『初恋』インタビュー
宇多田ヒカルが語る、“二度目の初恋” 「すべての物事は始まりでもあり終わりでもある」
「「夕凪」は「人魚」の続編みたいな曲」
ーークリスのプレイは、分かり易い派手さこそないけれど、ドラムのテクニックとしては、ものすごくハイレベルかつド変態なプレイですよね。
宇多田:そうそう(笑)。ちょっとしたニュアンスのプレイでものすごい変化を与えてくれるんです。そういえばクリスにレコーディングを依頼するきっかけとなった曲が「誓い」でした。デモができて、ミュージシャン仲間に聴かせていたら「クリス・デイヴって知ってる? 合いそうだよ?」と言われて。意識して聴いてみたら、彼の遅れ気味なノリ方が好きで。私も、と言うのも恐縮なんですけど、私がデモでドラムをプログラミングする時の遅れ方と似ていたんです。売れっ子だから無理かな、と思いつつ声をかけてみたら、快く引き受けてくれて。他の人はみんなヨーロッパ勢でしたが、彼だけ毎回アメリカから駆けつけてくれました。
――これは個人的な感想なのですが、「Forevermore」の〈愛してる、愛してる〉の後に続く〈それ以外は余談の域よ〉という歌詞に、力強さであり、現在の宇多田ヒカルが持つ作詞の凄みを感じました。
宇多田:うれしいです。『Fantôme』の時、「自分の中でのセンサーシップ(検閲)を取り払った」というお話をしましたが、センサーシップが外れた自分と向き合って曲を作ることが、いまの私にとっての成長というか。だからこの行も、自分で読んで「うんうん、そうだよね」って頷いていましたね。
――「Too Proud featuring Jevon」は端的に言うと“セックスレス”について描いているという解釈で合っていますか?
宇多田:そうそう。それを男女両方の目線から描いた曲です。
――このモチーフに着手した動機とは?
宇多田:これって夫婦に限らず、恋人間でも起こる話で、特に私が書きたいと思った理由のひとつが、もちろん海外でも全くないわけではないんですが、“特に日本で多い”という事実を知ったからでした。これ、海外で話すと、「何でそうなるの?」っていう反応なんですよ。だから日本語の歌として書くことに意味があるなって。しかも以前に観たドキュメンタリー番組から、日本の若い人たちの間でもかなり多いと知って、なおさら探求してみたくなりました。そこから日本で色濃い理由を突き詰めてみると、それは“臆病さ”であり“拒絶されることへの恐れ”なのかなって。
――なるほど。
宇多田:セックスに限った話ではなくて。ある程度の自尊心が確立されていれば、仮に信頼している相手から、意図的ではなくとも、傷つけられたり、一時的に受け入れられなかったりしても、そこで「自分に価値がないからだ」とか「もう駄目だ」なんて思わず、また相手に向き合えると思うんです。でも、そこに怖さを強く芽生えさせてしまう空気が、どこかいまの日本にはあるような気がして。失敗することへの恐怖心とか、すごいじゃないですか。“一度挫折したらもう終わり”みたいな雰囲気とか。
――それもまた“他者との関係性”ですね。
宇多田:そうそう。以前までは例のセンサーシップのせいで、発端が家族間のトラブルとか悲しい思いだったとしても、恋愛の歌にしてみたり、自分なりに隠していたんです。でもいまはこういった曲が自由に書けるようになりましたね。
ーーラップで参加しているJevon(ジェイボン)について教えてください。
宇多田:ブラジル系のルーツを持つイギリス育ちのラッパーです。この曲にはラップが入ったら面白いと思ってラッパーを探していたんですけど、なかなか上手くハマらなくて。それで自分がセンスを信頼している周囲の人たちに「最近、誰か好きなラッパーいない?」と聞いたら彼の名前が挙がって。適度にやんちゃなんだけど、品性もあるところが気に入って、ほとんど直感でオファーしました。
ーーさらにこの曲ではプログラミングで小袋成彬さんが参加しています。
宇多田:私、サンプル音源とかエフェクトに対するこだわりやオタク精神が本当に乏しくて、10年ぐらい前で止まったままなんですよ(笑)。反対に小袋くんはそういうのをたくさん触ってきている人なので、ちょっと手伝ってもらいました。
――「パクチーの唄」は、「ぼくはくま」以来の衝撃作というか……。
宇多田:実は10年くらい前から温存していた曲でして(笑)。でも、そこからどう曲に仕上げたらいいのかがずっと分からなかった。で、これも小袋くんが参加しているんですが、彼との制作のやりとりの中で、ある日、世間話からこの曲の話になって、歌って披露したんですよ。そしたらもう、「は? 何言ってるの、こいつ?」という無言の表情が返ってきて(笑)。でも「ずっと真剣に悩んでいるんだけど」と話したら、その後、「こんな感じのコードとかどうなの?」というのを投げかけてくれて、ようやく完成に至りました。
――ちなみにどうして“パクチー”だったんですか?
宇多田:単にパクチーを食べるのが好きで、カレーとか鍋とかにいっぱい入れていたから。「ぼくはくま」と同じようなノリですね。書いた時期も近かったかもしれない。すごく気に入っています!
――「残り香」は20年のキャリアと30代という年齢があってこそ書けた艶っぽさだと感じました。
宇多田:たしかに30代感のある歌詞かも。〈ワイン〉なんてこれまで使ったことなかったし。
――「残り香」の喪失感から「大空で抱きしめて」の浮遊感へと続いていく曲順の流れが絶妙ですね。
宇多田:今回の曲順でも特に最後の4曲の順番はよく考えました。「大空で抱きしめて」は自分の曲の中でも珍しいぐらいに、前半と後半でがらっと雰囲気が変わるんですが、その転換を演出しているのがストリングスです。違う世界へと誘うような感じで、やはりストリングが目立つ「夕凪」、「嫉妬されるべき人生」へと続きます。夢の世界のような、あの世のような、またはその中間にあるような場所みたいなイメージですね。
ーーその「夕凪」が、今回、最も作詞で悩んだ曲だったそうですね。
宇多田:この曲を入れないで11曲にするかというところまで悩みました。本当は『Fantôme』に入れようと思っていたんですが、上手く書けなかったので。
ーーたしかに「人魚」(※『Fantôme』収録)の姉妹曲のようだと思いました。
宇多田:実際、これは「人魚」の頃まで自分を戻して、その延長で書かなきゃ駄目だと覚悟しました。そうじゃないと本来在るべき姿まで曲を持っていけないなって。〈小舟〉や〈波〉という水回りのイメージもあったので、結果としても「人魚」の続編みたいな曲になりましたね。