相対性理論、“反復と裏切り”が生み出す生命と音楽の変異 国立科学博物館ライブを見て

 先ほども記述した通り、いのちの営みは反復である。幾度も繰り返す絶滅と進化の歴史の中で、生物は自身の遺伝子(Gene:ジーン)によって膨大な情報を次世代に伝えてきた。人間はそれに加え、言葉や創作物によって情報を次世代に伝える生き物であり、その継承を我々は「文化」と呼ぶ。人々はときに、自身の繁栄よりも文化の継承に固執した。彫刻や絵画などの「形有るもの」はもとより、演劇や音楽、ファッションなどの「形無いもの」も、脚本や楽譜、文字によって伝達し続けた。それはまるで遺伝子のように受け継がれ、現代に続いている。ときに変異しながらも受け継がれ続ける人々の振る舞い、これを文化遺伝子(Meme:ミーム)と呼ぶのだ。

 「文化遺伝子」を次世代に伝えることは今まで人間にしか出来なかった行為で、しかしこれをバクテリアに託すことで、例え人類が滅んでも音楽は生き続ける。あまりにもシンプルな、しかし確実に宿るバクテリアの「いのち」に音楽を託すこと。それは全く新しい試みであると同時に、文字通り非常に「原始的」であり、だからこそデジタルデータや楽譜など、既存の伝達技術には無い全く新しい可能性をもはらんでいる。

 それは「変異」だ。生物は進化によって変異し続けてきた。バクテリアの遺伝情報に書き込まれた音楽も同じように、長い時間をかけて変異していく。人類が滅亡するほどに長い時間を経た先で、彼女の音楽はどのような姿になっているのだろうか?

 終演後、会場には拍手が湧き、舞台には緑色のバクテリアだけが残された。機械の中で静かに規則的に揺れるその姿もまた、反復していた。永い時間が経った後でいつか裏切られる反復は、彼女の音楽を知らない姿に変えるのだろう。そして相対性理論もまた、反復を裏切って進化し続けていく。

photo by Taisuke Nakano

(写真=Kenshu Shintsubo)

白石倖介
フリーライター。出版社でテクノロジー系専門誌の編集者を務め、 退職後現職。秋葉原でオタクとラップをするかたわら、 記事を書いています。最新テクノロジーと、 そのテクノロジーがエンタメに生かされる事例を追うのが好き。 音楽ライブのレポートから、漫画・ゲームなどの評論、 インタビュー、最新テクノロジーの技術解説も書くなど、 執筆領域がシームレスすぎて自己紹介に困るのが最近の悩み。 趣味は風景撮影。主にTwitterにいます。TwitterBlog

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