KID FRESINOとカネコアヤノの個性が交わる「Cats & Dogs」 移りゆく街の日常を描写するふたつの視線

 一曲を通してKID FRESINOとカネコアヤノは互譲することなく、自らのスタイルを貫くわけだが、なぜか調和が取れているように感じるのはどうしてだろうか。ひとつは、雨まじりの曇天というテーマを共有しているからであり、もうひとつは、詞(リリック)で描かれる情景が共通して街の日常であるからだと推察する。振り返るとKID FRESINOとカネコアヤノは既発表曲でも街の日常を描写しており、その描写は切実なまでにリアリティを帯びている。例えば、C.O.S.A.×KID FRESINO の「Love」における〈片側だけLightが灯るClubの朝方のノリを遠くから眺める〉や、「Retarded」での〈新宿この歓楽街高いビルに/飲まれ Feel like I’m dead/むしろ Kill me〉といったリリックは、寂寞とした雰囲気が滲み出る真に迫った一節だ。カネコアヤノであれば「燦々」での〈出窓から見える向かいの家のこどもがひとり/バスケの練習してる〉や、「アーケード」の〈騒がしい路地の隙間から/西日が差すだけ泣きそうで〉という詞。なんともありがちな街の風景に少しの物悲しさを添えて切り取っている。

C.O.S.A. × KID FRESINO - LOVE (Prod by jjj)
KID FRESINO - Retarded (Official Music Video)
カネコアヤノ - 燦々 @ SHIBUYA全感覚祭
カネコアヤノ - アーケード @ Alternative Tokyo

 本作に立ち返ると、KID FRESINOのパートでの〈濡れて色を増すよう大東京 0時過ぎの信号 一人きりで反射してるstreet〉というリリックと、カネコアヤノのパートの〈都市開発は進んでく〉という歌詞を並べると、別々のふたりの目を通して映し出された同一の街の日常のように感じる。アプローチや表出方法こそ違えど、見えている世界が近しいからこそ、違和感なくひとつの作品として成り立ち、むしろ立体感さえ感じることができるのだろう。そういう意味において、KID FRESINOとカネコアヤノの共作は「同世代である」という理由を超越し、作家性からくる必然性を感じずにはいられない。そして、ふたりの持ち味がそのまま相乗りしているような本作は、互いの既発表作品への有効なイントロダクションになるはずだ。ぜひ、既発表作品にも触れ、ふたりの目を通して映し出された世界を感じ取って欲しい。

■Z11
1990年生まれ、東京/清澄白河在住の音楽ライター。
一般企業に勤務しながら執筆活動中。音楽だけにとどまらず映画、書籍、アートなどカルチャー全般についてTwitterで発信。ブリの照り焼きを作らせたら右に出る者はいない。
Twitter : @Z1169560137

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