ドラマー林立夫が語る、『東京バックビート族』の背景とスタジオミュージシャンに惹かれた理由

林立夫が語る、“東京バックビート族”の背景

 細野晴臣、鈴木茂、高橋幸宏、小原礼などとともに、1970年代から日本のポップミュージックを支えてきた名ドラマー・林立夫。その半生を綴った『東京バックビート族 林立夫自伝』が今年2月に上梓され、音楽ファンを中心に大きな話題を集めている。

 50~60年代の音楽、映画、ファッションをリアルタイムで体験し、70年代からはレコーディングミュージシャンとして活躍。さらにキャラメル・ママ、ティン・パン・アレーのメンバーとして、荒井由実、吉田美奈子、矢野顕子などの作品に参加。『東京バックビート族』には、林のキャリアが日本のポップスのもっとも良質な時期と強く結びついていることが克明に記されている。

 リアルサウンドでは、林自身にインタビューを行い、『東京バックビート族』の背景を中心に、ドラマーとしてのスタンスや音楽観、現在の音楽シーンに対する印象など、幅広いトピックについて語ってもらった。(森朋之)

僕らは“新しいことを知っている知り合いがいる”という感じ

ーー『東京バックビート族』、大変興味深く読ませていただきました。せっかくの機会なので、いろいろとお伺いできればと思います。林さんは昭和26年(1951年)生まれ。10代が1960年代にあたりますが、その頃に聴いていた音楽がミュージシャンの原点になっているそうですね。

林:まちがいなくそうでしょうね。子供の頃に聴いたものは、頭ではなく、身体のなかに入っているので。当時は音楽的にもお好み食堂のようだったというか、何でもあったんですよ。ハワイアンの曲がヒットしたかと思えば、カントリーミュージックが流行ったり、ジャズやロックンロールもあって。日本では多くの多才な先輩方が活躍していて、言い方が良くないかもしれないけれど、彼らが活躍していた時代には戦後のどさくさの名残みたいなものがあった。そういうなかで多感な時期を過ごしていたので、当然、影響は受けますよ。

ーー戦後、アメリカの文化が一気に入ってきて、東京の風土と混ざり合い、独自のカルチャーが生まれていきました。林さんもその影響を受けたと。

林:ええ。戦後あたりのことは話でしか聞いてないけれど、抱腹絶倒のエピソードばかりで、僕ら世代の話よりも断然面白い(笑)。テレビが一般的になってきたのは小学校1、2年の頃だったと思いますが、僕らよりも前の人たちは、もっと積極的に情報を取りに行かないと何もわからなかったはずなので。その柔軟さ、逞しさはすごいですよね。米軍基地で演奏していた人たちの影響もあったと思いますし、横浜、神戸、沖縄など、港町がある土地の人たちも新しいものをよく知ってましたね。僕らは“新しいことを知っている知り合いがいる”という感じだったのかな。

ーー当時の日本の文化的な背景もそうですが、林さんが10代の頃から高橋幸宏さん、小原礼さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんなどと交流があったことも興味深いです。東京の狭いコミュニティから、優れたミュージシャン、プレイヤーが次々と登場したのはどうしてなのか……。

林:その理由は僕に聞かれても分からない(笑)。ただ、似たようなことは海外でも起きているんですよ。この本を書くにあたって、10代の頃に好きだった音楽を改めてチェックしてみたんです。たとえばロックンロールでいえば、ジーン・ヴィンセントやエルヴィス・プレスリーもそうですが、1930年前後の10年間くらいにニューオリンズ州、ミシシッピ州あたりで生まれたミュージシャンが多い。The Beatlesもそうですよね。彼らが演奏していたリバプールのキャヴァーン・クラブには、面白いバンドがいっぱい出ていて、お互いに影響を与えていたはずなので。当時の僕らはその日本版だったのかもしれないです。今みたいにインターネットもないし、人とのつながりがより重要だったんですよ。キーパーソンが何人かいて、その人たちを介してさらにコミュニティが広がっていく。『東京バックビート族』にも書いてありますが、そういう連中は少なからず、ある程度以上の生活レベルだったということも一つポイントではあるかもしれません。当時は1ドル=360円の時代。アメリカに行こうと思ったら、ちょっとアルバイトするくらいでは無理ですから。

ーー生活に余裕のある家の子供たちが海外に行き、東京に新しいカルチャーをもたらしたと。

林:言葉を選ばずに言えば、ろくでもない息子、娘たちですよね(笑)。ただ、親の金で遊んでいたことを全否定するつもりはなくて、そのおかげで良い経験ができたのであれば、それはそれでいいと思っているんです。彼らの容赦ない遊び精神が次につながったわけだし、そのおかげで僕たちもいろいろなことを経験できたので。

ーー林さんはお兄さんの影響でドラムをはじめ、いくつかのバンドを経験した後、70年代の初めからセッションミュージシャンとして活動をはじめました。その後、細野晴臣さん、松任谷正隆さん、鈴木茂さんらとティンパン・アレーを結成し、数多くのアーティストのレコーディングに参加。当時、スタジオミュージシャンの立場はどのようなものだったのでしょうか。

