・・・・・・・・・運営×For Tracy Hydeが語り合う、アイドルの“記号性”と“音楽的挑戦”

ドッツ運営×フォトハイ語る、アイドルの“記号性”

「アイドルとアーティストに優劣を見出してしまう原因はどこにある?」(Mav)

ーーその他のアルバム曲も、かなり色んな方がクレジットに名を連ねていますが、どのようにアルバムのコンセプトを組み上げて作っていったのでしょうか。

みきれちゃん:コンセプトについては、うちとFor Tracy Hydeさんのアルバムって好対照だと感じていて。管さんの中にアルバム全体の脳内イメージがあって、そこに合わせるように個々の曲を作っていったと思うんですけど、・・・・・・・・・のアルバムってそういうのがほぼないんですよね。アルバムを通して聴いてもらえればすぐにわかると思うんですけど、ジャンルもバラバラですし、テーマがあるとすれば「エモさ」だけなんですよ。でも、そのバラバラでごちゃごちゃして、アイデンティティがないように見えることが、アイデンティティになってるアルバムなんです。ももいろクローバーZの『バトル アンド ロマンス』や、ゆるめるモ!の『Unforgettable Final Odyssey』は、そのごった煮感をアイデンティティにした1stアルバムだと思っていて、その系譜に位置付けられる作品になれば嬉しいなと思っています。

ーー確かに、最初にごった煮感のあるアルバムを出しておくと、後々何をやっても不自然にはならないですよね。

みきれちゃん:そうです。「エモい」という枠さえ外れなければ、どんなごった煮でもいいというのが、今後の核になっていきそうな気もしたので。

ーーちなみに管さんとMavさんがアルバムの中で好きな曲は?

管:「トリニティダイブ」がすごく好きです。ああいうM83的なサウンドをアイドルというフォーマットに取り込んでエモーショナルにやれるというのはとんでもないことだと思いますよ。でも、やっぱり1番好きなものは「ねぇ」なんですよね。1番最初に聴いて「アイドルでもこういうのがやれるんだ!」という感動が大きかったし、語りっぽいあざとい歌い方はすごくグッとくるものがあるというか、自分の快楽中枢を的確に刺激してくるんです。これはアルバム全部にいえることなのかもしれないですが、すごく本能的に好きな音楽が入ってるんですよね。もう「お前らこういうのやってたら気持ちいいんだろう?」「はい、その通りです!」みたいな(笑)。

Mav:僕も「ねぇ」がとても好きです。特にBメロがめちゃくちゃ好きですね。メロディと編曲のバチッとハマり具合や、アルペジオの絡みが上手くて、ここ数年で聴いた曲のBメロの中で1番好きです。

みきれちゃん:「ねぇ」は1番最初にできた<ねぇ>というフレーズをメンバーに歌わせるために作ったんですよ。

管:歌い出し第一声で勝ちが決まってしまったわけですね(笑)。

ーーせっかくの機会なので、お互い聞きたいことなどがあればぜひ。

管:ボーカルディレクションの話は、すごく聞いてみたかった話題です。僕はそういうノウハウを知らないから、指示をするのがすごく下手なんですよ。以前のボーカリストには「何も考えるな、感情を込めるな、淡々と歌え」と言ってみたり、今のボーカルには「この曲はこういう風に歌って欲しいと思ってるけど、細かいところは自分で考えてきてね」と任せていたりして。・・・・・・・・・の場合はどういう風にボーカルディレクションをしているのでしょうか?

みきれちゃん:あまりしていないですね。とはいえ、それぞれの声質や表現できるものの違いは分かっているので、ここにこういう声を使いたいというのを当てはめて作っていきますし、難しいコーラスワークのところにはしっかりしたメンバーを、高音が伸びるメンバーには歌を盛り上げていくパートを任せたりといったことは心がけています。表現の指示は、ライブにおけるパフォーマンスの方が重要視しているかもしれません。「この歌詞、このメロディ、このパートで自分がどう伝えたいのかっていうものを常に意識して表現してほしい」とは言っています。

 あと、・・・・・・・・・にとってボーカルは「情念を爆発させるツール」という位置付けをしています。ボーカルを通して人に何か魂のようなものを伝えようとしてほしい、といいますか。僕の方からも聞きたいことがあるんですけど、『he(r)art』は東京をテーマにした作品ですよね。なぜこのテーマを選んだのかが気になっていて。

