Neat'sから新津由衣へ、本人が明かす“DIY活動”からの転換「限界を知って手放せるようになった」

新津由衣が明かす“DIYからチームへ”

「私って、なんでもできるって信じていた」

ーー2015年に保本さんに出会ってから、一緒にやっていく上で考えていたことは?

新津:3年間という具体的な期間はお互いに考えてなかったんですけど、自分の覚悟が最初は揺らいでいたというか。このプロジェクトを本気で進めるとしたら、十代の時に不安を抱いた”スピード感”のあるレールにもう一度乗らないといけないんじゃないかと考えていました。自分の中でいろんな夢や幻想が真っ黒けっけになっている状態で、もう一度夢を追いかけるのは、人生をかけたことだしすごく覚悟がいるなと感じていたんですよ。今度は本物の自分、Neat’sで見つけたプリミティブな宝物を逃さないまま、レールに乗る強さを持てるかどうか、そこが一番重要な感覚だと思ったので、日々それを考えながら過ごしてましたね。

ーー明確に一緒にやっていけると決断できたタイミングはあったんですか? お話を聞く限り、どんどん覚悟が決まっていったようにも感じたのですが。

新津:最初の「ホップチューン」を作ったときに、これは覚悟するときだと感じました。この曲ならきっと誰にも負けないなと思えたので。でも、その曲を覆い尽くすくらいの自分にならなければとも思ったんです。その時はまだ自分よりも曲の方が大きいと感じたので「もっと大きな自分にならないと、この曲は世に出せない」と。そこから色々不安もあったんですけど、曲を聴き直すと自信が取り戻せて、その歌を歌っている自分に追いつくには、今自分が何をしなきゃいけないのか逆算しながら生きていた感じですね。

ーー音楽は保本さんに任せて一緒に作っていくという決断をしたわけですが、それをアルバムにしようというのは、どの段階で?

新津:それは「ホップチューン」のときですね。出すなら、アルバムじゃないと嫌だったんです。Neat’sのときに自分の良さとして見出していた世界観、それはシングルだけでは伝わらないと思っていました。「ホップチューン」を作ったことで表現したい世界観が明確になったので、アルバムでこの曲を世に出そうと決めました。

ーーそこから時間がかかったというのは、ゴール地点が明確で、そこにたどり着かないといけなかったから、ということですね。

新津:そうです! 何年かかるかわからないけど、こういう世界観が作りたいんだと決まっていたから、心が折れなかったんですよね。

ーー新津さん史上、一番時間のかかったアルバムですよね。そのぶん、時間をかければかけるほど、迷いも出でくるんじゃないですか?

新津:このアルバムのコンセプトが、あまりにも自分の核に近いものだったので、人生のテーマを表現していくような創作だったんです。だから、私がなぜ音楽をしているのかとつながっているので、迷ったり揺らいだりはしませんでした。

ーーそしてこのタイミングで、アートワークに関しても、ADに牧野惇さんが入ったりしているんですよね。ここに関しても手放すことを選べるようになったんですか。

新津:私って、なんでもできると思ってたんですよ。だからNeat’sもやっていたわけで、そこが自分の長所だとも信じていました。でも、それが180度変わる瞬間があって、それは保本さんの音を聞いた時なんです。最初は保本さんが作ってくれた音を、「私はそういう音が嫌いです」とはねのけて、自分の枠の中に収めようとしたんですけど、ある日それは正しくないと思ったんです。自分の枠に収めるならNeat’sでやればいいわけで、好きか嫌いかを問わずに、私という体と心にはもっと可能性があり、それは私自身には見えてないかもしれないから、他方に任せるべきだと。自分が自分の世界の住人として真ん中に立つのをやめようと思ったんです。私は王様ではないから。捉え方によってはアーティストなのに任せることが良いのかなと思われるかもしれないですけど、私の光っているものって、0.1mmの点みたいなものなんです。

ーーなるほど。では、その0.1mmを外に出すためにいろんな人の力を借りようと?

新津:私が考えた0.1mmを再現してもらおうとも思っていません。普段はその0.1mmを妄想シートという紙にアイデアをまとめて書き出したり、デモとして楽曲を作るんですけど、それを見た他の才能あるクリエイターがどう調理しようが、私はそれを楽しもうと思ってるんです。白だと思って出したものが紫でも、今は面白いと思うし、どんな色になっても新津由衣のものだって言えるようになったんです。

ーーそれを言い切れるようになった瞬間って、ある意味360度をコントロールしてきたNeat’sが崩れ去った、殻が割れた瞬間でもあるわけで。改名はその時点で決めたんですか?

新津:そうですね。新しく生まれ変わる気持ちで臨むことで次の幕が開くだろうと思っていて、その覚悟を表立って見せるためにも、本名名義に改名したほうがいいんじゃないかと保本さんに言われたんです。最初は怖かったんですけど、自分の考え方として、関わる全員を自分の体内に取り込もうと決めていたので、本名ではあるんですが、自分というアーティストの入れ物を総称する名義になったというか。もしかしたら個人的な宝物という概念は、Neat’sとして残っているのかもしれないです。でもこの本名名義は私の全てだし、私を超えていくものでもあるし。過去も今も未来も全部をつなぐ名前ですね。

ーープロジェクトとして使っていた名前がプライベートなものになり、本名名義がパブリックなものになる。面白い逆転現象ですね。

新津:自分自身を見つめて中に潜っていくほどに、自分になれるんだと思って心の旅を続けていたけど、そうではなくて。今回の方がよっぽど自分が解放されているし、自分をもっと超えていけているし、丸裸になれている。昔は本当の自分でありたいと思って内面を掘り下げていったけど、それは逆に扉を閉じちゃってたんだなって気づきました。

ーーどんどんアーティストが自分一人で完結できる時代になってきていると思うんですが、逆にいまからそういう活動を志す、もしく活動をしている人たちを見て、どんな言葉をかけたいですか? 

新津:やることは簡単だし、表現を気軽にできる時代になったと思います。でも、言葉が難しいんですけど、それを本気でやろうと思ったら「これを作って死ぬ」というくらいの覚悟がいると思うんです。でも、その死ぬ覚悟はみんながみんな持てることじゃない。私はそこにこの3年向き合ってきたから、断言できます。なので、誰でも気軽に表現できる時代だからこそ、私は絶対負けたくないんですよね。

ーーそんな中で生まれたアルバムですが、すごく映画音楽的な世界観が出ていて、それがかなりがいい方向に作用していると感じました。歌詞は100%明るいわけではないんですけど、リアルをファンタジーに変える音が絶妙だなと思いました。ご自身は映画音楽的なものを好んで聞いていた時期があるんですか?

新津:一番自分のルーツになっているジャンルだと思います。一番根幹にあるのがディズニーで、小さい時に擦り切れるほどDVDを見たり、初めて買ったのがディスニーのサウンドトラックでした。エレクトーンをずっと習っていたので、聞こえて来る音はオーケストラのようなものが多くて。私の体の中にあるメロディって、そういうところから注入されたものが多いんです。だから、空き缶が風に吹かれて転がっている音はマリンバに聞こえるし、風が笑ってる感じならこういうシンセの音だな、みたいな。自然が多いところで育ったということもあって、葉っぱと会話しながら教えてもらったメロディを出してみたりとか、いつも視覚と連動しているんです。私、聴覚より視覚の人だと思ってるんですけど、目で見た情報が音になる感じなんですよね。

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