アーバンギャルド 松永天馬に聞く、バンドの半生と音楽活動のこれから「変化をできるだけ楽しみたい」

 現在、浜崎容子(Vo)、松永天馬(Vo)、おおくぼけい(Key)の3名で活動するアーバンギャルド。紆余曲折あるバンドの歴史、そしてメンバーの半生を振り返った『水玉自伝~アーバンギャルド・クロニクル~』が刊行された。今回、松永天馬へのインタビューを行い、“戦友”だというメンバー2人への思いや、ライブが思うようにできなくなった今、音楽活動のこれからをどう考えているのかまでをじっくりと語ってもらった。(編集部)

アーバンギャルドは“三権分立”が成立している

アーバンギャルド - 言葉売り URBANGARDE - KOTOBAURI(Word seller)

――まずは、『水玉自伝~アーバンギャルド・クロニクル~』が制作された経緯を教えてください。

松永天馬: 2018年に10周年を迎えたので、そろそろバンドのことを振り返ってもいいんじゃないかと思ったのがきっかけです。アーバンギャルドの歴史って、基本的にインターネットに書いてあるのでアーカイブは探れるんですが、ネットってどんどん情報が埋もれていくじゃないですか。だからネットの海に埋もれてしまう前に、一冊の本にまとめたいと思ったんです。あとはメンバーとの軋轢や、脱退、加入の事情を生々しく書いているので、ファンにとっては刺激が強い部分もあると思いますが、そういった生傷がもうそろそろかさぶたになってきた頃かなと思ったので、このタイミングで文章化したというのもあります。

アーバンギャルド 少女にしやがれ LIVE

――松永さん、浜崎容子さんのパートはライターの藤谷千明さんがインタビューしていますが、おおくぼけいさんはご自身で文章を書いていますね。

おおくぼけい

松永天馬:最初は僕と浜崎、フロントマン二人の自伝を出す予定だったんです。でも取材期間中(2019年3月)にギタリストの瀬々信が脱退して3人になったので、おおくぼも何か載せた方がいいんじゃないかということで、自分で文章を書いてもらうことになりました。おおくぼはアーバンギャルドの歴史でいえば後半になってから入ってきたので、俯瞰的にバンドを見ている人だと思います。そういう意味でも、この形が適していたんじゃないかな。僕が最初から最後まで自分で書くのは、客観性がなくなるから嫌だと思っていたので。藤谷さんが構成に入ってくれているのもそういう理由です。ある程度、俯瞰してもらった上で、自分の想いを綴りなおすという作業をしたかったんですよね。

――学生時代など、かなり昔から振り返っていますが、取材時間はどれくらいかかりましたか?

松永天馬:取材自体は、約2時間半のインタビューを浜崎と松永で各4回ずつですね。それを藤谷さんが文章に起こしてくださったのは2019年の春だったんですが、そこから注釈をつけたり、おおくぼの文章を追加したりと、とにかく編集に時間がかかりました。ちなみに注釈を何故こんなに沢山入れたかというと、アーバンギャルドは、色々なメディアやサブカルチャーの影響を受け、それをクリエイティブに昇華してきたバンドなので、その歴史を語る上で、固有名詞や一般的でないバンドの名称も多く出てきたんです。だから、これは注釈を沢山入れて田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』のように、本文を注釈で批評するような本にしても面白いと思ったんですよね。で、作り始めたら注釈が350項目くらいになったという(笑)。

――『読書感想文コンクール「わたしの水玉自伝」』と題し、noteで本書の感想文を募っていますが、この企画の意図は?

松永天馬:うちのファンは、とても真面目なのですよ。たとえば、普段もらうファンレターの内容も、楽曲やライブについてずらーっと書いた小論文のようなものであったり、あるいは私小説のようなものであったり。精神科病院に入院している子が、自身の日記を連載小説のように定期的に送ってくれたこともありました。そういう子たちが多いので、本を読んで「自分も何か文章を書きたい」という気持ちを喚起させられたらいいなと思って、この企画を始めました。今届いている文章を読むと、感想や評価というより、「アーバンギャルドが生きたこの時代に、自分は何を考えていたのか」といった形で、本を通して自分の人生を振り返ってくれている印象があります。

――松永さん自身は、半生を振り返ってみて自分に対する新たな発見はありましたか?

松永天馬

松永天馬:アーバンギャルドは、メンヘラや病、都市などをキーワードに少女性を描いてきたバンドですが、その少女性というのは、僕が歌詞やコンセプトを作り、それを浜崎さんがアクトすることによって成り立つと思っていました。渋谷系で例えるなら小西康陽さんと野宮真貴さんのような、映画監督と女優に似た関係だと。でもこの本を読み返したら、僕自身が少女だったことに気づきました。今はステイホーム期間ということもありこんな髭ボーボーの見た目をしていますが、実は非常に繊細で乙女チックな心を持っていたんです(笑)。だから、僕は性自認が女性というわけではないけれども、自分の中にある少女性を作品で昇華してきたんだと思います。アニマ(男性の無意識に潜む女性性)、アニムス(女性の無意識に潜む男性性)という言葉がありますが、僕の中のアニマがアーバンギャルドだったのかもしれないですね。

――では、浜崎さん、おおくぼさんに関する新たな発見はありましたか? 浜崎さんはあとがきで、松永さんについて「10年以上一緒にやっていたのに何も知らなかったな」と書いていましたが。