管:このアルバムは自分も含めて、人の生活に寄り添うようなものを作りたいなという気持ちがあったからこそできた作品なんですが、そのテーマを踏まえるには、東京に暮らす自分が、その周りを取り巻く環境として東京のことを取り上げると、生活に近づいてくるんじゃないかと思ったんです。あとは、いま世間で流行ってるシティポップ的な音楽の表現してる東京が、一面的というか浅いというか、盲目的に都会での生活を肯定してる印象を受けたんですよ。東京以外の街で暮らしてる時間もそれなりに長かったので、綺麗なところばかりのはよく分かるけど、そういう部分も含めて東京という街が好きだし、だからこそ自分が思う「正しい東京」を音楽を通じて表現したかったんですよね。

みきれちゃん:なるほど。色んな人の孤独に寄り添った曲が、東京の情景とセットで音楽になって表現されているアルバムだと思います。1番おすすめの聴き方は、山手線で車窓から見える東京を見ながら一周すること。どの曲が東京の風景とマッチするかを感じ取りやすいんですよ。

管:僕自身が孤独な人間なので(笑)。どうしても孤独な作品を作りたくなってしまうんです。「僕は孤独だしお前らも孤独だけど、別にそれでいいんじゃねえの?」みたいなことを言いたくなる。なんというか、孤独を悪とするマジョリティの世界観に対する抵抗は、昔からすごくあって。そういうものを根底から少しずつ変えていきたいし、インディシーンにいるバンドマンたちは「孤独とどう向き合うか」をすごく考えているし、僕らはそんな人たちに優しい世界を作っていけたらいいなと思います。

みきれちゃん:なるほど。あと、歌詞は基本的に女の子目線で書かれたものが多いんですけど、なんでこんな女の子の感情に寄り添えるのかが気になります。

管:ありがとうございます。アルバムに入っている「放物線」も、「歌詞がいい」っていろんな女性から言われるし、「女心を分かっている」と言ってもらえるんですよ。全部自分が過去に通ってきたフェーズだから、そう思ってもらえるだけなのかもしれないんですけど。僕自身がいわゆるメンヘラ女子みたいなものなので(笑)。

みきれちゃん:あと、アイドル運営としてちゃんと向き合わないといけないと思っているのが、アイドルの「記号性」について。容姿が可愛いとか振り付けがあるとか、付帯情報があるゆえに純粋な音楽で勝負するアーティストの下に見られることがしばしばあるわけです。昔から、純粋な音楽の対義語みたいなところに「アイドル」が置かれている気がして。アイドルにコミットしてる人間にとっては、その感覚って完全に過去のものになっているし、僕の中でもDeerhoofと私立恵比寿中学が対バンした時点で崩れているんですよ。

 アイドルという「記号」が音楽をドライブさせているように感じるし、だからこそバンドマンや音楽好きがアイドルにどんどんハマっていると思うんです。ただ、マジョリティにとっては「記号性」は偽物だと思われたままなので、アイドルにはもっとその突破口を開いてほしい。バンドあるいはアーティストとアイドルどっちが優れているかなんて、音楽と絵画のどちらが優れてるかという質問くらいナンセンスな気がしていて、「記号」を介した音楽消費のリテラシーという感覚をもっと一般的なものにしたい。

ーーそもそもアートフォーマットが違うと。

みきれちゃん:そう。だからこそ体験して得られるものも当然違うし、「音楽」という近接した要素はあるものの、やはり別物という感覚があります。2人はその記号性について、そこまでネガティブな印象を持たれてないと思っていますが、どうでしょうか?

ーーFor Tracy Hydeは、ボーカルのeurekaさんを記号としてフロントに立たせているイメージがあります。

管:確かに、自分には記号性というものに対して全然ネガティブなイメージがありません。というのも、ピチカート・ファイヴを例に挙げると彼らは都合3回ボーカリストが変わってるし、そのたびに音楽性も結構大きく変化している。それって、小西さんがボーカリストに見出した記号があって、そこに合わせて音楽を作っているからだと思うんですよね。やっぱり自分は渋谷系の影響がかなり強いので、そういう意味で抵抗がないのかもしれません。あと、自分の周りのバンドマンにアイドル好きが多いのもあるのかも。アンダーグラウンドのごく狭い範囲では少なくとも、もう垣根がないような感覚だと思いますよ。

