石井恵梨子の「ライブを見る、読む、考える」 第9回:WANIMA
WANIMAがさいたまスーパーアリーナで鳴らした“始まり”――石井恵梨子が成長の跡を辿る
これまでもWANIMAのライブレポートを書いてきたが、そこでは、観客の泣き笑いの表情がどれほど胸に迫り、また、ひとりの少女がこぼした涙がどれほど大きく感じられたか、そういうひとりひとりの表情に着目することが多かった。日々、耐えて耐えてギリギリで踏みとどまっている同士たちに向けて、毎日おつかれさん、絶対諦めないで、死ぬ気で応援してるからと寄り添うように歌を届けてきたのがKENTAのやり方だ。狭小のライブハウスで、それは確かな魂の交流になるだろう。具体的な握手が救いになり、ともにかいた汗が明日の糧になる。だが、ここはさいたまスーパーアリーナ。全員の顔を確認することもままならない会場で、ライブハウスの流儀に固執する意味はあるのか。もっと大胆に、堂々と、自分たちWANIMAをマス仕様にできないものか。スタッフを含めたメンバーのジャッジは、想像よりも遥かに潔かった。おそらくは、自分たちの歌の本質は変わらない、という自信があるから。そして、どうせやるならもっと広い景色を見たいじゃないか、という野心があるからだ。
ステージからアリーナ中央の小ステージに架けられた大きな花道を、FUJIが長渕剛になりきって練り歩いた中盤の物真似タイム。今度はKENTAとKO-SHINが手を繋ぎながら花道を歩き、小ステージでアコースティック・セットの3曲が披露される。そのあとはファンに見送られながら楽屋まで駆け抜けていく様子をカメラが追い、そこからは突然「訓練だ!」と軍人風の男に拉致られ、なぜかバンジージャンプを体験しに山の中へと連れられていく映像に切り替わっていく(BMGは「いつもの流れ」……どんな流れだよ!)。これはアイドルのコンサートなどでお色直しの時間を稼ぐために使われる演出だが、WANIMAが同じことをやっても違和感のないこと、いや、FUJIやKO-SHINのキャラを巧みに活かしながら結果的に爆笑映像になっているのが実に痛快だった。ライブハウスでは必要のないことが、この会場では効果的なエンターテインメントになる。その可能性があるなら照れずに逃げずに全力でトライする。何事に対しても閉じないフットワークの軽さが吉と出たのだろう。結果、無事にお色直しと仕切り直しを終えて始まった後半は、「ともに」「リベンジ」という2大アンセムで再スタート。火柱が炸裂するなか、前半よりもさらに大きな一体感が会場には生まれていたのだった。
アリーナ後方に巨大なサークルモッシュが出現した「THANX」。〈信じて届くまで〉という歌詞がラストには〈信じて良かった〉という一言に変わっていた「For You」。本編が無事終了したのち、アンコールで発表されたのは、5月の3rdシングルがワーナーミュージック・ジャパンの〈unBORDE〉からリリースされるというニュースだった。メジャーとタッグを組むというのは驚きの、そしてこの時期に相応しい英断だと思う。インディーズだからできたことは多々あるが、できないことも同じくらいあったはず。まだまだ、安定期に入るタマじゃない。今彼らの掌にあるのは、新しい旅立ちを歌う新曲「CHARM」と、やったことないこと、面白そうなこと、楽しいことを全力で追いかける「やってみよう」なのだから。
しかし、それにしても、と思う。初のアルバム『Are You Caming?』が出た時に、WANIMAはポップミュージックの地図さえ塗り替えていくだろう、と書いたのだが、当時このアリーナの光景を思い描くことは正直できなかった。そして一年半程度で現実になったこの景色すら、まだ「始まり」のひとつでしかないという現実は何なのだろう。最後の最後に〈はじまる ここから 旅立ちにいらない不安なら〉と歌い上げたKENTA。「ここから」は、今後も、何度でも、WANIMAの現在地を切り開くテーマソングになっていくのだろう。
(写真=瀧本 JON... 行秀)
■石井恵梨子
1977年石川県生まれ。投稿をきっかけに、97年より音楽雑誌に執筆活動を開始。パンク/ラウドロックを好む傍ら、ヒットチャート観察も趣味。現在「音楽と人」「SPA!」などに寄稿。