宇多田ヒカルの新作『Fantôme』先行レビュー! 多彩なサウンドがもたらす「驚き」について

 プログラミングのドラムもチャーミングな「人生最高の日」は、『Fantôme』の中でも軽やかな楽曲だ。こうした完成度の高いポップスを、宇多田ヒカルはこともなげにさらりと聴かせてしまう。しかも「忘却 featuring KOHH」に続けて、だ。

 『Fantôme』は「桜流し」で幕を閉じる。「桜流し」は、2012年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』テーマソングとしてリリースされた配信シングルだ。また、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』主題歌の「花束を君に」や、日本テレビ系『NEWS ZERO』テーマ曲の「真夏の通り雨」といった配信シングルも『Fantôme』には収録されている。

 こうした近年の配信シングル曲は、繊細なミディアム・ナンバーやバラードだったものの、それらを収録している『Fantôme』というアルバムの蓋を開けてみると、イメージはまるで違う。配信シングル曲は宇多田ヒカルの一側面に過ぎず、この8年ほどの間に宇多田ヒカルが触れてきた音楽はもっと多彩なものであったことは容易に想像がつく。

 『Fantôme』のプロデュースは宇多田ヒカル自身。そして、多くの楽曲のプログラミング、ストリングス・アレンジ、ブラス・アレンジも彼女が手掛けている。宇多田ヒカルが吸収した音楽が、彼女の中で再構築されて、『Fantôme』で宇多田ヒカル自身の手によって表現されていると考えるのが妥当だろう。

 『Fantôme』で写真を担当しているのはジュリアン・ミニョー。パリのサン・マルタン運河の近くにスタジオをかまえる写真家だ。実は私が『Fantôme』に感じたのは、パリの香りだった。さまざまな文化が混在し、それゆえにときにテロの対象にもなってきたパリだ。宇多田ヒカルが現在生活しているのが実際にはどこなのかを私は知らない。しかし、メルティング・ポットであるパリのようなアルバムである『Fantôme』を制作した宇多田ヒカルは、時代性を鋭敏に受け止めながら、それを音楽として表出していると感じたのだ。

 宇多田ヒカルがアーティスト活動の休止を宣言したのは2010年のこと。そこから数えて6年の間に培われたのが『Fantôme』だとすれば、その間の「人間活動」はまったく無駄ではなかったと感じられる。『Fantôme』はそんな説得力を持つアルバムだ。

■宗像明将
1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。近年は時流に押され、趣味の範囲にしておきたかったアイドルに関しての原稿執筆も多い。Twitter

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