『唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編』特別インタビュー
小泉今日子、筒美京平楽曲から教わったこと 『唄うコイズミさん』第2回を前に聞く
2020年8月21日に無観客配信で行われた小泉今日子にとってひさびさのソロライブ『唄うコイズミさん』。彼女のさりげない歌声とアコースティックなアレンジでよみがえった名曲の数々は大好評を呼んだ。
あれから約半年を経て、3月21日に『唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編』が、再び無観客配信で開催される。今回のテーマは文字通り、ジャパニーズポップスの歴史に膨大なヒット曲を送り出した作曲家、筒美京平。昨年10月7日に亡くなった稀有な音楽家への小泉今日子からのトリビュートとして、彼女に送られた筒美京平楽曲を歌う企画だ。
1983年に5枚目のシングルとしてリリースされた「まっ赤な女の子」を皮切りに、彼女が歌ってきた筒美楽曲はシングルだけでも10曲に及び、カップリングやアルバム曲も含めると30曲を超える。「半分少女」も、「迷宮のアンドローラ」も、「ヤマトナデシコ七変化」も、「魔女」も、「なんてったってアイドル」も、あの曲もあの曲もそう。全曲を筒美作曲で統一した『Betty』というアルバムもある。80年代デビューのアイドルとして、これほど多くの筒美作品を歌った存在は他にはいないだろう。
筒美が彼女への楽曲に込めたアイデアや思いには、歌を通して応えたいという思いから行われる2回目の『唄うコイズミさん』。この試みは、「自分が歌う意味をまた見つけた」という最近の彼女にとって、次への助走でもあるようだ。ライブを前にした彼女の言葉を聞いた。(松永良平)
どんどん「小泉今日子」というキャラクターがはっきりしていった
ーー去年の8月21日に配信された『唄うコイズミさん』第一回に続き、今回は『唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編』が3月21日に行われます。筒美さんのトリビュートライブは小泉さんからの提案だったと聞きました。
小泉今日子(以下、小泉):そうなんです。筒美さんがお亡くなりになったとき、いろんな新聞社やテレビ関係の方から「一言いただけませんか」という取材の依頼が来ました。だけど、私と筒美さんのつながりって曲を通じてでしかなかったのに、それだけでその人を語ってしまうのがなんかイヤだなと思ったんですよ。すごくたくさん私のシングル曲を書いていただいて、『Betty』(1984年7月)というアルバムのように一枚まるまる筒美さんの曲だったりするのもある。しかも、筒美さんに初めて書いていただいた「まっ赤な女の子」(1983年5月)から、まさに私の転機が訪れた。そういうつながりはあるんですけど、当時の私はあまりにも子どもすぎて、ちゃんとお話をした記憶がなかった。だから、筒美さんが書いてくださった曲を歌うことでしか語れないと思ったし、今回のライブでそれができたらいいのかなという感じです。
ーー「まっ赤な女の子」から「BEAUTIFUL GIRLS」(1995年11月)までシングルA面曲だけで10曲あるし、アルバムも含めたら小泉さんに30曲以上を筒美さんは提供されているんですよね。全曲を筒美さんの作曲で統一した『Betty』も特筆すべきアルバムです。なので、音楽を通してだけのお付き合いだったというのが驚きでもあります。
小泉:大人になってから一度だけお食事をご一緒した記憶があるんですけど、何を話したのかとかあんまり覚えてないんです。筒美さんはすごくおしゃべりなさる方でもないし、私もそんなにしゃべらなかった。もちろん筒美さんの声やいろんなお姿は覚えてますけど、語れる感じじゃないんです。もちろんレコーディングには来てくださって、キーを決めるためにピアノを弾いて「ちょっとここ歌ってみて」みたいなことは何度もあったと思うんですけど、私が本当に大人としゃべらないタイプだったので(笑)。なんていうんですかね、かわいくできなかったというか。
ーーでも、そういうところで見え隠れするかわいさも筒美さんはちゃんと見ていて、曲に拾い上げていったんじゃないでしょうか?
