『……』インタビュー
あらかじめ決められた恋人たちへ 池永正二が語る、劇伴の経験生かした制作活動とインストの強み
映画『宮本から君へ』の劇伴や映画『ブルーアワーにぶっ飛ばす』の音楽監修、ドラマ『カカフカカ』の音楽など、様々な映像作品にまつわる音楽にも携わりながら、インストバンド・あらかじめ決められた恋人たちへの中心メンバーとして活動する池永正二。2019年は数多くの劇伴音楽を担当し個人としての活動も盛んな中、11月には、あらかじめ決められた恋人たちへとして3年半ぶりのオリジナルアルバム『……』(読み:リーダー)を発表した。今回リアルサウンドでは池永に、劇伴音楽とバンドでの制作の違いや共通点、インストに対する考えや池永の音楽の軸などについてじっくりと語ってもらった。(編集部)
劇伴をやる時はこうでしょ? って思い込みがあった
ーー最近、サントラ盤をよくやってますよね。今年だけでも6本くらいやってる。
池永正二(以下、池永):ありがたい話で、やっぱりお金を稼がないと生活できないんで(笑)。元々映画音楽とか劇伴はやりたかった夢のひとつだったので、やらせてもらえるのはすごく嬉しいですし、大変ですが楽しいです。
ーー映画『ブルーアワーにぶっ飛ばす』の音楽担当は松崎ナオさんで、池永さんは音楽監修というクレジットですね。ほかの作品は池永さんが音楽担当です。音楽監修って何をやるんですか。
池永:松崎さんが劇伴を初めて担当したので、間に入ってなんかやってくれへん、てことでやらせてもらいました。曲は松崎さんが作るんですけど、それを映像のここに当てはめたほうがいいんじゃないか、とか一緒に話をして。劇伴ってやっぱりアーティストっぽさがハマる部分とハマらない部分と、微妙なバランスが大変で。あんまり音楽が前に出過ぎるとミュージックビデオみたいになっちゃう。(音楽を前に)持っていける時は持って行ったほうがいいんですけど、そのタイミングとかバランスを「こっちのほうがいいんじゃない?」、「いや! 私はこっちや」とか、いろんな話をしながらやっていきました。
ーー松崎さんはアーティスト性の強い人だから、そこを映画音楽に上手く馴染ませるための通訳みたいな感じですね。
池永:そうそうそう。僕は家で映像をDTMで貼りながらできるので、松崎さんの曲を貼っつけたのを見せて、「こっちのほうがいいんちゃう?」、「じゃあこういう曲が必要じゃないか」とか、「ここで歌が入ってセリフと歌詩が当たっちゃうと厳しいよな」って話しながらやっていく。
ーー歌い手ってこういう考え方するんだとか、発見があったんじゃないですか。
池永:考え方が全然(違う)……僕は劇伴の考え方になってた! って思って。そういうつもりは全くなかったんですけど、アタマ固なってたと思って。思いもよらないような、ここにこれ入れんねや? っていう跳躍力が(松崎に)あって。独特の発想が面白かったです。普通劇伴じゃそれ絶対しーひんやろっていうことがフッと出てきた時に、はじめは絶対ナシやろと思ってたのがハマることもあって。人によって視点や考え方がいろいろあるんやなっていうのがわかった。
ーー長年、池永さんがサントラ仕事をやってきて覚えたセオリーとは違う発想だった。
池永:そう。僕も最初にやった時はそういう決まり事を知らないからアーティスト側の発想でやっていたんです。僕は、劇半作家ほど劇伴メインではなく、アーティストなんだけど劇伴もやる人みたいな、間をやりたかったのが面白いところかなと思っていたんですけど。どうも最近、劇伴側に寄っていたんやと思って。劇伴をやる時はこうでしょ? って思い込みがあった。それは人とやって気づきました。
ーー劇伴の場合、元のオリジナルとなる発想は監督であって、池永さんの役割は監督の意向や映像の向かうところをバックアップするってことだと思うんですけど、ご自分の作品になると、発想の元は自分自身になるわけですよね。
池永:そうです。あら恋は大変やなって今回(『……』を)作って思いました。やっぱりなかなかできなかったんです、3年半。
ーー新作『……』は3年半ぶりの新作ですが、作らなかったんじゃなくできなかった?
