月9『ラヴソング』で藤原さくら、新山詩織に楽曲提供 福山雅治の“プロデュース力”を探る

 一方、楽曲制作の自由さとは裏腹に、女性シンガーに求めるハードルは高い。彼がプロデュースを務める場合、歌い手には相応の表現ができるシンガーを、とおそらく決めているはずだ。その証拠にこれまでプロデュースしてきたのは、歌唱力の高さは折り紙つきの実力派ばかり。藤原さくら、新山詩織にしても、新鋭ながら彼女たちの歌声に賛辞を贈る声は多い。

 自らの作り上げた楽曲を、思い描いた通りの形で世に出す。どこまでも理想を追求する。プロデューサー・福山雅治の仕事から見せるのは、そんな完璧主義者の顔だ。

 ともあれ、福山雅治は日本を代表する俳優であり、ミュージシャンだ。音楽の世界、役者の世界、双方に身を置いている立場上、ドラマを盛り上げる楽曲に何がふさわしいかは現場の誰よりも熟知している。しかし、私にはそれすらはじめから福山の“世界観”の中で進行しているように思えてならない。いわば、お釈迦様の手のようなイメージだ。彼の場合、出演を決める段階から、すでに作品の完成形が頭の中に存在しているのではないか。そして、それを完璧に再現するために演者である自分はもちろんのこと、物語に寄り添う音楽にまで完璧にこだわり抜きたいのだ。楽曲プロデュースにとどまらない作品全体への目線が、福山には存在するのである。

 『ガリレオ』ではそれが見事功を奏し、空前の大ヒットに繋がったが、『ラヴソング』にはどう影響するか。福山のプロデューサーとしての真価が問われている。

(文=板橋不死子)

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