分の歌」かもしれないと想像して聴いてみると、このアパートの景色はさらに奥行きを増していくはずだ。
yamaのようにスマッシュヒットを飛ばし知名度を獲得した者から、「おおお」「310」のように正体不明の者も入居するMAISONdes。有名無名の尺度だけでなく、シティポップ、ロック、HIPHOPなど音楽ジャンルも多様で、素顔を出さずに活動している者も多く、ビジュアルにも囚われない。才能のある者同士が自由に手を組むMAISONdesは、多様性の時代を象徴するようでもある。これからもカテゴリーに囚われない新たなサウンドが生まれていくであろうこのアパートで、ぜひ自分好みの「新しい部屋」を見つけてみてはいかがだろうか。
■満島エリオ
ライター。 音楽を中心に漫画、アニメ、小説等のエンタメ系記事を執筆。rockinon.comなどに寄稿。Twitter(@erio0129)