池永:できなかったです。ベスト盤(『あらかじめ決められた恋人たちへ - 20th BEST - 』、2017年)を出して、さあ何しようってなって、いろいろ作ってはいたんですけど、なんかハマらなかった。これじゃ前と一緒や、って。何をやりたいかわかんなかった。作っても作っても、なんか合わへんなって。
ーー池永さんぐらい長くやっていると、手癖で作るだけでそれなりのものができちゃうんじゃないですか。
池永:そうなんですよ。それが全然面白くないというか。
ーー最初は取るに足らないようなつまらないものでも、いじっていく内に面白くなるっていうのは、ありますよね。
池永:ありますね。でも今回はそれがなかなかできなくて。足しても足しても、引いても引いても、なんか聴かせられるものにならない。今の感じにフィットせえへんなっていうのが、長く続いて。
ーー何が理由だったんですか。
池永:やっぱり時代が変わった気がするんですよ。日々いろんなニュースを見て今の時代の空気を吸って生活するけど、その生活感に合わへんというか。前作の時はまだバーン! って感じが響くまだ隙間のある時代だった。でも今ドカン! ボン! ドン! って感動する感じでやっても、なんか違うなって。めっちゃ激しいもの、前に前に前に前に! って、なんかうりゃー! って感じのもの。そういうの、好きなんですけどね(笑)。根本的にはそこなんですけど、なんかそれだけじゃリアルに響いて来なくって。Netflixの『アトランタ』(ラッパーのチャイルディッシュ・ガンビーノが主演、監督、脚本を手がけるドラマ)を観て、すごくフィットして、あの熱すぎずクールすぎないニュアンスはとても好きでした。わかるーと思って。
ーーあら恋も、非常にクールな音響的な部分と、もうちょっと熱を感じさせるような部分が上手くバランスしてますよね。
池永:それがちょっと熱くなりすぎてた、いつのまにか。今までやってきたものになんか違和感が出てきて。あんまフィットせえへんなぁ、なんか違うなぁ、じゃあ新しいもの作らなきゃなぁ……できへん! みたいな感じやって(笑)。なんか合わへんなあって。
ーー今回そういう迷いが出てきたのは、時代状況が変わったのが大きい理由であると。
池永:大きいと思います。やっぱり、もっと暗くなってる。前も暗い暗いって言うてましたけど(笑)、それに輪をかけるように暗いですよ、今。
ーー前作の時のインタビュー(参考:あら恋・池永正二がダンス・ミュージックに向かう理由「歩みを止めないで前に進むものをやりたい」)では「今は空虚がアティテュードとして通用しない時代だ」って話になってましたよね。もはやシャレにならない状況になってると。
池永:それがよりエスカレートしてきたというか。今まで積み上げてきた暗い要因がここになって結実してきてる(笑)。笑いながら言うことでもないんですけど。
ーーたとえばどういう場面で感じますか。
池永:Twitterとか見てたら、なんか揉めているなって。そういうところで言い合っていても仕方ないんじゃないかな、ってところでヘンに揉めているでしょ。意見を交わすわけじゃなくて、お互い言い切って終わりみたいな感じとか。
ーー匿名同士がやりあう、ネット上の殺伐とした感じが3年半前よりエスカレートしている感じはあるかもしれないですね。
池永:ねえ? そこまで言わなくても会うて話したら? って。まあ、会うて話さないからSNSって面白いんでしょうけど。こうやって喋ってたら案外普通に終わる話でしょ。瞬間的な短文投稿にそこまで熱狂しなくてもいいんじゃないかと思う。所詮、つぶやきなんだから。
ーーそういう重苦しい時代の閉塞感みたいなものの中で、それに乗っかっちゃう手もあると思うんだけど、それではダメだと思ったということですよね。
池永:そうですね。暗いよね、って言っちゃうとそういうふうになっちゃうじゃないですか。みんなでそういうふうな雰囲気を作っちゃってる。それは嫌だなと思いました。暗いからこそどうするのか。そこで明る過ぎると現実逃避だし、だからと言って暗いよね〜っていうものを作っても面白くない。今日は穏やかな日だなって、そういう瞬間もありつつ、落ち込む日もあったり、その日々が音楽になっていくので。
ーーなるほど。
池永:あと、ベスト出したからこそ、余計に新しいもの作らないとなと。新境地をやりたいなと思ったんです。でもそれにこだわり過ぎると、これじゃ新しくないとか、別のものになり過ぎているとか、それも違うなとか思ってしまって。
ーーあら恋らしくないものを作りたかったんですか。
池永:そうそう。そういう曲も作ってみて、これは違うなと思って(笑)。鍵盤ハーモニカが乗らない曲とか。
ーーなるほど。そりゃまずいですね(笑)。
池永:それで開き直ってモロあら恋で行こうと思ったら、案外あら恋じゃない感じのニュアンスのものができました。開き直るといいんやなと。