4thワンマンライブ『お台場で迸るネッサンス!!』インタビュー

アイドルネッサンス運営が語る、これまでとこれから “楽曲の物語性”をどう更新してきたか?

 「名曲ルネッサンス」をコンセプトに活動を繰り広げ、着実にセールスと動員を拡大させてきたアイドルネッサンス。古今の名曲をカバーし、歌とダンスを通して新たな形で表現するパフォーマンスが話題を呼び、人気を広げてきた。

 そんなグループのもう一つのポイントが、結成から毎日YouTubeに公開している動画の数々だ。ミュージックビデオやライブ映像はもちろん、メンバーの日常の姿までつぶさに捉えてきた。

 そこで今回リアルサウンドでは、2014年、ソニー・ミュージックアーティスツ設立40周年を機にグループを始動してから手掛けてきた運営チームの照井紀臣氏、アートディレクションや動画制作を担当する中野潤氏にインタビュー。11月6日にZepp DiverCityにて開催する4thワンマンライブ『お台場で迸るネッサンス!!』を前に、ここ数年のアイドルシーンの変遷から、アイドルネッサンスが行なっている「楽曲の物語性を新たに生み出す」という表現について、じっくりと語ってもらった。(柴 那典)

「次のジャンルを狙うアイドル運営からしたらびっくりしたかも」(中野)

――アイドルネッサンスの始動は2014年ですよね。その時にはどんなビジョンを思い描いていたんでしょうか?

照井:もともと2013年の後半からプロジェクトは始まっていて。その頃にいろんなアイドルさんを観に行ったり、リサーチする中で「新しいことって何だろう?」と考えていたんです。そんな中でオーディションを進めて、今のメンバーに出会いました。どちらかというと派手な感じの子たちというより、クラシカルな子が多かった。高くて元気な声より、落ち着いた声の子たちが沢山いたんです。そんな声の子たちの歌声を様々な側面から確認するためにSMA所属アーティストの曲に課題曲として取り組んでもらいました。そういう中でBase Ball Bearの「17才」を歌ってもらった時に、スタッフ一同「これだ!」ってビビッときたんですね。もともと小出さんの曲や世界観は中学生のメンバーにも合うと思ってたんですけれど、歌った瞬間に「これだな」と感じました。それをきっかけに、まだ誰もやってなかったこととして、往年の名曲をカバーする「名曲ルネッサンス」というコンセプトを考えついて、本格的にスタートしていきました。

アイドルネッサンス「17才」(MV)

――これは僕の持論なんですが、アイドルネッサンスが始動した2013年から2014年にかけては、今から振り返るとアイドルシーンにおける時代の変わり目だったと思うんですね。

照井:そうなんですか?

――その当時『TOKYO IDOL FESTIVAL』の立ち上げ時のプロデューサーだった門澤清太さんにインタビューをしたことがあったんですが、門澤さんは「アイドルがブームではなく文化になった」とおっしゃっていたんです。2010年の「アイドル戦国時代」と言われていた頃にTIFを立ち上げたときは、いつブームが去るか、どのグループが何年続くかもわからなかった。でもそうではなく、持続性を持ったシーンが形成されてきた、と。そういう風に「アイドル戦国時代」の次の段階が2013年から2014年で見え始めたんじゃないかと思うんですね。中野さんはLoGiRLの運営や以前の仕事を含めてアイドルシーンを見てきたわけですが、そのあたりはどう見てらっしゃいますか?

