稲垣吾郎、なぜピアノが似合う? ベートーヴェンとの親和性から考える

 ご存知の通り、晩年のベートーヴェンは聴覚を失い、絶望の中で制作活動を続けていく。その心の内を書き綴った“遺書”と捉えられている文書を前に、稲垣は「これは我々が見ちゃいけないものだったんだね」とベートーヴェンの心境を察する。そして、「自分を鼓舞するためのものだったんだ」とも。その寄り添う姿に、稲垣自身も弱さや悲しみや苦悩は自分の中に留め、人々を熱狂させる表現物を届けたいという、自分のモットーを重ねたのではないだろうか。

 番組は最後に、ピアニスト清塚信也と指揮者・佐渡裕が「歓喜の歌」(交響曲第9番)に、歌声が入る理由について語り合うシーンが収められていた。オーケストラを指揮する佐渡は「最高の楽器は声」だと考えているという。一人ずつ持っていて、高い音が出なかったり、音程が不確かだったり、リズムが不安定だったり……それこそ人間臭い楽器だ、と。自由と平等を綴った詩を歌う、その時代を生きる人々の声が加わることで完成する「歓喜の歌」(交響曲第9番)。「自由と平和を愛し、武器は、アイデアと愛嬌」と掲げる稲垣が、この時代にベートーヴェンを演じるのは、もはや必然のようにも思えてくる。

 稲垣吾郎にピアノが似合う理由。それは、白と黒の鍵盤を前に稲垣の憂いを含んだ表情から、いつの時代においてもグレーな日々に迷い絶望する私たちに、それでも「友よ、歓喜に満ちた歌をうたおう」と鼓舞する、ベートーヴェンを感じるからかもしれない。

(文=佐藤結衣)

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