小泉:そうなんですかね? 私は「京平先生!」みたいにできなくて、「こんにちは」みたいな感じだったから。
ーー小さい頃から筒美京平さんという存在は知っていました?
小泉:はい。デビュー前のレッスン曲には南沙織さんに筒美さんが書かれた曲もありましたし。「サザエさん」の主題歌も筒美さんだったし、昔からよく見るお名前で、有名な人だとは知ってました。だけど、具体的にその存在について考えたことはなかった感じです。
ーーさっきもおっしゃってましたけど、筒美さんとの最初の出会いは「まっ赤な女の子」。小泉さんにとっては5枚目のシングルでした。
小泉:はい。そこからディレクターが田村充義さんに変わりました。田村さんという人は、「この子っていったいどういう子なんだろう?」って興味で初めて私を見てくれた気がするんです。田村さんは私に「どんな音楽聴いてるの?」とか「好きなミュージシャンいる?」みたいなことを聞いてくれたんです。それに答えたら「何、この子、オタクっぽいとこある。おもしろいじゃん」って思ってくれて、そういう曲を考えてくれたんだと思います。
ーー当時の田村ディレクターの証言では、筒美さんからは「まっ赤な女の子」と次のシングル「半分少女」(1983年7月)を同時に渡されたというエピソードがありました。
小泉:みんな結構、筒美さんの曲が欲しくて順番待ちしてたくらいだったと聞くんですけど、よく私にいっぱい書いてくれたなと思いますね。かわいそうだったからかなぁ(笑)。
ーーいろいろ曲を書いてみたいと思わせる存在だったからじゃないですか?
小泉:私自身まだカラーが迷走してたから、逆に「何でもあり」だったんだと思うんです。だから、たとえば他の歌手の人だったら「こういう戦略でこういうタイプの曲が欲しいんです」という発注になるところが、私の場合は「なんかおもしろいことやりましょう」みたいな感じだったのかな。そうすると筒美さんはアレンジのこともすごく指示をされる方だったと聞いたことがあるので、「じゃあこういうことも試してみようか」みたいに思える自由さがもしかしたら私に書く曲にはあったのかなと思ったりします。
ーーその遊び心の最たるものが「なんてったってアイドル」(1985年11月)。
小泉:当時、最初に曲をもらったときは「これ歌うんだ? でもまあ、他に歌える人いないのはわかるっちゃわかるよ」みたいな気分でやってたのを思い出しますね(笑)。
ーーイントロで〈なんてったってアイドル〉と高らかに宣言するように歌うアイデアは筒美さんだったそうです。
小泉:あれはすごいですよね。ヒットする曲って一音目から様子が違いますもんね(笑)。
ーー筒美さんのメロディは、曲としての歌いやすさもありましたか。
小泉:歌いやすいですね。演じやすいという感覚だったかもしれないです。「まっ赤な女の子」って、サビですごく音符が飛ぶんですよ。〈まっ赤な女の子〉の〈コ〉のところ。私は歌があんまりうまくなかったから、その分「おもしろい」とか「楽しい」と思えるところを作ってくれたんだと思います。メロディでキャッチーなところを作ってくれて、そのキャラクターに私が引っ張られていった感じもあるんです。
ーー歌詞の世界に引っ張られるというのはよくあると思うんですが、メロディにもそういう要素はあるんですね。
小泉:〈ぬれたTシャツドッキリ〉ってフレーズも、自分で言うのもなんですけど、歌がうまい人が歌ったらそんなにおもしろくないと思うんです。そこをおもしろく感じて演じるように歌ったことで、どんどん「小泉今日子」というキャラクターがはっきりしていったところは今思えばあるかもしれません。
ーー当日歌う曲はまだ内緒ということですが、すごく楽しみです。
小泉:筒美さんの曲で歌ってみたいのはたくさんあるんですけど、この『唄うコイズミさん』のバンドだったらこういう曲が似合うかなと思って選んでます。