柴 那典の新譜キュレーション 第6回

『君の名は。』、『怒り』、『シン・ゴジラ』……音楽と映画の新しい関係を柴那典が考察

鷺巣詩郎『シン・ゴジラ音楽集』

『シン・ゴジラ』予告2

 そして、今年の東宝の快進撃を語る上では外せないのが、傑作『シン・ゴジラ』。これも、やはり音楽の存在感のとても強い映画だった。それを担っていたのが鷺巣詩郎だった。庵野秀明総監督とはエヴァンゲリオン時代からタッグを組むパートナーでもあり、とても記名性の強い作家でもある。そして、映画のヒットが口コミで広がると同時にサントラもオリコンのアルバムランキングで第5位にランクイン。純粋な劇伴のサントラ盤としては異例のヒットとなった。

 アルバムを聴いて特に強い印象を残すのは、予告編にも使用されている「Who will know(24_bigslow)/ 悲劇」。この荘厳で悲劇的な旋律が、ある種、ゴジラの“神聖さ”のようなものを想起させる。素晴らしい一曲だと思う。

 そして、もう一つ『シン・ゴジラ』の音楽の大きな特徴になっているのが、第一作の『ゴジラ』へのオマージュの追求だった。サウンドトラックのライナーノーツによると、今回、鷺巣は伊福部昭の原曲を使用するにあたって「音楽的に一言一句たりとも決して変えない」という大前提で臨んだという。ただ、伊福部曲は半世紀以上前のモノラル音源である。今の時代にそれをそのまま用いると、どうしても浮いてしまう。それを現在にアップデートするため、1小節単位で小数点以下三桁のBPMまで合わせ、アビーロード・スタジオに凄腕のオーケストラを集め、徹底したこだわりの元、楽譜通りに演奏した音源を上にかぶせてステレオ化を試みたのだという。

 ただ、庵野総監督の判断でそれらのステレオ音源は使われず、伊福部曲についてはオリジナル音源をそのまま使用することになった。その判断には賛否両論わかれるところだが、筆者としては、やはりあれだけの情報量が詰められた映画の中でモノラルのレトロな音質の音楽が使われるというのは、(オマージュ的な意味合いでは正しいかもしれないが)音響的な意味での一つの瑕疵となってしまったような気がしてならない。

 サントラでは、9曲目の「ゴジラ登場「メカゴジラの逆襲」 / 脅威」で、両方の音源を聴き比べられるようになっている。「音楽的に一言一句たりとも決して変えない」まま原曲をアップデートした鷺巣の手腕と苦心を考えると、正直、こちらを使用してほしかったという気持ちはある。

牛尾憲輔『聲の形 a shape of light』

映画『聲の形』 本予告

 そしてこちらも、作品性を持ったサウンドトラック。まったく同内容のCDが「映画のキャラクターの絵柄」と「波紋の模様を配したデザイン重視のもの」という2種類のジャケットで発売されたことが、このアルバムが映画『聲の形』のサウンドトラックであり、同時に電子音楽家agraph=牛尾憲輔の新作『a shape of light』であることの象徴でもある。

 小野島大さんのキュレーション原稿(参考:http://realsound.jp/2016/09/post-9284.html)にもある通り、ピアノの鍵盤のタッチや、中でハンマーがきしむ音など、微細な演奏音をあえて収録して空気感に活かした「音響アート作品」としての側面を持つアルバム。様々な媒体に公開されているインタビューなどによると、彼の実家にある古いピアノを演奏し、その中にマイクを配置して録音した音素材を活かして作っていったという。そうしたフィールドレコーディング的な手法と彼得意の清潔なエレクトロニカの音世界がマッチしている。

 そして、やはりインタビューによると、劇中音楽は京都アニメーションの山田尚子監督との共同作業のような形で作られていったようだ。楽曲の必要なシーン一覧のようなものが提示される通常の劇伴制作とは異なり、コンセプトワークのようなものから両者で詰めていったという。

 『聲の形』という聴覚障害をテーマにした映画だけに、「音楽と映画」というよりもむしろ「音響と映画」が深く手を結ぶ作品を目指した、ということなのだろう。

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