太田省一『ジャニーズとテレビ史』第十九回:バレーボールとジャニーズ
Sexy Zone起用は必然? ジャニーズとバレーボールの深い関わり
古い話にもなるが、元々バレーボールは、テレビと結びつきながら発展してきた競技だ。
1964年開催の東京五輪では、女子バレーボールが金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた。決勝戦の視聴率66.8%は、スポーツ中継の最高記録としていまも破られていない。その後女子バレー人気は、1960年代末のドラマ『サインはV』(TBS系)や、今回の応援番組タイトルの元ネタでもあるアニメ『アタックNo.1』(フジテレビ系)の人気で不動のものになっていく。
また男子バレーボールが存在感を得るきっかけは1972年のミュンヘン五輪だった。その本番前から、テレビ番組を通じて男子バレーのプロモーションが行われたのである。いまでこそ当たり前だが、当時としては前代未聞、斬新な試みだった。
その番組は『ミュンヘンへの道』というタイトルだった。アニメとドキュメンタリーを組み合わせて、個々の選手にまつわるエピソードをアニメで描いたり、当時日本男子が編み出した「一人時間差」など新しい攻撃を実演つきで詳しく解説したりする内容だったと記憶する。
それまで男子は女子に比べて注目度も低かった。だが、この番組などが起爆剤となってアイドル的人気を博する選手も生まれ、試合にも大勢の若い女性が詰めかける現象が起きた。
しかもこの番組の放送開始が五輪開催年の春から(毎週番組の最後に「ミュンヘンまであと○日」というカウントダウンのテロップが出た)で、その放送終了直後に始まった五輪本番で男子初の金メダルを獲得する劇的な展開となったため、男子バレー人気は過熱した。
このように、バレーボールとテレビは切っても切り離せない関係にあった。加えて、バレーボールは、日本が敗戦後世界で対等に戦えることをいち早く示したチームスポーツでもあった。つまり、テレビが高度経済成長によってもたらされた物質的豊かさの象徴であったとすれば、バレーボールは五輪という場での国際社会復帰の象徴であった。この二つは、それぞれのかたちで戦後復興を象徴していたのである。
それは、1960年代に野球という同じチームスポーツから始まったジャニーズの歴史を連想させるところがある。ご存知の通り、そこに集まった少年たちから元祖グループである「ジャニーズ」が生まれ、ジャニーズはエンターテインメントへの道を進み始めた。つまり、原点はチームスポーツにある。そしてジャニー喜多川が少年野球チーム結成に至った胸中にも、戦後復興への思いがあったとされる。