「DEAD AT BUDOKAN Returns」ライブレポート

Ken Yokoyamaはなぜ8年ぶりの武道館で「語り続けた」のか? 石井恵梨子がその理由を探る

Photo by Jon

 そう、今の横山が掲げるシリアスな問いの数々は、重苦しいのではなく、熱苦しいという言葉に尽きる。それまで自分のことを歌っていた人が突然シーンや国家や戦争について言及しだすのは「世相を反映した閉塞感が…」というレベルの話ではないだろう。言わなくていいこと、やらなくてもいいことを積極的に選び取るエネルギー。それが誰かを不快にさせるかもしれないと配慮せず、じゃあなぜこれをやるのかと熱弁するバイタリティ。そういう熱苦しさに対して、人は敬遠するか巻き込まれるかのどちらかだが、今回の武道館も即日完売だったようにファンのほとんどは彼の熱量に巻き込まれていった。なぜか。教育が上手かったからだ。教育という言葉が悪ければ、伝え方、教え方、考えさせ方が上手かった。この日のセットリストにもそれが如実に表れている。

横山健(Vo、Gu)/Photo by Jon Hidenori Minami(Gu)/Photo by Jon

 これぞケニー節と言いたい「Maybe Maybe」を皮切りに、極上のパンクロックが続いたオープニングとMCで大きく雰囲気を変え、最新作のロックンロール・モードに切り替えた前半の流れ。これだけで〈メロディックからグレッチへ〉という最新アルバムの音楽的テーマはほぼ網羅できるわけだが、そのタームの終わりに自分の人生を綴った「Yellow Trash Blues」を持ってくることで、次のテーマとして〈では横山健の人生とは〉が浮かんでくる。客からリクエストを受ける形だったが、おそらく曲はこれしかないと決まっていたのだろう。ソロ一作目から「Running On The Winding Road」、ハイ・スタンダードの「Stay Gold」、そして「I Won’t Turn Off My Radio」と続く流れはゾクゾクするほど鮮やかだった。どれも名曲中の名曲だが背景が大きく違う。「〜Winding Road」は不安を抱えつつ一人で歩き出した時期であり、「Stay Gold」は言うまでもなくハイスタ絶頂期の象徴。そして「〜Radio」は現在の代表曲、『Mステ』でも披露された今の橫山のリアルな声である。振り切ったはずの過去は今も生きている。それどころか今にありがたく繋がっている。すべてが一直線上で、ここからまだ進める。そんな己のキャリアを「〜Radio」に集約させたあとは、〈そのために俺は何を信じてきたか〉〈どう行動したか〉という結論が次々と発表されていく。むろんここはMCの説明じゃない。「Punk Rock Dream」「Believer」、さらには「We Are Fuckin’ One」や「Rickye Punks III」などのナンバーが、横山の生き方考え方を雄弁に語ってくれるのだ。なぜここでこの曲なのか。ここで何を考えるべきか。本人の説明がなくとも、ファンひとりひとりにそれは伝わったはずである。

Jun Gray(Ba)/Photo by Jon 松浦 英治(Dr)/Photo by Teppei Kishida

 わかりやすい間口から、明るくさりげなくテーマを変えて、多角的に考えさせ、答えを確認させる。その流れの作り方が本当にクレヴァーだと改めて感服した。英詞だと何を言ってるかわからないと言う邦ロックファンの感覚は、この場においては皆無だったはず。何度も「一緒に歌ってくれ」とマイクを向ける横山は、全ファンが歌詞の内容と意味を完全に把握していると信じきっている。そのためにコラムで、インタビューで、ラジオやテレビも使って積極的な発信を続けてきた。なんとか歌詞カードに目を向けさせ、そのあとは自分たちの頭で考えさせるようリスナーを教育し続けてきたのだ。だからこそ、メインのシンガーが一万人のファンという形になった「Believer」は本編ラストに相応しい美しさだった。もちろん8年前にもこの曲はあったが、当時とは歌声の大きさが違う。それぞれの理解の深さと覚悟がまったく違う。そこが何よりも美しかった。

 この武道館がおそらく最後。そんな本人のコメントが「引退示唆か?」と騒動になってしまった今回の武道館公演だが、まだまだ、横山にはやることがあるし、やりたいこともあるだろう。大丈夫、これだけ立派なファンに支えられているアーティストはそうそういるものじゃない。横山がパンクスであることに誇りを持っているように、彼のファンは、横山を信じ横山に付いていくことが誇りなのだ。対話は、これからも、続く。

Photo by Yuji Honda

(文=石井恵梨子)

■オフィシャルサイト
http://kenyokoyama.com/

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