見事なまでに〈100%筋少〉ーー市川哲史が筋肉少女帯『おまけのいちにち(闘いの日々)』を聴く

 さて筋少17枚目のニューアルバム『おまけのいちにち(闘いの日々)』に話を戻す。なんかもうパッケージから中身から全てが、絵に描いたような筋少イディオムだった。「球体関節人形の夜」とか「枕投げ営業」とか「おわかりいただけただろうか」は大槻十八番の一発ギャグ、もとい巧妙な〈ワンフレーズ・コンセプト〉だ。

 いまさらながらのJポップへの反乱ソング「時は来た」は、さすがの饒舌なアジテーションが聴かせる。タイトルがスベってるのは故意なのだろう。きっと。

 若い世代が馴染み薄い固有名詞を散々並べといて、最後に「古い例えだ 検索各々で」で済ませた「混ぜるな危険」には、私も激しく賛同する。サビがマジンガーZに似てるのはどうかと思うが。

 また昭和を代表する刑事ドラマから、『大都会』と『特捜最前線』のテーマ曲が各々カヴァーされている。前者は銃弾撃ちまくりの石原プロ作品、後者は年に一度撃つか撃たないかの超ペシミスティック群像劇なだけに、一緒の括りには違和感あるが後者の「私だけの十字架」が名曲なので許す。大槻の唄がかなり台無しにしてもなお、まだ素晴らしいということはまさに〈真の名曲〉なのだ。

 それにしても大槻のヴォーカルは2006年の筋少活動再開以降、より劣化しているのではないか。年々。いつだったか、大槻作詞のももクロ「労働讃歌」を筋少がセルフカヴァーしたライヴ映像が、その怒濤のメタルアレンジにネット上で大絶賛されていたが、ナゴム時代を彷彿させる歌唱力に死にそうになったのは私だけではあるまい。

 というわけで〈200%筋少〉でも〈101%筋少〉でもなく、見事なまでに〈100%筋少〉な新譜だ。相変わらずの怒濤のバンド・アンサンブルを相変わらず邪魔するように、大槻が相変わらずのスカラムーシュぶりを発揮しており、私は安心してしまった。

 いまや方法論の成熟度や経験値に関係なく、誰でも自己表現をお手軽にできる時代なだけに、ピンポイントなマニア性や秀逸な初期衝動に驚かされる場面も珍しくなくなった。それだけに焦って最前線の、しかも初見の土俵に立って無理して勝負しても何のメリットもないだろう。そもそもその土俵自体が明日をも知れぬ脆弱なものっぽいのに、無理して知ったかぶる必要ないではないか。

 幸い、大槻ケンヂは万年思春期の少女たちを長きにわたって謀ってきた、稀代のスカラムーシュだ。その口車さえ健在ならば、筋少もまた健在。だから今後も、毎回毎回〈100%筋少〉でいいのだ。

 あ、老婆心ながら〈100%筋少〉を、小母方晴子ちゃん《博士論文コピペ》とか佐野研二郎《なんでもトレース》と一緒にしてもらっては困る。だって大槻と筋少は自分自身の再生産で、しかも人力でコピペとトレースしてるのだから。

 ちなみに私も今回、15年ほど前に書いた自分の原稿から一部、コピペ&トレースしているぞ。加筆修正という人力が働いてるのだから、文句はあるまい?

 再生産万歳。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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