『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』発売記念

渡辺淳之介×宗像明将が語り合う、2010年代に音楽で食べていくこと「メジャーを志向しないと上の人には会えない」

 BiSやBiSH、POPなどのプロデューサーで知られる渡辺淳之介氏の自伝『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』が4月28日に上梓された。アイドル界を色々な意味で賑わせたBiSの活動を経て、自身の事務所WACKを設立した渡辺氏について、リアルサウンドで連載『宗像明将の現場批評〜Particular Sight Seeing』を持つ音楽評論家の宗像明将氏が、長時間に渡る取材をもとに執筆した同著。BiSH、POP、サウンドプロデューサーの松隈ケンタへのインタビューや、渡辺とギュウゾウ(電撃ネットワーク)の特別対談などを通して、渡辺の人格が形成された幼少期からビジネスマンとして“成り上がり”を果たした現在まで、活動の“ウラ側“を含めて彼の半生を追った一冊だ。

 今回企画した両氏へのインタビューでは、人気アイドルグループを次々に生み出した渡辺のプロデュース術に加え、アパレル販売などで高い売り上げを残している、独立後の会社経営事情についても話が展開。最終的には宗像氏が「BiSは研究員たちの学び舎だった」と語る、熱のこもった対談となった。(編集部)

「最初は敵を作らないと上手くいかない」(渡辺)

――宗像さんは、渡辺淳之介さんの“ビジネスパーソン”としての強みをどう見ていますか。

宗像明将(以下、宗像):『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』のカバーを取ると、BiSの2011年の予定表が出てくるんですよね。これを見ると2011年4月の中野Heavy Sickの「50キャパで売切れを狙う」など、しっかり達成できている項目が多い。その企画遂行能力がすごいと思うんですよ。もちろん失敗したこともあるけれど、渡辺さんはそれをパブリックにするし、どうして失敗したかという理由を分析してリベンジしている。BiSHの今の勢いってそういうもので生まれてるんだろうなと思いますね。

――宗像さんにとって『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』は初の単著です。その貴重な機会に渡辺さんをテーマとして選んだきっかけは?

宗像:編集者の松原(弘一良(MOBSPROOF))さんに話を持ちかけられたのがきっかけです。持っただけで爆発しそうな「渡辺淳之介」という危険物について本を書かないか、と。条件はひとつだけで、人生に悩んだ高校生が読んで「こんな生き方もあるんだ」と参考にできるような本にしたい、ということだけでした。1週間ぐらい悩んで、渡辺淳之介について書けるのは、彼の5年間を見てきて、かつ一定の距離感がある自分しかいないだろうと決心しました。みんな意外と渡辺さんに不思議な勘違いをしているんですよね。渡辺さんの発言を額面通り受け取りすぎているんです。そんなことも念頭にありました。

渡辺淳之介(以下、渡辺):愛憎入り混じる存在として(笑)。

宗像:本の1行目に「愛憎入り混じる」と書いたのは、渡辺さんに対するポジティブな気持ちも、ネガティブな気持ちもあるからです。それも含めて自分が1回書いてみたいという欲望と謎の自信がありましたね。

――宗像さんに掘り下げられてみて、渡辺さんは生い立ちについて気づいたものはありますか。

渡辺:本当に幼少期の記憶がほとんどないんですよね。友達がたぶん本当にいなかったから、小学校の時の同級生の名前が1人も思い出せないんですよ。たぶん嫌だったんでしょうね、辛かったんだろうなと思いますね。そこで記憶を消してるんです。10歳ぐらいの頃は、30歳ぐらいの自分がバリバリ働いている未来だけは想像していて、早くワープしたかったんですよ。

宗像:当時生きづらさがすごくあったという話は何度も出てきたよね。

渡辺:俺、辛いのによく生きてきたな。

宗像:何で自画自賛になってんの(笑)。

渡辺:この間THE YELLOW MONKEY のライブを見て、ああ、生きててよかったなと思ったんです。今は楽しいんですけど、高校生ぐらいまでは、本当に死にてえなみたいな感じでしたね。

