音楽シーンの“90年代復活”は何を意味する? TAKUYA、イエモンらを例にレジーが考える

活性化の呼び水か、世代断絶の象徴か

 「Jポップ」という言葉は、当時開局したばかりだったラジオ局のJ-WAVEにおいて1988年から1989年にかけて誕生したと言われている(烏賀陽弘道『Jポップとは何か』によると、洋楽メインのプログラムを組んでいたJ-WAVEで流してもよい邦楽、というような意味合いだったらしい)。そしてその言葉が音楽産業の拡大とともにより大きな意味を持って浸透していき、広く日本のロック・ポップス全般を指すものとして定着したのが90年代の前半から半ばごろである。その時期を「日本のロック・ポップスの歴史が“Jポップ”として新たに始まったタイミング」と考えると、2010年代のJポップは「ちょうど成人したくらい」の状態と言える。

 「成人式の段階で自らの生まれた時期のことを振り返る」とでも言えそうな90年代の音楽を取り巻く最近のムーブメントは、ここまでのJポップの歴史を伝承するというとても重要な意味を持つ。90年代を知る生き証人たち(しかも今でも素晴らしい作品を出し続けている現役世代)が当時の音楽を生の質感で届けてくれることによって、後続の世代は単に文章やネットの動画で接する以上に説得力のある形でその世界に触れることができる。リアルタイムではない世代にとってこれほど魅力的なことはないし、それによって新しい音楽に対してもこれまでとは違う価値基準を持って接することができるようになるはずである。

 一方で、これらの企画が「リアルタイムでない世代」にどこまで届くのかという点についてはシビアに考える必要もあるかもしれない。前述したTAKUYAのバースデイライブもGRAPEVINEとTRICERATOPSのファーストアルバム再現ライブも当然のことながら客層の中心は(肌感覚ではあるが)30~40代だったし、「若者が新たな世界を発見する」よりも「リアルタイムで聴いていた層が過去の音楽を懐かしむ」取り組みとして受容されている側面は否めない。「一度音楽を離れた層が昔の作品に触れるためにライブに足を運ぶ・音源を買う」という行動が生まれているのであれば素晴らしいことだが、さじ加減を間違えると「オールドファン向けの閉じた企画」になりかねないリスキーな要素もはらんでいる。

 90年代の音を今の時代に甦らせる取り組み(「過去を振り返ることで未来を考える取り組み」とも言えそうである)が連鎖している今の状況が今後のシーンにどんな影響を与えるか、現時点ではまだわからない。「歴史の伝承と価値観のシャッフルを同時に促してリスナーに新たな発見を提示するもの」として機能する可能性もあれば、「過去を振り返る」側面ばかりがフォーカスされることによってその時代の音楽の「懐メロ化」とそれに伴う「世代ごとの断絶」が進む恐れもある。その評価を下すのはしばらく先まで待つ必要があるが、現段階で確実に言えるのは、約20年の歴史を紡いできたJポップという文化は「若者だけの文化」から「老若男女の根底にある文化」として成熟への道をたどっているということである。今後の成熟の過程において「世代ごとに聴く音楽が分かれ、かつそれぞれの良さを認め合わない(あるいは無視する)」というような状況に陥ることも短期的にはあるのかもしれないが、いずれは「若い層が今聴いている音楽の手前に存在していた音楽に敬意を払う」「年配のリスナーが最新の音楽の動向にも関心を持つ」というような時代が来てほしい。今年多方面で行われている90年代を思い起こさせる動きがそんな時代を形作るきっかけとしての役割を果たすのであれば、90年代の音楽を聴いて育った自分としてこんなにうれしいことはない。

■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題に。2013年春にQUICK JAPANへパスピエ『フィーバー』のディスクレビューを寄稿、以降は外部媒体での発信も行っている。

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