大森元貴、ソロデビューEP『French』全曲解説 バンドの鎧を脱いだ、ボーカリストとしての卓越した表現力
2.メメント・モリ
『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)内のレギュラーコーナー「ミセスLOCKS!」(2020年12月29日放送回)で披露された曲。その時はアコースティックギターでの弾き語りだったが、正式リリースに伴い、アコーディオンが印象的なバンドアレンジに変貌した。アコーディオンの温かい音色だけでなく、行進したくなるようなテンポ感、弾むリズム、時折飛び出してきては曲全体のフックとなるスネアやボンゴなどのパーカッション楽器がこの曲を朗らかにさせている。終盤には2度の転調があり、さらに華やかになってから曲が終わる構成だ。
サウンドが明るい一方、「メメント・モリ」というタイトルからも察せられるように、歌詞では大森の死生観が伝わりやすくシンプルな言葉で綴られている。大森が生み出してきた作品には“全ての物事はいつか終わる”ということが歌われた曲が多数あり、大森から死生観を描く曲が出てくること自体に違和感はないが、これだけ色濃く表出している例は珍しいのではないだろうか。〈自分の最期は、/なんてこと無いのです。〉というラストフレーズはそれのみを抜粋すると投げやりに聴こえるが、この言葉、この結論に達するまでの詞と音の運び方が秀逸だ。じっくりと噛み締めてほしい。
3.わたしの音(ね)
「メメント・モリ」が“いつか死にゆくと自覚している人が人生について歌った歌”であるのに対し、「わたしの音(ね)」は“いくつもの別れを経験してもなお、その先を生きなければならない人目線の歌”であるように思う。L-Rから聴こえる2本のエレキギターとともに紡がれるこの曲はやわらかい質感のバラードで、低音域を中心としたボーカルも地声メインでナチュラルな温度感。時に弱さを打ち明けるその歌は、大勢に聴かせるためのものというよりは、近くにいるたった一人にしか聴こえない独白といった感触だ。「わたしのね」と読むタイトルも、「私のね、」と話しかけているみたいで不思議な親密感を醸し出す。
わずか2分45秒で終わるこの曲は、Aメロ→Bメロ→サビという構成ではなく、一度登場したパートは再度登場しない、一筆書き的な構成をしている。さらりとした読後感、そこに含まれた余白にあなたはどんな想いを巡らせるだろうか。
考察
こうして各曲に対する解釈を書いてみると、3曲とも生と死ーーひいては時間の経過や記憶の所在について歌われているように思える。ここでアートワークを見てみよう。一見何かの植物のようだが、右下に目玉や鱗のような影があるため、“植物のような尾びれを持つ魚”にも見える。くるりと翻る物体は、尾ぐされ病(観賞魚によく見られる病気。ひれが裂け、重症化するとやがて死に至る)に侵された魚の尾びれでありながら、生の歓びを享受する植物の瑞々しい葉でもあるのか。生きているということは、同時に死に向かっているということ。もしかしたらこのイラストは、そのアンビバレントな真理を暗に表現しているのかもしれない……というのは筆者の妄想に過ぎないため、ぜひいろいろと想像を巡らせてみてほしい。
もうひとつ3曲の共通点を挙げるとすれば、歌の質感だろうか。無理に明るく振舞うでもなく、逆にダウナーに振り切ることもない。バンドという鎧を脱いだボーカルは、いつにも増してナチュラルな佇まいだ。だからこそ、この3曲を聴くと、Mrs. GREEN APPLEのフロントマンである以前の“人間・大森元貴”のコアに触れているような気がしてドキドキする。2作目以降も聴きたいとシンプルに思うし、これに伴い、Mrs. GREEN APPLEの活動をはじめとした大森元貴の表現はさらに発展していく予感がするものだ。
■蜂須賀ちなみ
1992年生まれ。横浜市出身。学生時代に「音楽と人」へ寄稿したことをきっかけに、フリーランスのライターとして活動を開始。「リアルサウンド」「ROCKIN’ON JAPAN」「Skream!」「SPICE」などで執筆中。
■作品概要
大森元貴 1st Digital EP『French』
2021年2月24日(水)配信リリース
ダウンロードはこちら
<収録曲>
1. French
2. メメント・モリ
3. わたしの音(ね)