鹿野淳に聞く、『ビバラ!オンライン2020』開催の決断まで コロナ禍におけるオンラインライブの意義と課題も

今模索していることから新しいライブのサブ要素は生まれる

ーー今まさに準備を進めている最中だと思うのですが、普段とは異なる形の開催ということで、ブッキングなどはスムーズにいっているのでしょうか。

鹿野:はっきり言いたくないのですが、はっきりと言うべきことなのではっきりと申し上げますが、とても難しいです。通常の『ビバラ』は全部で100組ほどの出演者がいますが、今回は100組全てに出てもらえる枠は作れなかった。まずこれが一つの難題。一方で、世の中にオンラインライブが増えてきていますよね。実際に自らがオンラインでのライブをやった中で、「オンラインは難しい」と感じたというアーティストもいるんです。観客がいないところでどういう思想や思考を張り巡らしながらライブをやるのか、とアーティストとして改めて自分たちのライブのあり方を苦心しながらも考え、その結果、オンラインでは、無観客ではライブをやらないという選択をするアーティストもいます。というかむしろだんだん増えているとも思います。

  しかも、オンラインのライブに出演する決定までって、通常のライブやフェスとは違って、とても複雑なんです。要は配信なわけじゃないですか。そこにはライブを現場でやるのとは異なる、放映に関する権利が細かく存在するんです。そこをクリアにしないで気持ちだけで出演決定とはいかないんですよね。

 実は、オンラインライブって、通常のライブやフェスの構造で音を鳴らしたりライブを届けるというより、テレビ番組やレコーディングなどに近い部分も多いと、やろうとすればわかってくるんですよ。だから通常のライブのやり方で、ライブの音源をそのままハコ鳴りの感覚で世の中に出すアーティストもいれば、オンラインならではの構築した音作りで臨むアーティストもいると思うので、その対処方法をちゃんと用意できないと、オンラインで複数のアーティストが出演するフェスの開催は難しい。だから色々考えて動いています。場合によっては音響スタッフもライブのスタッフではなくレコーディングのスタッフがいい、というアーティストもいると思うんですよね。そういう話を実際にも聞いています。だから突き詰めれば突き詰めるほど、今までのフェス、ライブとは違うことをやらなければいけない。要は新しいライブの様式かどうか、ということではないけれども、今模索していることは明らかに今まで突き詰めてこなかったことだし、ここから新しいライブのサブ要素は生まれるし、何かの気づきにはなると思うんです。なので、大いに意味はあることだなと思っています。

 さらにオンラインフェスの難しさを話すと、例えばワンマンのオンラインライブは、前日やその日1日、その場所で入念なチェックや練習、リハーサルを全てやった上で配信するからフラストレーションやトラブルがより少ないかもしませんが、『ビバラ』のようなフェスの場合はオールマイティに皆が使いやすいインフラを用意して、そこで出演者が順番でライブをすることになります。そういうワンマンとの違いを考えていくと、やっぱりアーティストとしては出演を悩むという現状もある。新しい時代にライブをやることに対する葛藤の中で、すごく大きな、難しいポイントと今立ち向かいながら『ビバラ!オンライン2020』は進んでいると思います。その上でここが一番大事なのですが、今回のオンラインによる『ビバラ』にも、最高のアーティストやバンドが集まってくださるんです。様々な疑問やハードルや葛藤を乗り越えて出演の意思を持っていただいた最高のアーティストが集まってくださるということが、何よりも意味があることだと思い、心から感謝しています。

ーーなるほど。今回は2ステージ制でやるということですが。

鹿野:はい。通常のステージエリアと、それとは別にもう一つステージを作ります。これは通常だとオーディエンスがスタンディングで観覧するフロアのど真ん中をステージにするものです。会場を2つ使う2ステージ制も考えましたが、そうすると映像班が倍になったり、中継車が二台になったり、手間とお金もだいぶ違ってきますし、場所が増えるとトラブルが起こった時に中枢スタッフとしての対処もより困難度が増すので、1カ所で2ステージを作った方がいいんじゃないかと確信しました。もちろん、サウンドチェック等の段取りなどは同スペースゆえに難しくなるんですけどね。

