HY 新里英之&名嘉俊&許田信介に聞く、結成から20年の歩みと最新作『RAINBOW』の真髄

HY 新里&名嘉&許田に聞く20年の歩み

「プレッシャーを乗り越えた瞬間があったからこそ、僕らは今も強い」(新里)

ーーリアルサウンドには今回が初登場なので、改めて皆さんのこれまでの歩みを振り返りたいと思います。 結成は2000年で、もともと新里さんと名嘉さん、宮里さんは中学が一緒だったんですよね。

名嘉:はい。高校になって、(許田)信介と(仲宗根)泉が入って。大好きなアーティストと同じ音楽番組に出たいな、と話しながら、皆で(宮里)悠平の家に泊まっていました。20周年を迎えられるようなバンドになるとは、想像もしていなかったですね。

名嘉俊(Dr)

許田:すごく良いタイミングが続いたなと感じています。中学校でずっとベースをやっていて、実は行きたい高校に落ちて皆がいる高校に行ったんですよ。当時HYでベースをやっていたメンバーが大学を目指すために辞めて、悠平に誘ってもらったのがきっかけで入りました。

新里:メンバーと出会って、夏休み中に皆でギターを持ち寄って他のバンドのコピーをするところから始めました。その後、最初の曲「ホワイトビーチ」を、高校最後の思い出を残そう、とレコーディングしに行って。この曲をストリートライブで披露してみようか、と。最初はなかなか人も集まらなかったけど、口コミで広がっていきました。2001年にアルバム『Departure』を出して、初の全国ツアー『ASSE 03』。僕らを待ってくれている方がいるのかなって心配だったんですけど、全国ソールドアウトになりました。

ーー当時、47都道府県ツアーは画期的でしたね。

新里:で、2枚目のアルバム『Street Story』がミリオンセラーになって。楽しく、純粋に音楽をやっていたら、認められた。だからこそ、その後の3枚目(『TRUNK』)は大きなプレッシャーを感じましたね。その中でも自由に、自分たちらしさを出そうと努力しているんだけど、なかなか出てこない。皆のストレスも少しずつ溜まって、コミュニケーションがなくなることで、少しのすれ違いがどんどん大きくなって。でも皆が持ってくる歌詞に、“これを乗り越えたらきっと、また次の自分たちが見える”っていう、プラスの言葉がたくさん書かれていたんですよ。プレッシャーを乗り越えた瞬間があったからこそ、僕らは今も強いんだと思います。

ーー2004年発表の『TRUNK』あたりから、曲のバリエーションがさらに増えていった気がします。ストリートライブから大ブレイクして、バンドのキャリアとしては順調に見えましたけど、その中では複雑な思いや、曲を作る上での壁もあったと。

名嘉:たくさんありました。でも、浮き沈みは誰にだってあるものだから。その中で自分たちは、音楽で食べていく仕事になった。気持ちを切り替えるタイミングを乗り越えながら、何よりもメンバーと欠かさずにコミュニケーションをしてきたのが、今に繋がっているのかなと思いますね。

ーー今の音楽シーンでは多くのバンドがライブを軸に据えていますが、2003〜4年くらいはまだCDリリース中心という活動スタイルも多かったと思います。そんな中、HYはライブを軸にして『ASSE 03』のような47都道府県ツアーを開催するなど、先駆け的な存在だったように感じます。ライブに力を入れていくのは、大変なこともあったのではないでしょうか。

名嘉:元々ライブバンドとしてスタートしているから、それが当たり前だと思っていました。

新里:ライブハウスから、Linkin Parkのオープニングアクトを務めた日本武道館まで、色々な経験が力や自信になって、今回のアルバムも生み出せた。会場ごとに試行錯誤することによって、曲が成長していって、新しい振り付けも生まれるので、ライブは本当に生き物です。僕たちは、メンバー同士仲間という意識で繋がっていて、そこに大好きな音楽が奇跡的にマッチングしていった。ライブはCDでは味わえない人柄も感じられるから、それを見てほしいと思っています。

ーーライブの途中で「イーズーコーナー」(仲宗根泉による企画コーナー)があったり、音楽だけでなく、皆で楽しめる演出も増えていきましたね。

許田:そうですね、年々「イーズーコーナー」で面白いことをやるのに抵抗がなくなってきているというか、むしろやりたい自分がいて。演出もちょっとずつうまくなっているかなと思うし、楽しんでくれるなら、体張ってやりたいな、と。ライブをやっていて特に自分自身が成長したと思うのが、2007年のアメリカ・カナダツアーです。トラブルがあったとしても落ち着いて対処できるようになったし、ステージングにも刺激がありました。

ーー5人の関係性は結成当初との変化はありますか。

名嘉:がむしゃらで、“怪我してもいい”ぐらいに攻めていた10代〜20代から大人になりましたね。今若いバンドを見てても、「ああ、自分たちも昔あんな感じだったな」と思える部分もあるんですけど、ファンの皆さんにも家族が増えて、2世代でHYを見にくる、という環境の変化もあって、自分たちも変わってきたと思います。何十年後にどういうバンドになりたいかについて皆が意識してきたことが、今やっと追いついてきている。HYにしかできないことをやっていこう、とよく話していますね。

新里:誰かがスランプに陥った時は、誰かが引っ張って助け合うバンドだからこれまで続けられた、またこれからも続けていける、って思いますね。

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