宗像:中学生のときに感情がなかったっていう話を聞いて、ヤバいなと思いましたね。

渡辺:だから、社会人になって働いてからのほうが楽しいんですよ。

――著書では、渡辺さんの生い立ちから、ビジネス的な考え方に大きな影響を受けたという株式会社デートピアの大西輝門社長、つばさレコーズの吉永達世社長との出会いが語られています。渡辺さんが彼らから受けた影響とは。

渡辺:元々、株式会社ビーイングにいた輝門社長からは、いわゆる「ビーイングイズム」を受け継ぎました。先にブレイクしたアーティストから市場を分析して、オリジナリティを加えながら次のヒットをどう作っていくかを勉強させていただきました。輝門社長は直接教えてくれる人ではなかったので、完全に社長の背中を見てパクりました。吉永社長には営業の仕方を学ばせてもらいました。天才的な営業手法で、それも完全に社長の背中を見てパクりました。基本的に僕のやり方は全部人の真似のようなものなので、まずは徹底的に調べるんですよ。例えばももクロ(ももいろクローバーZ)が出ている媒体や行った施策を調べて、自分の中で消化することで新しい企画を考えたりします。

――著書のなかにもありましたが、宗像さんと渡辺さんの出会いは一通のメールなんですよね。

宗像:サブジェクトに「サブカル系アイドルBiSの宣伝をさせてください!」と書いてあって驚いたことは鮮明に記憶しています(笑)。

――BiSはメンバーの脱退もありましたが、一つのビジネスモデルとして分析するとどういったグループだったんでしょうか。

宗像:僕が観たのは結成から3回目の六本木Morph-Tokyoでのライブ(2011年2月27日)だったんですけど、その時にはまさか横浜アリーナで解散ライブをするなんて夢にも思わなかった。最初はまさに異様なものを観たステージでしたね。そこから、2011年の段階で中野Heavy Sick、渋谷WWW、恵比寿リキッドルームでライブをして。そんな渡辺さんのガンガン行くスタイルは傍目から見ていてすごいと感じましたが、まさか(カバーを外したところの)予定表のような真面目な計画を練ってるとは全然知らなかったです。ただ、リキッドルームのライブが終わったあとは、渡辺さんも研究員(BiSファンの総称)も疲れ果てていた印象があります。どこに向かっているのかもわかっていなかったくらいなので。その後、avexからメジャーデビューし、遂にはオリコンベスト10に入るようになったわけですが、渡辺さんは頭の中でどのぐらいプランニングできてたの?

渡辺:何も考えてないですよ。しっかりと考えていたのは最初の1年だけです。それ以降は、ほとんど考えなくても状況が進んでいました。あとは、3年後の日本武道館公演だけを見据えて進んでいたのですが、そこが難しくなり、横浜アリーナ(2014年7月8日BiS解散ライブ『BiSなりの武道館』)を押さえて解散ライブをした最後の半年。このあたりはしっかりとリリース計画も組んでいました。解散ライブを発表しようとしたのは確か2014年の1月ですね。

BiS / nerve(BiSなりの武道館より)

宗像:代々木公園で武道館での解散ライブを発表しようとしてできなかったんですよね。

渡辺:そうです。BiS自体が伸び悩んでいたというか……。BiSが武道館でのライブを断念した原因が「こんなのアイドルじゃない」と言われるようなパフォーマンス(ハグチェキ会、ちゅ~会、全裸MV、ハメ撮り風MVなど)だったんです。そんな事情もあって、グループが訴求する最大公約数自体もだんだん少なくなってきたような気はしていたので、早めに解散バブルで何とかするしかないかなと考えました。

宗像:そういう風に言い切っちゃえるのがすごいですよね。あと、渡辺さんの面白いところは、『GET YOU』(2013年1月発売のシングル)まで予約会をやっていないこと。当時のアイドルのビジネスモデルとしては珍しかった。

