韻シストから感じた、20年間“好きなこと”を貫き続ける姿勢と重み 『IN-FINITY』ツアー東京公演
熱く、穏やかで、笑いが絶えない時間だった。でも、そこには、たしかな“重み”があった。続けてきたことの重み。背負ってきたものの重み。その屈強に見える肉体が、それでも、その歴史の中で負ってきたであろう傷や孤独の重み。11月24日、恵比寿LIQUIDROOMにて行われた、韻シストのアルバム『IN-FINITY』リリースツアーの東京公演。1998年に結成された韻シストにとって、『IN-FINITY』は結成20周年を記念するアルバムでもあった。
だが、そこで綴られているものが決して喜びや祝福の想いだけではないことは、アルバムの1曲目であり、この日のセットリストの1曲目も飾った「時代」のリリックを聴いても明らかだった。
〈どっかのバンドがHIP HOP路上でplayしてた
正直何ひとつこなくて 普通にスルーして通り抜けた
20年前じゃまず見れない光景〉
〈誰かの当たり前も苦悩の日々が創り上げたんだと
一人虚しく噛み締める刹那 切ないわけではないが未知とか無知なら
オレが歌うしかないから〉
(韻シスト「時代」)
ヒップホップが時代の、音楽シーンの中心部に位置している昨今。しかし、韻シストの目に映っているものは、世間のざわめきよりも、「誰かの当たり前」を作り上げた「苦悩の日々」の方なのかもしれない。その「苦悩の日々」とは、韻シスト自身がこの国における「ヒップホップバンド」のパイオニアとして積み上げてきた20年間であり、もっと言えば、様々なアーティストたちが実験や冒険を繰り返してきた、ヒップホップというアートフォームがこの世に生まれてからの長い歳月かもしれない。誰かが作った道の上を走るだけなら楽だろう。だが、道を作る側の人には、その道を作るためにかけられた時間やアイデアの重み、苦しみの価値がわかる。今、韻シストの目に映るのは、そんな積み上げられてきたものの重さの方なのかもしれない。