デビュー・シングル『スノーグローブ』インタビュー

佐藤広大が語る、音楽への情熱とEXILE SHOKICHIとの絆「オールド・ルーキーにしかできないことがある」

 地元札幌では、テレビやラジオのレギュラー番組を持つなど、広くその名を知られている佐藤広大が、満を持してメジャー・デビュー。夢を育み、夢に挑み、出会い、別れ、傷つき、もがき、あきらめて、また奮起して……、長い長いトライアル&エラーを繰り返した末に彼を待っていたのは、本当にかけがえのない音楽という贈り物だった。デビュー・シングル『スノーグローブ』。親友との苦い思い出が、今、聴く者たちにとっての希望の物語に変わる。ここから彼は、かかった時間を味方につけて、「オールド・ルーキーにしかできないこと」に邁進するのだろう。クシャッと人懐こい笑顔の奥に、遅咲きだからこその静かな強さを垣間見た。(藤井美保)

「輝く星の下に生まれたのはSHOKICHIで、僕はそうじゃなかった」

ーーお名前が「広大」なので、まず、どんな景色のなかで育ったかをうかがいたいのですが。

佐藤広大:名前の通り、北海道らしい大自然のなかで伸びのびと育まれた感はあります(笑)。家の前がちょっとした崖のようになっていて、冬になるとそこを元気よくソリで滑ったりもしてましたね。

ーー少年時代はどんな子でしたか?

佐藤広大:引っ込み思案でした。学習発表会でも率先して黒子をやるような。そういえば、お墓の役をやったことがありましたね(笑)。ってくらい人前で目立つのが嫌いだったんです。

ーーそれが今や(笑)。音楽で何かが変わったんでしょうか?

佐藤広大:小学校の頃から音楽は好きで、両親のCDとかお姉ちゃんが借りてくるCDとかを、こっそり自分の部屋で聴いたりしてました。初めて友だちとカラオケに行ったのが中学のとき。GLAYの「HOWEVER」を歌ったら、意外にもみんなが「うまいじゃん」と言ってくれて、「あれ? 僕にも取り柄というものがあったんだ」と思えたんです。人が喜んでくれる味を覚えて、そこから歌うのが好きになりました。

ーー当時好きだったのは?

佐藤広大:GLAY、ウルフルズ、THE YELLOW MONKEY。メイン・ストリームのJ-ROCK、J-POPを多く聴いてました。

ーー「歌が好き」から、音楽を目指すようになったのは?

佐藤広大:実は高2のときに、幼稚園からの親友が事故で亡くなってしまったんです。その彼が、「歌手になれ」ということと、「ここに行け」とある大学名を言い残したんです。「歌手」は夢の話としてわかるけど、なぜその大学なのかはすごく不思議でした。でも、そう言われたからにはという思いもあって、得意じゃない勉強を必死で頑張り、その大学に進みました。そこですぐ、EXILE SHOKICHIと出会ったんです。

ーーそうなんですか!

佐藤広大:入学式のときから、「歌が上手いヤツがいる」と彼は噂の的になってました。ある日授業に出たら、そのSHOKICHIが隣の席にいた。「歌やってるんでしょ?」と話しかけて、一緒にカラオケ行って、歌声を聴いてピンときて、その場で「一緒にやりたい」と口説きました(笑)。

ーーすごく速い展開だったんですね。

佐藤広大:親友が親友をつないでくれたような感じで。

ーーホントにそうですね。ふたりでどんな活動をしてたんですか?

佐藤広大:当時はトラック・メイキングなどできないので、できることからやろうと、まずレコード漁り。気に入った歌と出会ったら、併録されているインストゥルメンタル(いわゆるカラオケ)を流しながらオリジナルのメロディと歌詞を作る。で、できたら、そのレコードを持って、「歌わせてください」とクラブ回りをしてたわけです。当時、札幌界隈には歌モノのシーンがなかったので、ヒップホップ・シーンの現場に潜り込ませてもらってました。お客さんが1人とか2人のこともありましたね。

ーーユニット名はJACK POT。ふたりでの未来は描いていましたか?

佐藤広大:夢の話はしてました。たいしたビジョンは描けてなかったですけど、プロになろうという気持ちだけは強くて。

 

ーーオーディションをふたりして受けたのは、20歳くらいのときでしたね。

佐藤広大:言い出したのは僕。お互いのプロフィール写真を撮り合って応募し、札幌での予選では、ふたりともが1万人中の100人くらいに残りました。東京での二次審査も一緒。お金がないから漫画喫茶に泊まって、帰りも池袋から新潟までバスで出て、新潟からフェリーの貧乏旅でした。そのフェリーに乗ったときに、SHOKICHIにだけ二次審査通過の電話がかかってきたんです。

ーーそれは過酷ですね。

佐藤広大:いや、ホント、キツかったです。またフェリーって長いんですよ。到着まで13時間。「おめでとう」って言ってあげたいんですけど、正直悔しい気持ちもあるし、ひょっとして離ればなれになっちゃうのかなという不安もあった。一方で、応援できない自分にすごく苛立ちを覚えてました。とにかくSHOKICHIとは常に一緒だったのが、あの瞬間にすべてが変わってしまった。ふたりでいるのがあんなに苦痛だったのは初めてでした。ホントに地獄の13時間でしたね。

ーーその気持ちはしばらく尾を引きましたか?

佐藤広大:SHOKICHIはJ Soul BrothersからEXILEへと、瞬く間に人気者になっていきました。ライブに何度か行ったりもしたんですが、やっぱり最後までは観ていられなかった。しばらくは彼の活動を応援できなかったです。

 

ーーそこからどう気持ちを切り替えたんですか?

佐藤広大:実は一旦あきらめかけたんです。輝く星の下に生まれたのはSHOKICHIで、僕はそうじゃなかったと自分に暗示をかけるようとしました。大学卒業後は就職して、1年ほどはアパレルで働いてたんです。歌をやめるために、何度かそういうふうに自分を作ろうとしたんです。そのほうが、きっと親も安心するだろうな、なんて思ったりもして。でも、働いていくうちに、やっぱり違う! と思いました。一度きりしかない人生だし、なにより、天国の親友が「歌手になれ」と言ってたその意味もわからないうちに投げだすことはできないなと。退社を申し出て、一度東京に出ようと思ったんです。

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