『Hey! Say! JUMP 9つのトビラが開くとき』インタビュー
Hey! Say! JUMPの知られざる苦悩の日々ーー彼らの軌跡を追った書籍の著者インタビュー
波が来ては溜め息に変わっていた、あの頃
――ファンが会議を?
田幸:もっと売れてほしい、もっと人気が出てほしい。そう願うファンたちは、妄想プロデュースをする人が多いですね。私もその一人ですが、まさかこんな形で勢いにのるとはビックリしました。
――それほどファンの中に危機感があったということですか。
田幸:そうですね。彼らの歴史って、「波が来てるんじゃないか」と思った次の瞬間に、いつも何かしらの事件があるんですよ。NYCとのメンバー兼任では、みんないい子で誰も悪くないのに、ファンが複雑な気持ちになってしまう展開になってしまいました。また、最年少メンバーのスキャンダルも、その背景を考えるとすごく可哀想でしたね。
――JUMPには“苦労をせずにデビューした勝ち組グループ”という印象もありましたが。
田幸:華々しくデビューした当時はそうだったかもしれません。でも、一方で「エリート」「温室育ち」「お気に入り」と言われ、同じジャニーズファンからも叩かれたくらい。どこにいってもアウェイな状況が続いていました。それに対して、彼らはただただ受け入れていて、その悔しさを努力に注いで、本当に美しいグループなんです。
――とても忍耐強い?
田幸:はい。ジャニーズでは、Jr.時代に結成されたグループのままデビューするほうが、圧倒的に少ないんですが、それでもここまでキャリアの違うメンバーを寄せ集めて作られたグループは珍しいです。さらに人数が多いということで、かなりギクシャクはしていたはず。5人くらいの人数であれば、1人くらいキラ星のごとくローキャリアのメンバーが入っても収束しやすいんですが、JUMPはその倍はいましたから。しかも幼かったため、話し合いなどもなかなかできなかったことでしょう。本当に大変だったと思います。デビューしたばかりのころのメイキングを見ると、電車の座り具合でまだ心を許してない感じや、コミュニケーションがまだぎこちない感じなのも、見て取れるほどです。
――センター交替というセンシティブな出来事も、取り上げられていますね。
田幸:今でこそ、山田涼介さんと中島裕翔さんが雑誌などの対談で、当時の思いを語り合えるようにはなりましたが、それもごく最近のこと。数年間は話題にするのも気が引ける展開でした。そういう意味では、中島さんはそこをよく踏ん張ってくれたなと思います。他のグループでも、あるメンバーが急に人気が上昇しても、センターを交替してきたかというと、そうではないですから。そんな前例のほとんどない中で腐ってしまったり、脱退してしまったりせずに頑張ってくれたのが、本当によかったです。薮宏太さん、八乙女光さんが精神的支柱になってくれていたんじゃないかなと思います。
――一方で、山田さん自身も悩み多き日々を送られていたようですね。
田幸:山田さんの人気が独り歩きしてしまい、山田さんとその仲間たちというポジションがしばらく続いていました。なので、ソロデビューもメンバーたちは背中を押してくれていましたが、ファン心理としては複雑なところもあって。本当はみんなで「おめでとう」って言えたらよかったのですが、当時のJUMPの状況からしたら、心の底から言えないもどかしさがあったんです。舞台『ジャニーズ・ワールド』のプレッシャーもすごくのしかかっていて、そういうときにこそ山田さんは光り輝く人ではあるんですけれど、壊れてしまうんじゃないかって、見ていて辛かったですね。
――そんな山田さんのパートナーとして知念侑李さんにも注目していますね。
田幸:知念さんのプロ意識というか、努力は山田さんをはじめ、いつもグループにいい影響を与えていたと思いますね。彼は、雑誌やラジオなど、表に出すものを徹底的にクオリティーコントロールしているように見えます。大人度が非常に高いんですよね。デビュー当時、いちばん天使のような美少年だったのに、見事に大人の男性へと成長を遂げたのは、本当に見事です。あんなにかわいらしかったのに、今ではいちばん男らしいんじゃないかと思うくらいです。
――有岡大貴さんの知られざる戦いを追った章は、愛情を感じました。
田幸:有岡さんに関しては、「永遠の少年」「常に元気」と表現されることが多く、すごく性格が良さそうだなと見ていました。でも、正直なところ深みを感じることが少なかったんです。ただ今回、軌跡を追っていく中で、グループのためにどれだけ彼が、水面下で人と人とをつなぎ、一生懸命戦っていたのかを知り、グッとくるものがありました。振り返ってみると、JUMPの危機を支えていたのは、有岡さんだったんだというのがわかると思います。