ダイスケと小林崇が語り合う“ツリーハウスと音楽”、そして表現者としての共通点

 生きた樹木の上に、流木や廃材などを利用し建てられる家、ツリーハウスの第一人者として、世界中で活躍する小林崇のドキュメンタリー映像『THE ROAD MOVIE OF TREEDOM』が、10月11日にリリースされた。

 本作は、彼が米国シアトルで行われた世界ツリーハウス会議に出席する行程を、ロードムービーとして密着したもの。いわゆるツリーハウスのHOW TO映像ではなく、小林の活動を通して観た者それぞれが、自然や文化、そして自分自身の人生について改めて深く考えさせられる内容である。なお、音楽を担当したのは、シンガーソングライターのダイスケ。アコギを基調とした風通しの良いサウンドが、本作の美しい映像をさらに際立たせている。

 そこで今回リアルサウンドでは、9月27日にミニアルバム『Acoustic Journey Tayutai』をリリースしたばかりのダイスケと、小林の対談を企画。世代も、活躍しているフィールドも全く異なる2人だが、「ものづくり」における価値観や、自由を貫き通すための覚悟など、共鳴する部分も多く興味深い内容となった。(黒田隆憲)

「ツリーハウスは“バック・トゥ・ネイチャー”の象徴」(小林)

──まずはダイスケさんが、小林崇さんのドュメンタリー映像『THE ROAD MOVIE OF TREEDOM』を観た感想を聞かせてもらえますか?

ダイスケ:とても面白かったです。僕が初めてツリーハウスを見たのは、今年の『GREENROOM FESTIVAL』だったんですね。なんていうか、ほんとその辺に転がっているような流木や廃材を利用して、こんなにも素敵な家を作ってしまえるんだって物凄く感動して。その場で小林さんともお会いしたのですが、何かご一緒できたらいいなと思っていたんです。それで今回、『THE ROAD MOVIE OF TREEDOM』の音楽を担当させてもらうことになったんですけど、映像を観る前は“ツリーハウスとは何か?”みたいな、ハウツー映像に近い内容になっているのかと思ったのですが、実際は小林さんのマインドやアティテュード的な部分をフォーカスした作りになっていて。ツリーハウスの奥にある、自然との共生といった大きなテーマを知ることが出来るのがいいなと思いました。

ダイスケ

──実際に、どんな風に楽曲を付けていったのですか?

ダイスケ:これまで僕は“歌詞を書きメロディを付けて自分で歌う”という、いわゆる歌モノしか作ったことがなくて、映像に音楽を付けるというのは初めての経験だったんです。まずは作品を何度も繰り返し観て、シーンの空気感だったり会話の内容だったりに合うような音楽を付けていきました。例えば、アメリカの道をロードムービー的に車が走っているシーンだったら、それにハマるような曲調というか。大変でもあり、楽しくもありましたね。というのも、今まではゼロから自分1人で作っていたので、小林さんというアーティストの作品に対して自分が反応しながら曲が生まれるというのは、ある意味ではコラボレーションともいえるなと。

小林:僕は、ダイスケくんに付けてもらった音楽を聴いてパッと思い浮かんだのは、PhishとかGrateful Deadとか、そういうジャムバンドのテイストでした。ツリーハウスって、僕は「ジャムセッション」だと思っているんですよ。一応、作る前に図面は描くけど、その通りに進むことってほとんどなくて、その場所や一緒に作るビルダーさん、天候などに影響されて、どんどん変わっていくんですね。なので、一緒に演奏しているプレーヤーに反応して、どんどんインプロバイズしていくような感覚に近い。だから、ダイスケくんの音楽はすごく合っているなと思いました。彼のフレッシュな音楽が加わることで、(映像に)いい風が吹いたというか。

ダイスケ:嬉しいです。ツリーハウスって、図面通りじゃないんですね。

小林:うん。最初に簡単なイラストというか、完成イメージ図のようなものは描くんだけど、その通りに進むことはまずない。もちろん、今作っているツリーハウスはクライアントさんもいるし、様々なスタッフや業者も付いていて、予算や納期も決まっていることが多いので、最初の構想からあまりにもかけ離れてしまわないようには気をつけているけどね(笑)。ただ、僕の中の理想のツリーハウスは、決め事をなるべく作らずセッションのように作っていくものだと思っているので、そこはせめぎ合いですよね。あまりにもクライアントさんの意向を聞きすぎてしまうと、自分らしさが消えてしまうし、それだと僕がやる意味がないから。

小林崇

──実際にツリーハウスを作るとなったら、どのような手順を踏んでいくのですか?

小林:まずは、そこに生えている木と周辺の環境を考えながら、頭の中でイメージを膨らませていきます。場合によっては図面や完成イメージ図も書きながら、現場には誰を連れていくのか、僕1人ではとても作れないので、フリーのビルダーさんを調達するのですが、何人来てくれるかによってもできる作業は決まってきますよね。もちろん、現地で探すこともあります。

 基本的には「地産地消」(地域で生産された様々な生産物や資源をその地域で消費すること)がコンセプトなので、例えば長野県でやる時には長野の木を使いますし、東京だったら奥多摩あたりから木材を集めてくる。「フードマイレージ」というか、その材木を運んでくるまでに使われるイメージのことも、最大限考慮に入れています。

──なるほど。環境や材木によって、完成するツリーハウスの外観なども変わってくるのでしょうね。大抵は思い通りのツリーハウスが出来上がりますか?