 ライブ配信の場合、ステージを使うよりもフロアの真ん中でやった方が360度で撮影できるからいいという意見もありますし、音響的なやりやすさからレコーディングスタジオを使うことも多いですよね。これまたなかなか正解はない中で、多くのアーティストが試行錯誤をしていると思いますが、『ビバラ』もよりベターな2ステージ制を求め色々と考えているところです。

“フィジカルに頼らない音楽の楽しみ方”をあらためて考えなければ

ーー少し具体的な話題になりますが、以前のインタビューで負債額の試算が2億5000万円だというお話がありました。そのあと一度延期になり、最終的にオンラインライブという形になりましたが、この開催で収益の見込みはあるのでしょうか。

鹿野:まず春の断念ですが、現実的な負債は試算した金額まではいきませんでした。音楽業界は良くも悪くも狭い業界で、結果的にみんながお互い泣き合う中で、『ビバラ』の延期や中止も成り立っています。我々としては想像よりも負債が減って本当にありがたかったのですが、その裏では数々の我慢を我々とシェアしてくださった方々がいらっしゃるわけです。僕らが泣く額が少なくなった分だけ、他の誰かが泣いている。それは長い年数をかけて恩返ししなくちゃいけないことだと大きなフェスを主催する身としては思っています。

 今回のオンラインライブでの開催で莫大な収入が入ることは、残念ながらないと予測しています。利益を求めることはこういう時だからこそより大事なことだと思うんですが、現状のオンラインライブでは難しいということです。確かにオンラインでのライブは入場制限、ソールドアウトがないものですし、利益も無限であるとも言えると思います。しかし、きっとまだ送り手も受け手もそこまで行っていないというか、黎明期なんですよね。

 オンラインって、エンターテインメントの体感の仕方が全然違うじゃないですか。値段設定に関しても、通常のライブやフェスの価格と比べると、『ビバラ』の場合で言えば約3分の1の金額になっている。いってみれば現状のオンラインライブの価格は、月額制の配信サービスとも比較される中で設定していかないといけないんです。だけどやろうとしていることはリアルなライブとほぼ同じ、むしろ映像という加点ポイントもあるからそれ以上になるので、利益を生むことはとても難しいと思っています。

ーーそれは側から見ていても感じますね。

鹿野:『ビバラ』は主催の中にGYAO!がいることがオンライン開催のきっかけでした。夏の開催が難しくなった時に「たまアリでできなくなった時に御社のインフラを使って一緒にできる機会はあるんですか」とGYAO!に相談をし、大火傷しない形でオンラインを開催できる状況まで作ってもらいました。それで開催に踏み出したので、現実的に大きな利益を生むことは考えてもいませんし、今のところ予算の立て方としても、オンラインでフェスをやろうとして利益を優先するのはなかなか難しいのではないのかなと。ただ、もし多少の利益が出た場合、仕事がなくなってしまっている音楽業界の方々の支援プロジェクト、「Music Cross Aid」に回そうと思っています。

 今オンラインライブを開催しようと思っている人たちの多くは、きっとその行動自体がメッセージなんだと思います。ここで一歩踏み出すことによって、新しい日常と、今までの日常が戻ってきた時への架け橋、中継地点になると信じてやっている。ただし、そうなるためには様々な課題もあります。例えば、通常のライブは1枚のチケットで会場に50人は入れませんが、オンラインなら1枚で50人が観る可能性もあるといえばあるでしょう。それはオンラインでライブをやる側としては望んでいないことだし、一人一人がチケットを買ってくれることを信じて、様々な試みや演出を施してライブに向かっているということを、もっと切実に伝えなきゃいけないとも思います。だから、考え出したらオンラインでのライブエンターテインメントのビジネスの難しさはとてつもないんです。それも含めて、やっぱり今自分たちがやっていることが、向かっている道筋が正解だとは思っていませんが、進むべき道だとは思っています。

