デヴィッド・ボウイは“文系ロック”の頂点だった 市川哲史が70〜80年代の洋楽文化ともに回顧
MVブームが来航するまで、日本人洋楽リスナーはとにかく情報に飢えていた。
70年代後半になって多少マシにはなったものの、来日公演など夢のまた夢。それこそ『ミュージックライフ』に掲載された僅かな写真と薄い記事さえも、貴重な蜘蛛の糸だった。なので頼れるのは、己れの妄想力のみ!――とにかくレコードを聴きこみ、歌詞を読みこみ、ジャケットを眺め倒し、インタヴューを深読みして、自分の想い入れだけで一からアーティスト像を創造するしかなかったのだ。
やがて我田引水系の『ロッキング・オン』やら文化人類学系『ニューミュージックマガジン』など、情報源となる洋楽誌が田舎町の書店にも並び始めると、我々リスナーの妄想熱は高まる一途。するとアーティストと作品のみならず、その精神的背景にまで探究心が向かざるをえない。時事・哲学・文学・映画・音楽・アート・演劇・ポップカルチャー。ウィキなどない時代なので、ひたすら自分で調べて探して実践するしかない。まさに〈自力で培った妄想力〉が、洋楽ロックを支える生命線に他ならなかったのである。
極東の島国だけだよなあ、こんなガラパゴス・カルチャーが生まれるのは。
そしてそんな我々の妄想がそのまま具体化したとしか思えないほど、妄想を最も真正面から受け止めてくれたのが、デヴィッド・ボウイその人だ。
リンゼイ・ケンプやジョージ・オーウェルやウィリアム・バロウズや山本寛斉に片っ端から影響受けたり、〈星くずロックスター〉やら〈宇宙飛行士〉やら〈犬〉やら〈痩せこけた公爵〉やらを演じたり、地球に落ちてきたり戦場で接吻したり、「白人はブラック・ミュージックをどこまで体現できるのか」に命賭けたかと思えば「僕は欧州人だから」と絶望したりと、素敵な妄想どころが無尽蔵なのだからたまらない。
各アルバムの創作動機や作品間の脈絡も妄想のしがいがあるし、加えてグラマラスな美形ナイーヴ英国人でバイセクシャルという〈実写版70年代少女漫画キャラ〉は、ロック文学少女たちの大好物そのものでもあった。
たぶん《日本製デヴィッド・ボウイ》が、世界でいちばん恰好よかったのである。
しかしいま思えば、MTVの普及で洋楽ロックそのものがオープンになった途端に、ボウイは〈普通のアーティスト〉に落ち着いちゃった憶えがある。その後の作品がオーディナリーな方向に走ったことも含め、ボウイ的な美学の結界が解けてしまったのだ。
そしてボウイに限らず、洋楽ロックから〈頭でっかちな聴き方〉が失われた歴史的瞬間が80年代だったのかもしれない。
さよなら文系ロック。
Video killed the cult star.