ニューアルバム『レボリューション・レディオ』特別企画

グリーン・デイは日本でどう地位を築いた? 元名物A&R井本氏が明かすバンドの軌跡と現在地

 グリーン・デイのニューアルバム『レボリューション・レディオ』が10月7日、世界同時リリースされた。今作は初期のパンキッシュなサウンドとポップでキャッチーなカラーを維持しつつも、『アメリカン・イディオット』や『21世紀のブレイクダウン』で見せた構築美も兼ね備えた、「これぞグリーン・デイ」という傑作に仕上がっている。奇しくも同じ週にはHi-STANDARDが16年ぶりの新作『ANOTHER STARTING OVER』を無告知で突如リリースしたこともあり、90年代後半にパンクロックを愛聴した者には嬉しい1週間となったのではないだろうか。

 今回リアルサウンドでは、1994年の日本デビュー作『ドゥーキー』から2004年の『アメリカン・イディオット』までA&Rを務め、それ以降はインターナショナル本部の一員として今もグリーン・デイに携わり続けているワーナーミュージック・ジャパンの井本京太郎氏にインタビューを行った。グリーン・デイはここ日本でどのようにして浸透していき、今のような地位を築いたのか。またそのためにどのようなプロモーションを展開していったのか。彼しか知らない貴重なエピソードを交えつつ、バンドがどのような経緯を経て『レボリューション・レディオ』という作品を完成させるに至ったのか、たっぷり語ってもらった。(西廣智一)

「初めて経験するジャンルで、どう宣伝していいかわからなくて」

ーーまずグリーン・デイのメジャーデビューアルバム『ドゥーキー』を日本で出すことが決まったとき、周りの反響はどうだったんですか?

井本:彼らは〈Lookout!〉という向こうのインディーズレーベルから何枚か出していて、『ドゥーキー』もすでに輸入盤のみで発売していたんです。

ーー海外では1994年2月発売、日本盤はそれから4カ月後の6月にリリースされますよね。

井本:そうです。正直なところ、その当時流行っていたロックの文脈とはちょっと違ってたんですよ。メロディックパンクというのは初めて経験するジャンルだったので、我々もどう宣伝していいかわからなくて。実際、いろんな音楽誌に話を持っていっても当たりが弱い。グランジからブリットポップへと流れていく時期だったし、メディア側もこういうパンクロックをどう扱っていいのか正直よくわかっていなかったんだと思います。ところが、意外なことにある男性ファッション誌さんが最初に食いついてくれて。恐らくファッション的にも当時の日本のストリートカルチャーや、のちに対バンすることになるHi-STANDARDさんをはじめとする日本のパンクシーンと通ずるものがあったんでしょう。その後は東京や大阪のラジオ局でも大きく取り上げていただけて、日本のアーティストさんも自身のラジオ番組で毎週かけてくれたりして。僕らが攻めたいと思っていたところとは違うところから、続々とサポーターが出てきたんです。

ーーなるほど。そういえば当時、ライブ・テイクを集めたEP『爆発ライヴ!』シリーズを国内限定でリリースしていましたよね。1作目は1995年3月発売で、初来日よりも1年近く前でした。これは日本のファンに彼らの魅力を知ってもらうために企画したんですか?

井本:その通りです。5万枚ほど売れたのかな。これが起爆剤となって『ドゥーキー』も売れたという、成功した企画盤だったんじゃないでしょうか。普通はバンドがデカくなっていくとこういうのって出させてもらえなくなるんですけど、彼らは日本に対しては非常に協力的で。最後に出したのは2009年の赤坂BLITZ公演を入れたEP(『爆発ライヴ!〜赤坂篇』)。だから、わりと最近のファンは知らないかもしれないですね。ちょっと横道に逸れますけど、『爆発ライヴ!』のタイトルは僕や当時関わっていたスタッフで考えたんですけど、バンドはこのタイトルを知らないんですよ。邦題ってアーティスト本人が知らない、結構アブないものも多くて(笑)。で、2枚目に関してはちょっと面白いエピソードがあって。

「ボーリング、ボーリング、ボーリング、パーキング、パーキング」

ーー初来日公演から晴海での音源が収められた、1996年7月発売の『爆発ライヴ2!〜東京篇』ですね。

井本:そうです。彼らは初来日のとき、まず大阪に到着して2日ぐらいライブをしたんです。あのときはとにかく毎晩毎晩ボーリングばかりで、昼からやってたときもあれば、ライブが終わってから夜中にやるときもあって。そのボーリング場のビルの壁面には、上から「ボーリング、ボーリング、ボーリング、パーキング、パーキング」と各フロアごとに書いてあるんですね。要は2階と3階が駐車場で、4階から6階がボーリング場だったと。それがメンバー的に気に入ったらしく、よく「よっしゃ、あの『ボーリング、ボーリング、ボーリング、パーキング、パーキング』のところに行くか!」と言ってたんです(笑)。

ーー確かにキャッチーですね(笑)。

井本:ええ。それで帰国後に『爆発ライヴ!』の第2弾を作ることになったんです。邦題と一緒に英語のオリジナルタイトルも付けるんですけど、1作目のときはシンプルに『Live Tracks』だったんですね。でも、 2作目のときはオリジナルタイトルがなかなか決まらなくて。現地のスタッフからは「日本で考えた企画なんだから、日本で考えてよ!」と言われて、いろいろ考えて送ったんですけど全部NG。それである日、僕がやけくそになって「じゃあタイトルは「Bowling Bowling Bowling Parking Parking』はどうですか?」と提出したら、たまたま海外のほうでも何か考えなきゃいけないと思ってくれたみたいで、同じ「Bowling Bowling Bowling Parking Parking』というタイトルが上がってきたんですよ(笑)。

ーーメンバーもボーリング場のことを覚えてくれていたんですね。

井本:そうなんですよね。間に入っているレーベルの人たちからは「えっ、あなたたち何か話し合ったの? バンドからも同じタイトルが届いてるよ? このタイトル、なんなの?」と言われて(笑)。結局これに決まったんですよ。さらに、ライナーノーツの右下にそのビルのイラストまで描いて(笑)。

 

ーー(現物を見ながら)えっ、これ井本さんが描いたんですか?

井本:はい(笑)。でもこれには後日談があって。このCDは日本だけで出している商品なので、完成したらアメリカに数十枚送るんですが、中身を見た現地レーベルの人から「変な挿絵が入ってるけど、意味がわからないので外してほしい」と言われてしまって。アルバムタイトルの由来含めて説明したんですけど、結局2ndプレスからこの挿絵は外して、ここの部分は空白なんですよ。しかも『爆発ライヴ2!』は、のちに『爆発ライヴ!+5』(1997年)という作品が出たとき廃盤にしちゃったんです。なのでもうこのアルバムは中古盤でしか手に入らないという。

ーー聞くところによると、最近のビリー・ジョー・アームストロング(Vo, G)のインタビューで、初来日のときにボーリングばかりやってた話が語られていて、そこから「Bowling Bowling Bowling Parking Parking』というタイトルを付けたと言っていたそうですよ。

井本:へえ、すごいなぁ。覚えてるものなんですね(笑)。

ーーちなみに『ドゥーキー』って最終的にどれくらい売れたんですか?

井本:品番を変えて何度も再リリースされているので正確な数字はわからないんですけど、トータルで80万枚は超えたんじゃないですかね。

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