寺嶋由芙が考える、アイドルとゆるキャラ・サンリオキャラクターの共通点 卒業論文を一部公開
寺嶋由芙が、本日3月2日に『マツコの知らない世界』(TBS系)に出演。「サンリオキャラクターの世界」として、サンリオキャラクターはじめ様々なキャラクターについて語る。そこで、1stアーティストブック『まじめ』から寺嶋が執筆した“アイドルとゆるキャラ”についての卒業論文の一部を特別に掲載(本文は当時のまま、図表は未掲載)。サンリオキャラクターに言及した部分もあり読み応えのある内容となっており、全文は『まじめ』で読むことができる。なお、3月6日には『まじめ』blueprint限定版のオンラインサイン会開催も決定している。(編集部)
物語としての「ゆるキャラ」/寺嶋由芙
はじめに
私は小さい頃からかわいいキャラクターが大好きで、高校生の頃から「ゆるキャラ」が気になって仕方なかった。当時、友人達はそんな私を珍しがっていたが、気がつけばいつの間にか、世間では空前のゆるキャラブームである。
そして、それに負けない熱量をもって盛り上がっているのが「アイドル」。実は私はアイドルも大好きで、大学生になった頃、好きが高じて自分でも「アイドル」として活動を始めてしまった。
「アイドル」であり「ゆるキャラファン」、という立場でそれぞれのイベントに参加すると、運営のあり方やファンとの距離感について、両者にはかなり近いものがあるのではないかと感じられることがしばしばある。私含め、人々はなぜこれらにこんなにもハマってしまうのか。ふと立ち止まって考えた時に、「物語」というキーワードのもと、両者の共通点が見えてきた。こうした共通点を、今の自分の立場を生かしながら分析することで、2つのブームの現代社会における意味を考えてみたい。
ゆるキャラブームとアイドルブームの相似
ゆるキャラとは
一般に、「ゆるキャラ」という名称は漫画家・イラストレーターなどとして活躍するみうらじゅん氏が提唱し始めたとされ、主に各地方自治体のPRを目的としてつくられたマスコットキャラクターを指す。ほとんどが無名、かつそれぞれの地方で独立して活動していたが、みうら氏の呼びかけをきっかけに各地のゆるキャラを一堂に集めた企画が行われるようになり、二〇〇八年からは「ゆるキャラまつり in 彦根〜ゆるキャラサミット」なる、全国各地のゆるキャラが集まるイベントが開催されるようになる。初回の参加キャラ数は四五体。二〇一〇年からは、「ゆるキャラまつり」に併せて事実上の人気投票、「ゆるキャラグランプリ」も開催、こちらも年々規模を拡大しており、二〇一三年のエントリー数は一五八〇体、そしてその結果発表イベントもかねて埼玉県羽生市で同年一一月二三日、二四日に行われた「ゆるキャラさみっと in 羽生」においては、両日の参加キャラは四五二体、初日朝には「一日のマスコット最多集合数」(三七六体のゆるキャラが五分以上同じ場所にとどまる)でギネス世界新記録に認定されるなど、その規模は年々大きくなってきている。
ちなみに、みうら氏は「ゆるキャラ三か条」として、以下のような条件を挙げる。
「一、郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性がある事。
二、立ち居振る舞いが不安定かつユニークである事。
三、愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせている事。」(*1)
これに加えみうら氏は「原則として着ぐるみ化されていること」も条件として指摘している。
しかし現在ゆるキャラはその数も、彼らが所属する自治体や企業の数も増え続けており、明確な定義はできない状況である。実際、二〇一三年の「ゆるキャラグランプリ」では「企業・その他」という枠も設けられ、企業をPRする目的で生まれたキャラクターたちも参加することが許された。
アイドルとは
アイドルとは、いわずもがな、歌やダンスを基本として演技、バラエティなど多方面で活躍する芸能人のことである。アイドルの歴史は長いが、今回は昨今のいわゆる「アイドル戦国時代」の中で活動している女性アイドルに焦点を当てて考えていきたい。
アイドル戦国時代とは、二〇一〇年頃からはじまったとされる、女性アイドルグループが多数登場し、活動している現在の状況をさす。二〇一〇年当時は、いまや国民的アイドルグループとなった「AKB48」を筆頭に、その姉妹グループ「SKE48」や、過去大ブレイクした「モーニング娘。」、独自の路線で注目を集める「ももいろクローバー」(現「ももいろクローバーZ」)等、多くのグループが活躍しており、インディーズシーンまで見渡せばさらに多くのグループが次々とデビュー、それぞれが「ポストAKB」を狙ってしのぎを削る状況であった。この流れは現在も続いており、二〇一三年一一月現在までの印象としては、やはりAKB48の強さは揺るがず、あとを追うグループの中では二〇一二年末に紅白初出場を果たしたももいろクローバーZが一歩抜き出た印象である。インディーズシーンの熱気も冷めることなく、他との差別化を図り様々なコンセプトのアイドルグループが誕生し続けている。