浜崎容子

松永天馬:おおくぼとは年代が少し違いますが、好きなものが結構似ていたことに気づきました。筋肉少女帯とか、白塗りの演劇とか。やっぱりアンダーグラウンドの人が通る道ってあるんですよね。浜崎は世代が近いですが、僕とは違うバックグラウンドがあって、それがアーバンギャルドに足りなかったピースを補ってくれてたんだと思いました。彼女は4代目のボーカルですが、アーバンギャルドは彼女が入って初めて音楽的に成立した印象があります。アーバンギャルドは、かつては僕の頭の中の世界をいかに形にするかを突き詰めていましたが、その反面、音楽的なことが伴っていなかったんです。僕は基本的に楽器が弾けないままここまで来てるので、楽器を練習して、まずコピーをやって、それからオリジナルのバンドをやる……という、いわゆるバンドマンが通る普通の道を通っていないんですよ。だからボーカルの技術を考慮せずやたら難しい歌を歌わせたり、撮れもしないのに無理矢理MVを撮ったり、そういうことを繰り返していたので、きちんと歌えてアーバンギャルドの世界を表現できる浜崎が入ったことは、すごく大きかったと思います。

――お二人は、ご自身にとってどういう存在だと思いますか?

松永天馬:“戦友”という言葉が相応しいかもしれないですね。決していいことばかりではない、むしろ悪いことも多かった戦いの時期を一緒に乗り越えてきた仲間ですから。家族や恋人よりも、お互いの深いところを曝け出してきた相手だと思います。僕たちはレコーディングや曲作りの時によく喧嘩をします。真夜中に突然LINEで曲についての議論が始まることもよくあります。でも僕らにとってはそれが普通で、毎回そういった激論の末に作品を作り上げてるんです。もちろんそれは相手をけなしたいのではなく、本当に良い作品を作りたいから、美しいものを掴みたいからやってるんです。だから、アーバンギャルドは決してワンマンバンドではないんです。僕のコンセプトを具現化してくれるメンバーがいて初めて成立するし、歌うことに関しても、まずは浜崎がいて、その上で僕というボーカルがいるので。アーバンギャルドって非常に不思議な力関係で成り立ってますよね。いま話題の“三権分立”が成立しているんですよ(笑)。

――ということは、バンドとしては今がすごくいい状態だと。

松永天馬;悪い状態ではないですが、僕は今がベストだとも思っていないですね。今回は10年を一区切りに本にしましたが、アーバンギャルドは現役のバンドなので、僕はまだまだやりたいこともあるし、こうしたらもっとよくなるんじゃないかという希望をもって活動しています。議論することや新しい音楽を作ることって、非常にエネルギーがいるので疲れてしまうアーティストも多いと思うんですよ。だから懐メロとか既存のファンが喜ぶような曲を作ってしまいがちなんですが、僕はやっぱり表現を信じているので、新しいことにどんどん挑戦していきたいですね。でも新しいことばかりをしていると資本主義に殴られてしまうので、その辺は悩ましいところです。

――「資本主義に殴られる」というのは?

松永天馬:本でも書いていますが、僕は大学4年生のときに「資本主義に殴られた」瞬間がありました。prints21という出版社でバイトしようとしたときに、当時社長だった室伏哲郎先生という経済評論家の方に、「雑誌がどうやってできてるかわかるか?」って聞かれ、「読者に買ってもらった売り上げですか?」と答えたら、「バカヤロー、雑誌は広告収入で成り立ってんだ。広告がとれるような記事を書かないと意味ねぇんだよ」と言われたんです。もちろん広告が載っているのは知っていましたが、売り上げだけで雑誌は成立するもので、広告はプラスアルファだと思っていたので、かなりショックを受けました。

――そのくだりは、編集者である私としても耳が痛かったです(笑)。

松永天馬:本ってネットより燃えにくいですよね。過激なことを書いてもTwitterとかで糾弾されない限りは炎上しない。それを踏まえて、あえてこのリアルサウンドというネット媒体のインタビューの場で言いますが、今の音楽業界は、批評がしづらくなっていると思います。それは、広告がないと音楽雑誌が成立しなくなっているから。だから音楽雑誌は、基本的にアーティストを持ち上げることしかできない。肯定しか許されず、批判ができないんですよ。もっと批評や批判はあっていいと思うし、それはSNSなんて掃き溜めでやるんじゃなくて、紙媒体やWEBマガジンなどのきちんとしたクリティックの世界でやってほしいですね、勇気のあるライターが(笑)。そういう意味でいうと、『MUSIC MAGAZINE』の「クロス・レヴュー」という、音楽に点数をつけるコーナーは、今の日本の音楽業界でタブーとされていることを実践できていると思います。ちなみにそのコーナーで、僕らは松山晋也さんという音楽評論家に「これは自分は聴きたいとも思わないし、全く理解できない音楽だ」と言われ、0点をつけられたことがあります。そのとき僕は「よっしゃあ! ミューマガおじさんに理解できない音楽を作ってしまったぞ!」と思いました(笑)。松山晋也さんとは、今はFacebookでやりとりするような関係で、決して仲が悪いわけではないですけどね。

――それはある意味、革命ですもんね。

松永天馬:既存のリスナーが理解できないものを作るのは面白いことだと思うし、それに対して理解できないって表明することも面白いと思う。映画や文芸は、ある程度批判を許容しているような気がするんですが、音楽、その中でもとりわけポップスは、なぜ批評を許さなくなってしまったのかな。近田春夫さんの「考えるヒット」も、昔に比べたら大分物腰が柔らかくなりましたよね(笑)。もっと激しくやりあった方が面白いと思うんですけどね。ただ、批評がどういった媒体で成立するのかは悩ましいです。正直紙の媒体はもう厳しいんじゃないかなと思っています。コロナの影響で本もどんどん電子書籍に成り代わっていくだろうし。だから、音楽批評の主戦場が今後どういった場所になるのかには非常に興味があります。

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