中野:「アイドル戦国時代」と言われたのはももいろクローバーさんのブレイクがきっかけだったと思うんですけど、たしかに最近はもう戦国時代は終わって、その後の段階になっているという認識ですね。とはいっても「戦国時代」と言われていた時に活躍していたアイドルは、今でも頑張っている。明確なターニングポイントが何だったのかは、まだ誰も考察しきれていないと思いますが。

――かつて90年代は「アイドル冬の時代」と言われていましたよね。僕の記憶では、2011年や2012年の頃は、いろんな人が「今のブームが終わったらまた冬の時代がやってくる」と言っていたんです。でも、今の状況はどうやらそうではない。

中野:地方への浸透が大きいかもしれないですね。その頃に地方アイドルが根付いたじゃないですか。

照井:確かにそうですね。NegiccoさんとかDorothy Little Happyさんが全国区になったのもその時期だった。僕はオーディションを担当する部署にいたこともあるので「アイドルブームはもう終わる」とか「いつまでも続かないんじゃないか」という声は、ずっとあったんですよ。2013年に「SMAでアイドルを立ち上げます」って言った時も、「今さら遅い」って声は多かったんです。でも、僕がアイドルを立ち上げる前に現場に行って思ったのは、お客さんの熱量が半端じゃないということ。スポーツの応援みたいに、もはや生活の一部になっているような感じもあった。こういう人たちがいるなら、終わらないんじゃないかと思った。だから、「今さら遅い」という声に自信がなくなることはなかったですね。

――たしかにスポーツでも、90年代初頭は「Jリーグブーム」だったけれど、その後各地にちゃんと定着している。

照井:そうなんですよ。あとは現場の数が多い。一日に何公演も回そうと思えば回せるし、そこでお客さんが交流しようとする感じも含めて、すごく有機的な世界なんだなと思いました。

中野:イベントの数は圧倒的に増えましたよね。2010年と2013年、その3年間でも全然違うと思います。

――僕の感触では2013年から2014年にかけて「アイドル戦国時代」が終わって、その後の今は平和で多様な文化が爛熟した時代がやってきていると思うんです。いわば「アイドル江戸時代」というか。そういう時代に「古今の名曲を歌う」というアイドルネッサンスのコンセプトはうまくハマっているのかもしれない。

照井:なるほど、そうかもしれないですね。

中野:あとは、アイドルが一気に増えて、音楽性もいろんなことがやり尽されたのが、2010年から2013年なのかなって思うんです。次はEDMだとか、次は何かとか、音楽的に奇をてらうアイドルがいっぱいいた。そんな中で、アイドルネッサンスが始めたことは「名曲に立ち返る」というコンセプトだった。次はどのジャンルを狙おうかな? と思ってたアイドル運営からしたら、びっくりしたかもしれないですね。

――なるほど。多様性の時代になっていたからこそ、逆に真ん中が空いていた。

照井:そうなのかもしれないですね。ジャンルを掘るのは途中であきらめたんです。そうなった時に、こういう形でメンバーたちの声に合うものを打ち出していくことが生きる道になるんじゃないか、という考えもありました。

――そこでBase Ball Bearの「17才」がキーになったというのも、アイドルネッサンスの大事な原点ですよね。「名曲ルネッサンス」というコンセプトを掲げた以上、カバーする過去の名曲はたくさんある。昭和の歌謡曲もあるし、90年代のJ-POPもある。そんな中でこの曲がハマった、というのはどういったポイントだったんでしょうか。

照井:まず、いろんなアーティストさんや時代の曲を聴いている中で、うちの事務所の中で課題曲を探していて。当初からBase Ball Bearの世界観はメンバーのバイブレーションに合うんじゃないかなと思っていたんです。まさに青春真っただ中で、良くも悪くも日常的な香りがする子たちだったので、Base Ball Bearの曲に描かれている、青春時代の弾ける雰囲気、加えて葛藤や切ない感情などの部分が似合いそうだと考えました。あとは小出さんが作る曲のフックも大きいですね。で、それを実際にメンバーたちに歌ってもらったら「これだ!」と思いました。

――カバーする対象を、歌謡曲や、80年代、90年代のロックの名曲という風に時代で区切る感覚はなかった?

