BOØWYが解散ライブ映像『1224』の“空白の40秒”で埋めた最後の真実

 「誰がなんと言おうと日本で1番カッコいいバンドだったと思います」

 自らそう言ってのける姿が、こんなにも様になるバンドなんて他にいるものか。

 1987年12月24日、渋谷公会堂。BOØWYは解散した。

 この日の模様は2001年12月24日、結成20周年に始まったプロジェクトの一環として、BOØWYのライブを初めて完全収録した映像作品『1224』としてリリースされた。しかしながら、実際はアンコールの「ONLY YOU」の中盤、約40秒が欠損していた。2012年12月24日にBlu-ray化されているが、こちらでも欠損のままであり、この“空白の40秒”は長年、ファンの間では様々な憶測を呼びながら、もう見ることができないものだと思われていた。

 しかし、オリジナルフィルムが発掘されたことにより、あの日から30年目の2017年12月24日、正真正銘完全なる映像作品『BOØWY 1224 -THE ORIGINAL-』として、リリースされる。加えて、HDおよび4K・HDR化、16:9画角として再編集され、鮮明な画質・音質で蘇った。

 同作のリリースに先立って、12月12日、Zepp DiverCityにて『BOØWY1224 -THE ORIGINAL- ONE-NIGHT PREVIEW 1212』と題された先行上映会が行われた。

 「NO WAR」「SEX」「NO AIDS」、浮かび上がる文字。印象的なイントロとともに閃光が放たれ、ステージ上に組まれた鉄骨が広がっていく。見慣れたはずのオープニングからの「LIAR GIRL」がこんなにもスリリングで美しいものだったとは……。大きくビートを刻む高橋まこと(Dr)、クールな面持ちの松井恒松(Ba)、悠々としている布袋寅泰(Gt)、そしていつになく鋭い表情を見せる氷室京介(Vo)、4人の姿がありありとスクリーンに映える。

 これまでの『1224』は、どこかブートレグな雰囲気があった。元々は翌1988年4月に行われた実質上のラストライブ、メンバーの言葉を借りれば“一足早い再結成”として行われた『“LAST GIGS”』の映像と合わせ、解散に焦点を当てたドキュメンタリー作品が制作される予定で収録されていたものであった。ライブ収録が目的ではなく、あくまで解散宣言の瞬間を捉えるための記録用のカメラであり、その宣言タイミングは氷室自身に委ねられていたため、結果として全編収録するに至ったという、いわば偶然の産物のようなものだ。

 元の映像素材は同じものなので、劇的に変わったというわけではなのだが、細かいカット割りの変更、なにより16:9の画角、鮮やかな画質・音質は30年前のライブとは思えないほどであり、99.9パーセント内容を知っているライブ映像であるのに、かなり新鮮な印象を受けた。記録映像が音楽映画に生まれ変わった、といっても言い過ぎではないだろう。

 『ONE-NIGHT PREVIEW 1212』では、上映前にダイノジと特別ゲスト、高橋まことによるトークが行われた。話題は、1986年12月16日の長野市民会館でのライブ後の話へ。「(チャートで)1位を取ったら解散」と以前から話していた彼らが、現実的に解散を決めた夜。ワシントンホテルの最上階でその話が行われたという。

 そもそも、BOØWYの何がすごかったのか? 音楽もファッションも、その存在自体がシーンに大きく影響を及ぼしたわけだが、“ALL OR NOTHING”の考えをもって「人気絶頂時に解散した」ことも、伝説として語り継がれる所以だ。実際、いわゆるブレイク前夜からの活動期間は約2年ほどしかない。1981年に活動を開始し、翌1982年にメジャーデビューするものの、最初の数年間は制作も宣伝もセールス自体も上手くいっておらず、本格的な快進撃が始まったのは、所属事務所をユイ音楽工房へ、レコード会社を<東芝EMI>へと移籍した1985年からである。佐久間正英をプロデューサーに迎え、ドイツ・ベルリンでレコーディングを行ったアルバム『BOØWY』をリリースした彼らは6月25日、初めて大ホールでのワンマンライブを行った。その会場が渋谷公会堂だった。その後、9月から全国ホールツアーを行い、最終日の12月24日、再び渋谷公会堂のステージに立つ。そして、その2年後に解散する。

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