小林:他の人から見てどう感じるか分からないけど、本人としては大体60点か65点くらいですかね。常に「もっと時間があれば」、「ここは、こういう風にしておけば」といった気持ちが残ってしまいます。「100点満点、やり切れた!」とはなかなか思えない。だからこそ、「次こそは」というモチベーションも湧いてくるのかなとも思います。一度でも満足したらそこで終わっていいのかもしれない。幸いなことに、今のところは「まだまだ」という感じです(笑)。

ダイスケ:その気持ちはとてもよくわかります。音楽もそうなんですよね。限られた時間と予算のをやり繰りしながら、リリース日に間に合うよう作らなければならない。だから、僕も自分で作った楽曲に対して満足したことがないんです。小林さんと一緒で、満足したらやめてしまうかもしれない……(笑)。満足しないから、「次はもっといいもの作ろう」と思って、ちょっとずつレベルが上がっていくのかなって思います。

──なぜ、ツリーハウスが今、世界中で必要とされていると考えますか?

小林:それは人間が、自然と逆の生活をしているからじゃないでしょうか。生きていく上で、僕らはたくさんのエネルギーを使いますよね。まず食べ物がなければ生きていけないし、どこかへ移動するのに車や電車だけでなく飛行機にも乗る。家にはトイレが必要で、コンビニも家の近くに欲しい。自然と比べると、かなり不都合で不合理な生き物なんですよ。となれば木をはじめとする自然との距離感も発生します。生まれた時から木や自然と馴れ親しむということをしてこない人がどんどん多くなってもくる。もちろん、調べようと思えばネットや携帯でいくらでも調べられますが、木の香りや、そよぐ風の音、肌触りといったものは、自然の中にいないと分からない。そこからあまりにも離れ過ぎてしまって、人は心細くなっているんじゃないですかね。

 部屋に鉢植えなどのグリーンを置くのも、僕は“心細さ”の表れだと思っています。朝起きて会社へ出勤して、夜家に帰るまでの間に、自然に触れることなんてほとんどないじゃないですか。マンションに住んで、地下鉄に乗って、ビルの中に入ってまた地下鉄に乗ってマンションに帰ったら、緑なんてないですよね。そんな時に人は自然を求めたくなる。ツリーハウスはそんな“バック・トゥ・ネイチャー”の象徴なのかなと。

──アウトドアやキャンプ、登山が流行るのも、自然への回帰の気持ちが少しはあるのでしょうね。

小林:それは絶対にそう思います。今は、家庭で料理を作るにも火ではなく電気を使うところが多くなってきた。でも、アウトドアでは火を起こすところから始めなければならないですよね。あえて便利じゃない生活を体験してみることに意味があるというか。

ダイスケ:実は僕、旅をするのは好きですけどアウトドアとかやらない派だったんです。でも、最近、人生で初めてキャンプをしたんですよ。薪をくべて火を燃やし、その火を囲んでみんなでワイワイ話したり、ギターを弾いたりするのがすごく新鮮で楽しかったんです。薪がパチパチと燃える音や、ちょっと伝わってくる火の熱さも心地よいし、夜になって森の木が揺れる音とか聞いていると、普段の生活では感じないようなインスピレーションがたくさん湧いて来た。もっと自然と触れ合いたいな、触れ合うべきなのかなって思いましたね。そんな時に、小林さんと出会うことができたのは本当にラッキーだなって思います。

──そういえば、どこかのインタビューで小林さんが、ツリーハウスを茶室に喩えていたのが印象的でした。

小林:海外のツリーハウスってみんなデカイんですよ。キッチンもあればトイレもお風呂もあるし、ベッドが3台並んでいる部屋まであるんです。それに比べると日本のツリーハウスは、普通の家屋の部屋よりも小さいんですよね。何故かというと、日本の木そのものが小さいのもあるのですが、法律的な縛りも大きい。野外に勝手に「家屋」を建ててはいけないんですね。そのため、どうしても小さくなるんですけど、小さくなればなったで、日本にはもともとそういう文化もあったなあと。今おっしゃった「茶室」もそうですし、今だと例えば軽自動車仕様のキャンピングカーなんて、すごく日本人的発想だし、そういうのを作るの得意ですよね。四畳半暮らしというか、手に届くところに全て置いておきたくなる習性というか(笑)。そうすると落ち着くのって日本独特なのかなと。

あと茶室って、そこに入るときにまず自分の肩書きや身分、しがらみなどを全て脱ぎ捨て、フィフティフィで対峙するというか。詳しくないけどそんな文化なのかなと思うし、そこもツリーハウスの考え方に近いのかもしれないなと。

関連記事