『天才の愛』インタビュー

くるり、『天才の愛』での“ひらめきと探求” 「0から1に生み出されたものがどこまで飛べるのか」

「自分自身を認めてあげるしかない」

ーー「野球」は岸田さんのベースボール愛が炸裂しています。

岸田:セッションして遊んでいた時に天理高校のフレーズをトランペットで吹いてもらって、それで作ったらおもろいんちゃうかってところから始まったんですけど。それを歌うってなったら、こういう歌しかハマらなかったという。

ーー聴いていると気持ちが軽くなるというか、クスッと笑えるような楽曲です。

岸田:曲作る時のアイデアって、それまでどう過ごしているかっていうことと、何かが浮かんだ時、つまり0から1にする瞬間が重要なんですけど。その次も大事な過程のひとつで、0から1に生み出されたものが、どこまで飛べるのかってことを考えます。つまり、一歩引いたところから俯瞰して見て、果たしてそれが価値があるものなのかを考えるんです。作曲する時にはそういう作業をすることがほんまはほとんどで、それが必要やと思うんですけど。

 「野球」なんて曲、別に存在する必要のない曲なんですよ。というか、言うたら全曲存在する必要のない曲なんですけど、例えばほんの少しでも曲を作っている時に屋鋪(屋鋪要/元プロ野球選手、コーチ、解説者)のことを考えたとか。あるいは、中には必ずしも大好きというわけではない選手の名前も歌詞に書いているんですけど、その人がいなかったらありえへんって気持ちがちょっとでも曲に乗ったら、それがポストプロダクションの中で試されるわけですよね。そういう感覚はいろんな曲にあります。

ーーなるほど。

岸田:聖人君主のように生きて、親も先生も妻も子供も全員が認めてくれるような生き方をしていた人が、何かブッダのような言葉を生み出したとしますよね。それでたくさんの人達が救われたってなったら最高ですけど、たぶん僕はそれができないんですよね。でも、すごく悩んでいる人に、一応友達のふりして「そうなんや、でもなんとかなるて」って相槌程度のアドバイスをしてたら、ほんまにそいつが救われたってこともあるわけじゃないですか。僕はその時何が起きたかってことが一番重要やと思っているんですよ。

ーー本来なら取るに足らないと思ったかもしれないタネを、今作では時間をかけて育てていったというお話だったと思うんですけど。少し大袈裟に解釈すると、意義や利潤ばかりを追求する社会に対し、価値のないものに価値を見出す姿勢を見せていったというところもあったんでしょうか。

岸田:僕は社会には興味がないので、それはわからないんですが......例えばマイノリティとか、社会的弱者のほとんどが、同じような問題を抱えているように見えるんですよね。すぐになんとかハラスメントって名前がついてしまうこともそうですけど、本当は守るために規制を作ったり、守るために正義を発動していくシステム自体がいろんなものの首を締めているように見えていて。もう解決の方法っていうのは、自分自身を認めてあげるしかないわけです。もちろん、物理的に社会が変えてくれることもたくさんあると思いますけど、最終的には自分が自分を認めてあげるしかない。

ーーそうした気持ちが今回作られた楽曲にも反映されている?

岸田:僕はブッダのような曲を作りたいと思っていたんですよ、若い時は特にね。でも、諦めた。諦めたけど、そこに悔しさはなかった。それよりもしょうもない鼻歌とか、何も考えずにやったなんの意味もつかへんものを認めてあげるような曲を作る方が、なぜか幸せレベルが上がるんですよね。「I Love You」って言う時とか、野球を応援する時とか、ひとりでぽつんと歩く時とか、プシュって缶ビール開けて飲んでいる時とか、なんでもいいんですけど、その時の幸せのレベルを上げたいと思っている。で、楽曲の中でそれができるっていうことは、人間的な成長に繋がるのではないかなと思うんです.........知らんけど(笑)。

佐藤:いや、すごく正しいことを言っている気がするよ。

岸田:今回はそういうところに興味を持っていたのかな。だって、いじめはやめましょうって言っても、なくならないじゃないですか。明るい時代にしようって言っても、誰もしてくれないじゃないですか。だったら自分が取り組んでいるものとか、自分が導かれているものの中でそれをやっていくしかない。今回の制作はまさに(『天才の愛』の)ジャケットのようなもので、パッと光が見えてきて、その音にスーッと吸い寄せられていく感覚でやっていました。

くるり - 潮風のアリア

ーー歌詞を見ると1曲目の「I Love You」や、佐藤さんが主に歌詞を書かれた「ぷしゅ」には自然体の言葉というか、生活感みたいなものを感じます。

岸田:佐藤さんの書いた「ぷしゅ」は確かにポップな生活感があると思いますけど、あくまで自然と出てきた言葉なので、僕も佐藤さんもあえて書こうとはしていないはずです。また、一方で「渚」や「潮風のアリア」、「ナイロン」や「益荒男さん」では、あえてくるりがあまりやってこなかった難しい言葉を使っているんですよね。

佐藤:今回は歌詞できたって言われた時、これどういう意味? って聞いた言葉が結構ありましたね(笑)。

岸田:くるりの歌詞は、本来中学生くらいやったら理解できる日本語しか使わないんです。でも、それがここにきて辞書を引かないとわからない言葉を使ったというのは、規定の範囲の生活感を排除するためなのかなと今思いました。そういう意味ではいち生活者の視点で書いているものと、そうでない視点で書いているものは、パカっと分かれているかもしれないです。

ーーどういうイメージで書かれた曲なんですか?

岸田:「益荒男さん」なんかで言うと、そもそも音楽自体のモチーフに人を食ったようなところがあるというか、皮肉っぽいパロディのようになっているので、そこにどういう言葉を当て込んでいったらいいのか考えていたんですよね。それが2年ちょっと過ぎたくらいでパッと思いついてこの歌詞を書いていきました。

ーー〈心に自由の種を蒔け〉とありますが、オッペケペー節の原曲も、そういったメッセージのある曲ですよね。

岸田:そうですね、それを引用しています。

ーーそういうモチーフで何か1曲書いてみたい気持ちがあったんですか。

岸田:メロディの形にハマれば“何さん”でもよかったので、いろんな人に入ってもらったんですけど、〈益荒男さん〉って歌い出した時が一番アホっぽくて面白かったので。で、益荒男さんには申し訳ないんですけど、なんとなくキャラクターがすぐ浮かんだんですね。

ーーなるほど。

岸田:あと、あんまりコロナをテーマに曲を書きたくはなかったんですけど、「益荒男さん」は軽いノリで「王様の耳はロバの耳ー!」って言ってるような画も浮かんだから、これはこれでいいのかなと。自分達の日記として聴いた時、「こういう時もあったよね。もう懲り懲りだ、ちゃんちゃん」でええやんっていう感じです。

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