照井:時代で区切る感覚を持ってしまうと、枠にハマってしまいそうな気がしたんです。それに、今はいつの時代の音楽でも並列に聴けるじゃないですか。たとえば、ザ・フーを聴いた後にTHE BAWDIESを聴くようなことが簡単にできる。だから、歌の持つ普遍的な部分にスポットを当てる方が、幅が広くて面白いと思ったんです。たとえばBase Ball Bearの「17才」を聴いている感覚と、チューリップの「虹とスニーカーの頃」を聴いている感覚は、確かに曲調は違うけれど、相通じるものがある。時代やジャンルにとらわれず選んでいくスタンスにしたいなという考えは最初からありました。そのほうがメンバーも成長できるだろう、と。

――中野さんは、アイドルネッサンスのプロジェクトに関わるにあたって、どういう第一印象を抱きましたか?

中野:コンセプトが出来上がるか出来上がらないかというくらいの頃、「17才」がファーストシングルだと告げられた時は、びっくりしました。課題曲がいろいろあった中でこの曲になったというのは、僕も鮮烈で。まず男性ボーカルの楽曲じゃないですか。アイドルが男性ボーカルの曲をカバーするのはあったと思うんですが、それがファーストシングルで、しかも歌詞も刺激的だった。それに、この子たちが歌うと原曲とは意味が変わる。そういうところも、すごく感銘を受けたし、発明だと思いました。で、ちょうどデザインやアートディレクションをやらせていただくことになったので、照井さんからアイドルネッサンスについての考えを聞いて、白い制服もそこで生まれたんです。

――白というアイディアはどういうところから?

中野:これは「色がない」っていうことですね。

照井:「17才」や「初恋」(村下孝蔵のカバー)や、いろんな曲の中に彼女たちがいるという想定で考えると、色を付けるのが難しい。メンバーのカラーがあったほうがわかりやすいだろうという話も当然あったんですけれど、楽曲によって何色にもなる、見ている人が想像できるという話をしました。

中野:そうですね。そういったカバーに対する考えを聞かなかったら、僕からは生まれなかった発想でした。僕も白にこだわりはあって、とにかく真っ白にしたかった。あの子たちが着ている制服の色は、それぞれのファン、受け手の人たちがそれぞれ好きな色にしてくれればいい、という。

照井:お客さんの想像力が入ってくる余白がほしかったんですね。

7.30@新宿ツアー【「初恋」ライブ映像】アイドルネッサンス

――その後カバーする曲はどんどん増えていったわけですが、そのセレクトはどういう考えに基づいているんですか?

照井:1年目はSMAの曲を引き続きやっていくという方針はありました。ただ、とにかく幅は狭めたくない、いろんなジャンルの曲、いろんな歌い方をしなきゃいけない曲、そういうのを心掛けて選んで、制作陣に選んで歌ってもらっていったんですね。ただ、彼女たちが歌って不自然な歌詞や世界観があるものは泣く泣く削ったりしましたけれど。

――その後はSMA所属アーティスト以外の楽曲もカバーしていますよね。

照井:シングルとしては「Funny Bunny」(the pillows)からですけれど、それ以前から始まってはいました。もともと名曲ルネッサンスのコンセプトとして、時代もジャンルも関係なくカバーしたいという考えがあったんです。そういう時にピチカート・ファイヴのコンピレーションアルバム『アイドルばかりピチカート』の話が来て、そこからSMA縛りではなくなりました。最初は、楽曲を通じてその子たちがいろんな時代に生きる女学生になるような感覚の生まれる曲をイメージしていたんですけれど、1年経って、だんだん彼女たちの表現の幅が広がっていく中で、そのあたりも取り払われて、もっと大きなテーマの曲や、等身大の女の子の曲も歌うようになりました。音楽の時間旅行みたいな感覚で広がっていったんです。それらを踏まえたコンセプトで定期公演をやりだした時の1曲目が、原田真二さんの「タイム・トラベル」。そこから日本のポピュラー音楽史全部が対象になった。そうして今に至っているんですね。

〜5.3@渋谷〜【「タイム・トラベル」ライブ映像】アイドルネッサンス

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