林:僕がスタジオミュージシャンに興味を持ったきっかけは、夢中になって聴いていたレコードのクレジットを調べるようになったことなんです。じつは多くの楽曲をスタジオミュージシャンが演奏していること、ハル・ブレイン、アール・パーマーといったドラマーや、いろいろなミュージシャンのこともわかってきて。いちばん有名なのは、The Wrecking Crew(ロサンゼルスを拠点としたセッションミュージシャンたちによる集合体)ですよね。それ以来、音楽の聴き方、興味の対象が変わっていったんですよ。一方、日本の音楽はといえば、スタジオミュージシャンが活躍するフィールドには芸能界というものが屹然と存在していて。僕らがいた界隈と芸能界には大きな隔たりがあって、橋もかかっていなかった。つまり、カルチャーがまったく違っていたんです。

ーー当時に芸能界がメインストリームだとすれば、林さんたちはオルタナティブな存在だったんでしょうね。

林立夫:結果的にはそういうことでしょうね。僕らは海外のスタジオミュージシャンのあり方に惹かれていたので、当時の芸能界にはまったく興味がなかったんです。実際に話したわけではないけれど、少なくとも僕は、芸能界に行きたいという気持ちはまったくなかった。ただ、だんだんと自分たちの音楽に注目が集まって支持されてくると、歌謡界から橋が架けられたんですよ。少しずつ行き来が始まって、僕らのマインドのまま、歌謡界でもレコーディングができるようになっていきました。その頃ですね、いちばんスタジオの仕事をやっていたのは。

ーーThe Wrecking Crewがアメリカのポップスの黄金時代を作ったように、「自分たちが日本のポップスの質を上げたい」という意識もあったんでしょうか? 実際、林さんたちが参加した70年代の作品が、日本の音楽の源流になったわけですが。

林:当時はそこまでは考えていなかったですね。もっとシンプルに、「まずは自分たちが“いい”と思える作品が出来ればいい」というだけで。音楽的なアイデアはたくさんあったし、レコーディング現場の作業がとにかく好きだった。その先のことは、わかる人がやればいいという感じでした。たとえば村井邦彦(アルファレコードの創立者)さんもそう。ユーミン(荒井由実)をデビューさせるために、僕らをレコーディングに呼んだのは村井さんなので。

ーーたしかにユーミンの登場は日本のポップス史の大きなトピックですよね。

林:いまの日本のポップスが形作られた大きなきっかけの一つだし、今も存在感を放っているのは素晴らしいと思います。歌詞とメロディが素晴らしかったんですよね、最初から。メロディの流れにまったく無理がなくて、歌詞も「こういう場面を描いているのか」という驚きがあって。そういう曲は演奏していても楽しいし、冥利に尽きますね。

ーー『東京バックビート族』では「BLIZZARD」(松任谷由実)のレコーディングのエピソードが記されていますが、ドラムのフレーズを当日決めることもあったとか。

林:はい。「こんなグルーヴはどうかな?」と相談しながら、その場でアレンジを決めることもけっこうあったので。「BLIZZARD」はメロディを聴いたときに、映画『白い恋人たち』のイメージが浮かんだんですよね。なので、真っ白な雪のなかをスキーで滑走する映像を思い浮かべながらフレーズを考えて。吉田美奈子のレコーディングでも、キャラメル・ママのメンバーでヘッドアレンジを作ってましたね。松任谷正隆も言ってますけど、その作業がいちばん楽しいんですよ。誰かがアレンジを決めるのではなく、意見を出し合って、「それ、いいね。だったら、こういうのは?」とやり取りしながら演奏するという。そういうニュアンスは、譜面には書けないですからね。

ーー本のなかには「“プレイヤー”というよりも、限りなく“リスナ―”的な脳みそで」音楽を作り、演奏しているときは歌を聴いているというエピソードも。そのスタンスはメンバー同士で共有されていたんですか?

林:「こういうスタンスで」と話し合ったことはないですが、フィーリングで感じていたし、だからこそ仲良くなったんでしょうね。一緒に演奏していれば、「歌を聴いているな」というのはわかりますから。ポップスには必ず歌があるし、メロディラインや歌詞を中心にするのは当然と言いますか。それは日本も海外も同じだと思います。本のなかで対談している3人のドラマー(高橋幸宏、伊藤大地、沼澤尚)も、みんなそういうタイプですね。

ーー歌を解釈して演奏に結びつけるためには、音楽以外の素養も必要ですよね。たとえば映画の知識だったり。

林:映画は観たほうがいいですね。ただ、いまのハリウッド映画を観ても、あまり意味はないかもしれないです。先日、最近のハリウッド映画をまとめて観ましたが、どれもあまり面白くなくて。脚本は演出の意図が見え見えというのかな。昔の映画とは、作品力が違う気がしますね。

ーー同じことが音楽にも言えるのかもしれないですね。

林:可能性はあるでしょうね。YMOのヒット曲じゃないけれど、胸がキュンとするような音楽に出会うことがほとんどなくなってしまいました。過去の音楽には、それがあるんですよね。最近、村井邦彦さんがFacebookで昔のアルバムを何枚か紹介していたんですよ。たとえば、Sergio Mendes And Brasil '65*の『In Person At El Matador』とか。10代のときに繰り返し聴いたアルバムですが、いま聴いても本当に素晴らしい。胸キュンですね(笑)。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる