『Tokyo Rendez-Vous X』ライブレポート
King Gnuが歌うリアルな東京の姿 猛スピードで進化するバンドの“今”を刻んだワンマンライブ
素晴らしかった。
3月23日に開催された、King Gnuの渋谷WWW Xでのワンマンライブ。今年1月に渋谷WWWで開催した初ワンマンライブのチケットが即日ソールドアウトしたことを受け、追加公演として企画された本公演。近しい友人に話しかけるようなラフなMCや、ステージの上で酒を飲むなど、メンバーは飾り気なく振る舞いながらも、その自由さをグルーヴに変えて聴き手を巻き込んでしまうような、素晴らしいライブだった。
私が前にKing Gnuのライブを観たのは、去年11月に開催された音楽イベント『exPoP!!!!!』だ。そのとき印象的だったのは、バンドに向けられた大きな歓声に対して、メンバー本人たちが誰よりも驚いた様子だったこと。そもそもが、常田大希(Gt / Vo)を中心としたプロジェクト「Srv.Vinci」として2014年にスタート。その後、4ピースバンドとなり、名前を「King Gnu」と改めたのが去年の4月。そして、10月に1stアルバム『Tokyo Rendez-Vous』をリリース。徐々に形を変えながら進んできた彼らだが、『Tokyo Rendez-Vous』以降、本人たちでも捉えきれないほどの大きな時代と音楽のうねりが、King Gnuを取り巻き始めていた、ということだろう。
そして、あれから4カ月経ったこの日。うねりはより大きな熱気をはらんでいたし、なにより本人たちが、そのうねりのなかを自由に、楽しそうに泳ぎ回るほどの余裕すら見せていた。開演10分ほど前に会場に入ると、フロアはすでに超満員(この日のチケットも即日ソールドアウトした)。そして、ステージ上ではひとりの女性がパフォーマンスをしている。オープニングアクトとして、サウンドインスタレーションを担当した「ermhoi(エルムホイ)」だ。彼女は、自身のソロ活動以外にも、ミニマルバンド「東京塩麹」の作品やライブにも参加している。手元の機材を操りながら、「次はぁ~渋谷ぁ~」という電車の駅のアナウンスやアイドルソングなど、日本、もっと言えば東京で生きていれば自ずと耳に入ってくる音の数々をサンプリングしたトラックを流し、ときにラップもかますermhoi。そして、ステージ背後に大きく掲げられたKing Gnuのロゴの下には「JAPAN MADE」の文字が。この日、ステージに立った彼らにとって、「日本」や「東京」という自分たちの出自に向き合い、それをアイデンティティとして示すことは、きっととても重要なことなのだ。
そして定刻を過ぎ、King Gnuのパフォーマンスが始まる。1曲目は「FLASH!!!」。蛍光色が似合うレイヴィなメロディと、Blurの「Song 2」を思わせるアッパーなコーラスワークで一気にぶち上げ、会場の空気を掌握。その後、「Tokyo Rendez-Vous」「McDonald Romance」と続け、より濃く、深く、自分たちの世界観をフロア中に侵食させていく。
では、「King Gnuの世界観とは何か?」と尋ねられれば、ひとつ言えるのは、それはアルバムタイトルにも冠された“東京”という言葉に集約されている。たとえば、「McDonald Romance」で歌われるのは、
<もう財布の底は見えてしまったけど それさえも笑い合った。それさえも恋だった。>
<空っぽの財布に心は踊る 欲しいものはこんなにも値がはるのでしょう>
という、若々しく、退廃的で、ロマンチックな二人の景色。そして、そんな景色を象徴する舞台として暗示されているのが、曲名が示すマクドナルドだ。遊びまわった後で、お金がないから行く場所はない。終電は乗り過ごしたし、とりあえず一緒にいたいから、24時間営業のマクドナルドで夜を明かす二人……そんな、この歌詞から想起される情景はかなりロマンチックだが、実際、こんな体験、自分にもあったなぁと思う。
この数年間、日本の国内音楽シーンの潮流を語る際によく使われた“シティポップ”という言葉があるが、ここで言う「シティ」のニュアンスは、かつてのはっぴいえんどにとっての“風街”のような、“理想の街”という側面が強かったように思う。しかしいま、King Gnuが描くのはどこまでもリアルな“東京”の姿だ。「Tokyo Rendez-Vous」の歌詞はこう始まる。
<走り出す山手に飛び乗って ぐるぐる回ってりゃ目は回る 隣のあんた顔も知らねぇ 溢れかえる人で前も見えねぇんだ トーキョー>
東京で暮らす自分がこの歌詞を聴けば、人でごった返す渋谷駅やスクランブル交差点の雑踏の景色がありありと目に浮かぶ。きっと彼らにとって、このリアリズムこそが美学なのだ。それは、「JAPAN MADE」という、彼らがわざわざバンドロゴのなかに入れて掲げるアイデンティティにも繋がっていると言える。“ここではないどこか”や“理想の街”にエスケープするのではなく、King Gnuは、自らが踏みしめる東京の地面を土台に、雑踏の中、名前も知らないすれ違う人々から引きずり出した生の実感を歌う。