そんな中、二〇一〇年から開催されている「Tokyo Idol Festival」が年々規模を拡大している。毎年夏に行われているこのイベントは、「アイドリング!!!」プロデューサー門澤清太氏が総合プロデューサーを務めており、「日本最大級のアイドル見本市」を目指して考案された。初回は品川ステラホール、二〇一一年からはフジテレビ湾岸スタジオを会場とし、二〇一三年の入場者数は過去最高の三三〇〇〇人を記録した。
ゆるキャラブームとアイドルブームの相似
ゆるキャラブームの火付け役とされる彦根城築城四〇〇年記念キャラクター「ひこにゃん」の誕生は二〇〇七年。そして翌二〇〇八年、初めての「ゆるキャラまつり」が開催され、二〇一〇年からは投票制のイベント「ゆるキャラグランプリ」がスタート。初年度は四三体が参加、投票一位は「ひこにゃん」であったが、二〇一三年には一五八〇体のゆるキャラが参加し、規模は桁違いに大きくなった。
一方、AKB48は二〇〇五年にデビューし、二〇〇九年「AKB48選抜総選挙~神様に誓ってガチです~」を実施。また、同年十月、一四枚目のシングル『RIVER』にてグループとして初めてオリコン一位獲得、「Mnet Asian Music Awards ASIAN RECOMMEND賞」、「第42回ベストヒット歌謡祭 ゴールドアーティスト賞」、「第51回日本レコード大賞 特別賞(AKB48/秋元康)」等を受賞したことを受賞したことをきっかけに、このあと様々な賞を総嘗めにしていくのも興味深い。そしてそのすぐ後ろを追うポストAKB・ももいろクローバーZは結成から四年で、目標に掲げていた紅白歌合戦出場を達成している。
「ゆるキャラ」、そして「アイドル」。二〇一〇年ごろから盛り上がり始め、二〇一三年まで熱量を持ち続けている両者のブーム確立までの期間がほぼ同時期、かつ同程度の長さであったことは非常に興味深い。さらにもう一つ、この両ブーム確立の大きなきっかけとなったのが「投票制イベント」を取り入れた結果だという点も重要である。先述した「ゆるキャラグランプリ」、そして「AKB48選抜総選挙」においてそれぞれが『人気投票』を行ったことが、両者の人気が過熱した大きな要因であるといえる。しかしなぜ「投票」なのか。
『ディズニーの隣の風景』(二〇一三年)において、同書の著者である円堂都司昭氏は、浦安市民が主体となって二〇一〇年に開催した「ウラヤスフェスティバル」を以下のように評している。
「ディズニー的なものに慣れ親しんだ浦安市民が、新しい祭りを創出しようとした時、『イッツ・ア・スモールワールド』、『エレクトリカルパレード』を模範としたような世界の一体感を謳ったのは、無理のないなりゆきだった。ところが、ディズニーにおいてミッキーが中心なのは前提条件だが、市民ベースであることが掲げられ、ディズニー主催でもない『ウラヤスフェスティバル』ではミッキーの登場はYOSAKOI、ねぷたなどと並列の一要素でしかない。結果として、『ウラヤスフェスティバル』をディズニーと比べた時、ミッキーのような祭りの中心が不在であることが浮かび上がった。だから、テーマがわからない、とりとめがないなどの批判が出たのである。昔の富士山のごとき霊的なよりどころ、伝統を失った、現在の祭りについてまわる困難である。それに対し、YOSAKOI、サンバなど各地の踊り主体の祭りの場合、毎年、ダンス・チームを競わせてコンテストを行い、対象の座という中心を作ることでイベントの強度を高めるところが多い。浦安の場合、ミッキーマウスという、すぐ近くに存在する強力な疑似神体の助けを得られるだけ、幸せなのかもしれない。競争によるイベントの盛り上げは、ご当地グルメの祭典、Bー1グランプリも同様である。
いずれにしろ、不在の中心をいかに充填していくかは、各地の歴史の浅い祭りにとって課題であり続ける。これが、私たちの愛すべき『故郷』、『地元』である。」(*2)
『不在の中心』に座すに足るなにかを生み出すためコンテストが行われるというシステムは、「ゆるキャラグランプリ」そして「AKB48選抜総選挙」と通ずる。すなわち、各地の「不在の中心」である「ゆるキャラ」の中からさらに頂点となる存在、目指されるべき存在を生み出すのが「ゆるキャラグランプリ」であり、グループの、あるいは日本のアイドル界の中心となりうる人材を生み出すのが「AKB48選抜総選挙」なのだ。この点についてはまたのちほど、「『人気投票』は『神』の創出」の章でより詳しく考えていきたい。