渡辺:難しいところですよね。『GET YOU』で予約会を始めたのは、「そろそろ特典入れないと、オリコンTOP10入りは厳しいな」と思ったのが1番だったんですけど。

――「最大公約数」はけっこう重要なワードですが、それを考えるようになったのはBiSが武道館を断念したことが大きかったんですか。

渡辺:そうですね。あんまり敵を作らないほうがいいんだなって思いましたね。

宗像:そりゃそうだね。

渡辺:でも、最初は敵を作らないと上手くいかないんですよ。僕はBiSを1回成仏させて、BiSHでリベンジですよね。ベンチャー企業と一緒で、ちょっとダメになったやつは売却して、新しい技術を使いながらもう一回きれいに始めるっていうスタイルですね。最低だな。

宗像:悪いベンチャー企業の典型だよね(笑)。

渡辺:でもそういうのが、やっぱり賢いやり方。だから、僕はこれ以降もうまく続くかはわからないですけど、万が一BiSHがダメになったとしたら、またダメだった理由をちゃんと考えて、もう一回やるとは思います。

宗像:BiSHとPOP(BiSメンバーのカミヤサキによる新グループ)はCDにしか特典券が付いてないですよね。Tシャツには特典券は付いてこない。なのに、Tシャツがものすごい売れてるというのも面白かった。元研究員だとBiS時代のIDOL Tシャツを着まわせばいいかなって考えたりもするわけですが、清掃員(BiSHファンの総称)はどんどん買うから、すごいなと思うんです。

渡辺:例えば、超メジャーなアーティストも、ロッキン(『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』)のようなロックフェスも、オフィシャルTシャツがめちゃくちゃ売れるわけで。アイドルにおいては普通じゃないかもしれないけど、広い目でみたらいたって普通なんですよ(笑)。ロックバンドのTシャツには、別に何の特典も付いてないでしょ。

――「WACKの売り上げはほとんどアパレルです」と本で語っている通り、アパレル販売は会社の収益を高め、メンバーの収入を安定させた事業です。BiS、BiSHの衣装デザイナーである外林健太さんの名前でブランドを立ち上げるといった構想も文中で話されていましたが。

渡辺:アパレルはいいですよ。CDの場合だと、100万枚売れたら原価率がそりゃあもう死ぬほど低くなるけど、逆にそこまで売れなければ原価率が上がってしまう。でも、アパレルは原価が絶対的に変わらないので、利益を読みやすいんですよ。それに、僕らの時代はHi-STANDARDのTシャツをみんな着ていて、ファンの間で仲間意識が生まれていた。清掃員にもそういう感覚でいてほしいという気持ちもあります。

宗像:清掃員の感覚がロックバンドのファンに近いというのは確かにそうですね。この1年間BiSHを観ていましたが、MIXもコールもやってるし、チェキ会もやっている普通のアイドルであるはずなんだけど、現場の空気がロックバンドのライブのように思えるんです。

――メジャーデビューのタイミングで肩書きの「新生クソアイドル」を取ったのも、そこに通ずることですか。

渡辺:「クソアイドル」って言ってたら売れない感じになっちゃいますからね。

宗像:でも渡辺さん、キャッチコピー好きだから、あれ取ることに頓着はなかったの?

渡辺:ないですね。また新しいキャッチコピーがあればいいかなと。「楽器を持たないパンクバンド」、ゴールデンボンバーみたいで面白くないですか?

宗像:ゴールデンボンバー大好きだもんね、渡辺さん。

渡辺:大好き。『NHK紅白歌合戦』を観て思いましたもんね、これが最大公約数だと。樽美酒(研二)が坊主になったとき、これが世間は面白いんだと。でも、DJ OZMAの裸スーツには批判が殺到するからできなくて、それは最大公約数じゃない。いろいろ勉強になります。

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