『ただひとつの太陽』リリースインタビュー

中田裕二が明かす“シンガー”の矜持「自分はロックシンガーでもシンガーソングライターでもない」

 2015年11月にオリジナル作品としては通算5枚目のアルバム『LIBERTY』を出したばかりの中田裕二が、自身初のCDシングル『ただひとつの太陽』を4月13日にリリースする。彼にとって『LIBERTY』は、シンガーソングライターとしての立ち位置を確立したターニングポイントとも言える内容だった。であれば本シングルは、そこから彼がどのような方向へと進んでいくのかを予想する上でも、非常に重要な作品といえるだろう(なお、初回限定盤には、これまで配信限定でリリースされていた未CD化の6曲を、ボーナストラックとして収録している)。

 ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉(キーボード)や初恋の嵐の隅倉弘至(ベース)、朝倉真司(パーカッション)ら、気心の知れたいつものバンドメンバーに加え、Dr.StrangeLoveの長田進(ギター)をゲストに迎えて制作された表題曲は、意外にもシンプルでソウルフルなアレンジ。2011年に椿屋四重奏を解散し、直後からソロアーティストとしてのキャリアをスタートした彼は、この5年間どのような思いを抱えて走り抜けてきたのだろうか。(黒田隆憲)

「世代を限定しない普遍的なテーマを歌うことが“憧れ”のようになってきた」

ーーアルバム『LIBERTY』は、タイトル通り“シンガーソングライターとしての自由”を高らかに宣言した作品でした。それは、2014年のカバーアルバム『SONG COMPOSITE』を経たからこそ手に入れられたものだと最近のインタビューで話していましたが、その辺りをもう少し詳しく教えて下さい。

中田:『SONG COMPOSITE』を出すまでは、自分のポジションもよく分からないままがむしゃらにやっていたところがあって。「自分はどういうシンガーソングライターとしてやっていきたいか?」というのを、ずっと考えていたんですね。『SONG COMPOSITE』は、カバーアルバムですし、歌い手としか作品には参加してないわけですが、そのおかげで“シンガー”としてのスタンスが明確になったんですよ。自分は、いわゆるロックシンガーでもないし、今時のシンガーソングライターとも少し違う。「どこに落としどころがあるのかな?」という疑問が解決したというか。言葉にするなら、「曲も書ける歌い手」みたいな。そんな存在になりたいのかなと。

ーー「歌謡曲の持つダンディズムを追求したい」とも言っていますよね。ここでいうダンディズムとは?

中田:それぞれのダンディズムがあると思うんですが、何かしら美学や美意識が、その人物や作品から感じられることなのかなと。色んなことを経験してきたこそ、にじみ出るオーラとか...。パッとはわからなくとも、その人の人となりから感じられるもの。そういう、「秘めた魅力」を持っている人や作品は、ダンディですよね。単に、「イタリアンファッションで身を包んだ渋いオトナ」とかそういうのではなく(笑)。

ーーそういう「秘めた魅力」のようなものは、中田さん自身が30代に突入し、歌うべきことを模索した中で気づいたことなのでしょうか。

中田:その通りですね。20代でバンドをやっていたときは、ただ目の前にあるものを歌っていればそれで成立していたのですけど、子供の頃に聴いていた歌謡曲は、もっと何か違うことを歌っていたような気がするし、改めて聴いてもそう思う。一方、自分が30代になったときに、「ロックっていうのは10代や20代がやってこそ、リアリティのある音楽なんじゃないか?」と考えるようになって。子供の頃に聴いていた歌謡曲や、自分の聴いていた90年代の音楽のように、世代を限定しない普遍的なテーマを歌うことが“憧れ”のようになっていきました。自分もそういう、「人生を感じるような音楽」を作っていかなくちゃいけないなと。

ーー歳を重ねて来ればくるほど、多感な時期に聴いたものが自分のルーツとして強く残っているなと感じることはないですか?

中田:ありますね。それはもう、新しい音楽では補えない。だからこそルーツと向き合って、リスペクトを表しつつ、それを消化して、次の世代に伝えていくような音楽を作らなければと。それが自分の仕事だと思います。

ーー単なる懐古主義では決してなく、「歌い継ぐ」ということですね。最近、ファレル・ウィリアムスやブルーノ・マーズ、サム・スミスを気になっているシンガーとして挙げていたのも、その文脈でしょうか。彼らにシンパシーを感じる部分は大きい?

中田:ものすごく大きいですね。海外には、ああいう人たちが認められるシーンがあるということに、とても憧れるし嫉妬を覚えます。サム・スミスやブルーノ・マーズの音楽はすごくシンプルで、楽器も、使う音数も少ない。そして、みんな当たり前のように歌が上手いんです。分かりやすいくらいにルーツを感じさせるのも好感が持てますね。「俺は、これを聴いて育ったんだ。文句あるか?」という意思を、強く感じる。それと比べると、日本は80〜90年代前半あたりとか、海外と互角に張り合えるような人たちがたくさんいた気もするんですが、近年は少なくなってきたように思えてしまいます。

ーー確かに、UAやORIGINAL LOVEがヒットチャートを賑わせていた90年代後半は、メインストリームとアンダーグラウンドが健全に切磋琢磨していましたよね。

中田:そうそう。例えば田島(貴男)さんは、ルーツを掘りまくったシンガーですが、彼は何を歌っても「田島節」になりますよね。コンポーザーとしても、シンガーとしてもすごい力を持ったアーティストだなと憧れていました。僕も2000年から椿屋四重奏を始めたんですけど、その頃に感じていた世間への苛立ちは、今も変わらないですね。むしろ、どんどん悪い方に進んでいるような気がしています。

ーー先ほど「ルーツを感じさせる」という話が出ましたが、自分のルーツとなる音楽を分析したことはありますか?

中田:あります。「このシンセの音色を使うと、あの楽曲の感じが出るのか」とか。ブラコンだったら、「ああ、こういうパーカッションシンセの音が入っているんだな」とか。当時のブラコンを聴くと、どの曲にも入ってる音色があったり。

ーー「夜をこえろ」には、パーカッションが効果的に入っていますね。

中田:あの曲は『太陽にほえろ!』の大野克夫さんや、『ルパン三世』の大野雄二さん、「ダブル大野」なイメージで。お二人ともソウルミュージックの影響をすごく感じますよね。カーティス・メイフィールドみたいな雰囲気の曲を書いている。パーカッションの使い方も、似ている部分があったりするんですよね。ミュートしたドラムの後ろでポコポコ鳴っていて、ベースはちょっと高いところでウネウネ弾いているような。

ーー今作に入っている曲はどれも、前作『LIBERTY』より音数が少なくソリッドになった印象ですよね。そのぶん、ボーカルがグッと前に出てきている。

中田:今まで、自分の音楽って音数がすごく多かったんです。特に椿屋四重奏の頃は、展開が複雑だったりして。そういうのはもう一通りやり尽くしたし、カバーをやりだした頃から「こんなに音、いらないな」と思うようになりましたね。結局、音を積み重ねていくのって、どこかごまかしの部分もあるというか。メロディ、歌詞、音の良さ、それだけでも音楽は成立するし、そろそろそういう音楽で勝負しなきゃいけないんじゃないかって。だから、今後もシンプルにというか、研ぎ澄ましていきたいと思っています。

ーー「音が少なくても自分の音楽や歌は成立するんだ」っていう自信がついてきたこともあります?

中田:それはあります。弾き語りでツアーをやるようになったのが大きいですね。それの評判が良かったことで、自信がついたように思います。

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