ceroとフィッシュマンズの現代にも繋がる“折衷性”とは? 『闘魂』での共演を機に考察
フィッシュマンズはRCサクセション、ceroははっぴいえんどやティン・パン・アレーをひとつの指標とし、日本のポップ/ロックの歴史に連なりながらも、前者はレゲエ/ダブ、後者はヒップホップ/R&Bを立脚点とすることで、バンドとしてのオリジナリティを獲得。しかし、決して「ジャンル」に拘泥することはなく、自らのスタイルを更新して行った。
テクノやアンビエントも消化し、独自のトランス空間を生み出したフィッシュマンズ最後のオリジナルアルバム『宇宙 日本 世田谷』と、リズムの構造そのものを見つめ、ポリリズムを多用したダンサブルな作品であるceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』は、ともにジャンルやシーンとは切り離された、孤高の輝きを見せる作品だったように思う。
もう少し言えば、1997年にリリースされた『宇宙 日本 世田谷』は、編集や加工を駆使したPro Tools時代の先駆け的な作品でもあったのに対し、2011年にリリースされた『WORLD RECORD』はそこから約10年を経て、デスクトップからノートパソコンへと制作の環境が変化したことを背景とした作品であり、こうした技術の進化が彼らを「ジャンル」という枠組みから解放していったとも言える。
そして、2010年代も終わりを迎えようとしている現在は、スマートフォンのアプリで音楽を作ることも珍しくなくなり、いわゆるミレニアル世代は最初からジャンルに縛られることなく、より自由な創作を行うようになっている。フィッシュマンズやceroが体現してきた折衷性は、間違いなく今の時代ともつながっているのだ。
また、前述した「スマイル」での「100ミリちょっとの」からの引用が示しているように、あくまで日常に根差した視点で、ときにユーモラスに、ときに内省的に、ときにロマンチックに心象風景を描き出す歌詞の世界観にも、リンクを見出すことは可能だろう。
中でも、個人的に近いと感じるのが「移動/変容」の感覚。「移動」はceroがたびたび作品のモチーフとしていて、『Obscure Ride』にはそれが明確に反映されていたし、「川」がキーワードになっていた『POLY LIFE MULTI SOUL』もそうだった。そして、フィッシュマンズの「ナイトクルージング」や「SEASON」や「WALKING IN THE RHYTHM」から感じることのできる、夢と現実、過去と未来、生と死の境界線を緩やかに移動していく感覚は、音楽性の変遷とも紐づきつつ、両者の共通点となっているように思う。
『闘魂 2019』での共演が実現することとなったのも、フィッシュマンズが佐藤伸治亡き後も動き続けて、時間を積み重ねてきたことの賜物に他ならない。20年という泣き笑いの日々の重みを愛おしく感じながら、特別な一夜を楽しみに待ちたい。
■金子厚武
1979年生まれ。埼玉県熊谷市出身。インディーズのバンド活動、音楽出版社への勤務を経て、現在はフリーランスのライター。音楽を中心に、インタヴューやライティングを手がける。主な執筆媒体は『CINRA』『ナタリー』『Real Sound』『MUSICA』『ミュージック・マガジン』『bounce』など。『ポストロック・ディスク・ガイド』(シンコーミュージック)監修。