Mav:記号性って、今の話でアイドルの対極として挙がった「アーティスト」と呼ばれる人たちも実際にまとっているものですよね。そう考えると、リスナーがアイドルとアーティストに優劣を見出してしまう原因はどこにあるの?という問いはあるし、乗り越えなきゃいけないところだと思います。

管:作者と演者が一致していないことに対する違和感はあるのかもね。

ーー自作自演至上主義というか。

管:そうです。でも、アーティストのライブって音響がいて照明がいて、プロデューサーがいて、演者がいて、いろんな人の力が合わさって初めて完成する「作品」であるわけじゃないですか。それに関してはアイドルも同じだし、演者はその性質はどうであれ間違いなく「作り手」に含まれていると思うんです。だから、そこを切り離して考えるというのは本当にナンセンスだし、結局みんな、よくわからないまま変なバイアスを持ちすぎなんですよね。そういう意味で12月の・・・・・・・・・定期公演『Tokyo in Words and Letters』は、僕らが書いた曲に対して、彼女たち自身が歌詞を書き換えて披露するというのを聞いて、面白いなと思いました。今まで曲の作り手ではなかった人たちが、初めて作り手の立場になることで作者と演者が一致するという。

みきれちゃん:自分がコンテンツを生み出す側に立つことで、表現するにあたって考える材料ができるかなと思ったんです。『Tokyo in Words and Letters』は、歌詞のほかにも・・・・・・・・・のフォントを作ったりスタンプを売ったり、読書感想文を書いたりする、言葉にフォーカスを当てた定期公演なんですよ。ここまで話した作者・演者問題については、僕にも持論があって。バンドって、フロントマンのモチベーションやセンスに表現やポテンシャルが依存するじゃないですか。でも、アイドルってフロントマンを複数抱えてる状態ともいえるので、いかようにも楽曲ディレクションができるんですよね。それって表現としてめちゃくちゃ強いと思うんですよ。

管:確かに、それは強いですね。

みきれちゃん:うちはコンセプトがめちゃくちゃややこしいグループなんですけど、イメージ的には色々考えていて。例えば、1stシングル『CD』は72分の楽曲が1曲収録されていて、いくつかの楽曲の合間に環境音や、アンビエント、ノイズといった要素が挟まれています。あれって音の持続の中に曲がぽこっと出てくる構成になっていて。東京というすごい体積のある物体から、はみ出たものが表に出てくる、「都市の現象」のようなものをイメージしているんです。東京という舞台があって、いろんな作者がいて、時代性があって、土地性があって、そのなかから演者として表現が表に出てくる。・・・・・・・・・はカバー曲も多く披露するんですけど、カバーという表現は極力使わないようにしていて。JACRACにお金は払いつつ(笑)、「新パフォーマンス」という表現をやってるんですよ。

 これは、オリジナルと思ってるものも、常に何かしら過去の持続の中で出てきた現象でしかないと思っているということ、言い換えればオリジナルと呼ばれているものも常にある部分において過去の反復、複製であるという感覚です。端的に言うと、オリジナル/カバーという二項対立を崩そうとしている、もっというとそうしたフレームにあまり関心がない。これができるのは、作者・演者が一致しないアイドルフォーマット固有の特性だと思います。・・・・・・・・・はMassacre、Maseratiといった変わったインスト曲を多くカバーしていますが、・・・・・・・・・(演者)のパフォーマンスは間違いなく作者の意図せざる結果です。作者・演者の分断、さらに出会い、そこに化学反応が起きるという。

管:僕もその感覚に近いですね。自分が作るものは、過去に今まで聴いてきたもので形作られているという自覚があるので、それは面白い見方だし、共通している部分が多いと思いました。

ーー確かに、For Tracy Hydeは楽曲・アーティスト写真・MVで海外バンドのオマージュを意図的にやって、それを面白がってもらうことを楽しんでいるバンドですよね。ちなみに、曲を表現するにあたって、3人の運営スタッフが共有しているテーマはあるのでしょうか。「エモい」をコンセプトにするから演出はこうしてほしい、みたいな。

みきれちゃん:いや、それはやらないようにしています。ステージでエモいライブパフォーマンスをすることと、変なテクノロジーを使うことって全然バッティングしないと思うので、3人の思い思いで何をやってもいいんじゃないかなと。むしろ、そうした自分と違う発想を取り入れることで新しいものが生まれる感覚があります。

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