嵐 櫻井翔 “夢の場所”で在り続ける国立競技場などを訪れてーー建築を巡る旅を通して学んだ、その先に広がる世界の見方
“櫻井翔”と“建築”ーーこの2つのキーワードを見てすぐに雑誌『Casa BRUTUS』(マガジンハウス)での連載を思い浮かべたあなたは、きっと嵐が、特に櫻井翔という人間が好きで仕方がない人だろう。もちろん、筆者もその一人にカウントしてもらって結構だ。
2011年3月号から約10年にわたり同誌で連載されている「櫻井翔のケンチクを学ぶ旅。」。この連載では、櫻井が日本各地のさまざまな建築を訪ね、その魅力を実際に観て体感したことを、ありのままの言葉でリポートしている。12月9日に発売された2021年1月号では、櫻井自身が表紙を飾り、国立競技場、そして国立代々木競技場という嵐にとって聖地である2つの建築物を訪れた模様が掲載されている。
まずは11月3日のグループ結成日に配信された『アラフェス 2020 at 国立競技場』の舞台、また2021年に延期された東京2020オリンピック・パラリンピックのメイン会場として使用予定の国立競技場に足を踏み入れた櫻井。『アラフェス2020』のほか、昨年の『第70回NHK紅白歌合戦』で披露した「カイト」のパフォーマンスにてすでに芝生の感触まで確かめていた同地を、櫻井は「今までも、これからも、ずっと“夢の場所”です」と言い切る。
嵐の櫻井翔というフィルターではなく、櫻井翔個人の主観と視点が読み取れる同連載では、そこに築かれている建造物を、外観、内観、時には鳥瞰で眺めながら、歴史や風土、建築技術、それを使用する者の目線で素直な感想が述べられていく。だが、国立競技場という地においては、嵐である櫻井翔の視点も言わずもがな重要となってくる。「夕暮れの刻々と変わる空の色を大勢で一緒に味わえるし、天井が吹き抜けているから街と地続きな感じがする。それは新しくなった国立競技場も同じでした」と語ることができるのは、以前の国立競技場と、今現在そびえ立つ国立競技場、どちらも体感した経験があるからこそ。
紆余曲折を経て、隈研吾のデザイン案が採用された現在の国立競技場。多くの人はテレビなどを通してその姿を認識しているだろうが、実際目にすると想像していた以上に大きな五つの庇(ひさし)と、至るところに植えられた植物が一体となったその存在感に驚く。オリンピック会場という明確な目的のもと建設されたこの建造物は、真に使用する者=オリンピック選手にとって間違いなく“夢の場所”だ。櫻井もそれを十二分に理解した上で、以下のように述べている。
(国立競技場が“夢の場所”であることは)僕ら嵐にとってもそれは同じ。11月3日に配信したライブでは、すべての夢を叶えられたわけじゃないから。(中略)もし何年か後にまた嵐でライブをやりたいと思っても、その時にこの場所に立てるかは分からない。だから、国立競技場への気持ちは、2008年に初めてコンサートをした時と同じ。これからもずっと、“夢の場所”なんだと思います。
まもなく活動を休止する嵐だが、“夢の場所”である国立競技場に再び立てるかどうかはわからないと答える櫻井。それは、再び5人が嵐の名のもとに集まったとして、必ずしも国立競技場の地を踏むにふさわしい存在であるか定かではない、ということだろう。または、現在の新型コロナウイルスのように状況や環境がそれを許さない可能性も大いにありうる。それでもこの言葉を受けて、いつか必ず、嵐5人が満員の国立競技場の地に立つ日はくると、どうしても信じたくなる。嵐だけではなくファンにとっても、国立競技場は“夢の場所”で在り続けているのだ。