ーー少し話を戻しますが、オンラインフェスにおける“体感”とは何なのでしょう。

鹿野:今までとは違うこと、見えない人たちと同じ楽しみを求め合っているエクスタシーは、オンラインライブの中にあると信じています。オンラインゲームやランニングアプリでも同じなんですが、オンラインならではのライブの楽しみ方はありますよ。例えばオンラインライブと、テレビでライブを観ているのは同じじゃないかという意見もありますが、そう思っている人にとってはそれ以上でも以下でもないものでしょう。ただ、万全の準備で編集されて生まれたものの美しさとは違う生々しさがオンラインにも関わらずに生ライブ配信にはある。それをライブハウスやアリーナで体感できないのであれば、体感できる場所としてオンラインは今は貴重なものだと思います。それこそライブをオンラインで見ることによって、その演じ手の想いや息遣いを生のライブより伝わりづらいから、さらに知ろうとすると思うんです。それはオンラインならではのライブをイメージする楽しみ方、想像力が増すということでもあるし、結果的にそれがアーティストや音楽にとっても、よりユーザーの理解が増すということに繋がると僕は思っています。

 その中で生々しさを追求するためにどうすればいいのか。オンラインに合わせてやることを考えているライブもありますが、自分はどちらかというと、オンラインのフィルターを通して、コミュニケーションを取ろうとするアーティストが、観ている人と同じ時間を過ごす中で何を発するのか、その緊張感を受け止められる現場をどうしたら作れるのかを考えています。オンラインは目の前にお客さんがいないし、反応が明確に感じられないから難しいという意見も聞くので、まだ調整中ですが、『ビバラ』では会場で同じ時間にこのライブに集中している人たちがいることを何らかの形でダイレクトにステージに向けて伝えたいと思っています。最低限、オンラインでライブを体感している人たちの「声」は届けたい。

ーー今年の夏はフェスが中止や延期になり、皮肉にもフェスにとって大きな転換点になっていると思います。来年以降のフェス事情はどう変わっていくと考えていますか。

鹿野:この国のフェスって2年前くらいが大きな転換点だったんですよ。2010年代に入ってからフェスが流行りの音楽を生んできた数年間がありましたが、それが消化不良を起こし始めて、2年前ぐらいからフェスに端を発した音楽性へのカウンターの音楽が生まれていったと思うんです。『ビバラ』は2014年、フェスの過渡期に始まったので、そのことに開催時から自覚的でした。雑誌メディアが中心になって開催するフェスでもあるので、フェスのマーケットにこだわらないフェスをやるという気持ちを持って、ブッキングや日別に音楽のジャンル性、傾向を作るなどにこだわって、7回目までたどり着きました。

 アーティストも2000年代半ばから2010年代の半ばくらいまで、音楽フェスという存在にいかに恩恵を賜ってきたのかを感じながら、依存しすぎることの危険性を考えて、音楽性や姿勢を変えながら今に至っています。先ほどフェスをオンラインでビジネスにする難しさについてお話しましたが、フェス自体もビジネスとして考えると、とても難しいものになっていると思っていて、その中でさらに追い討ちとしてコロナ禍が起こっていき……。最近はアーティストがフェスを主催することが主流になりつつありましたが、そういったアーティストのワンマンライブの発展形としての祝祭すらも開催できなくなってしまったのが今年ですよね。やはりフィジカルに頼らない音楽の楽しみ方を今、あらためて考えなければいけないとは思います。

 そもそも音楽はライブに今のポップシーンを見出していますが、本質的には音楽がライブに依存しすぎても仕方がないですから。音楽の聴かれ方がCDからサブスクリプションに変わってきた。つまり楽曲が「もの」ではなくなったことによって、その反対側にある体感、生々しさ、手触りをライブは体現しています。最高の相互関係がそこにはあると思うんです。だけどもっと根本的に、ポップミュージックとしてこの先にどうあるべきなのか?それは楽曲を作ることと、ライブをやることの二つに軸がありますけど、どちらともフィジカルやノリに頼らない、本当の意味で感動してもらう音楽と音楽活動を多くのアーティストが新しい視点で考えていて。それによって歌詞もリズムも、この2年間ぐらいで変わってきたと思います。黒人音楽のリズムは、今のポップミュージックの根源そのものですから、そこからの引用が増えたのが、つまりは根源に音楽が立ち戻るべきだという批評性そのものだと思うんです。このことはコロナの影響で始まったことではないけれど、ただこの残酷な出来事が変化のスピードを早めたということは大きいです。

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