『学校へ行こう!』復活に見るV6の魅力、そしてジャニーズ史における番組の意義

 さらに言うなら、この『学校へ行こう!』は、ジャニーズとテレビ史というより大きな観点からも記憶されるべき番組である。

 1970年代後半、停滞期にあったジャニーズ事務所に再び勢いをもたらしたのが、たのきんトリオの三人、田原俊彦、近藤真彦、野村義男である。その人気に火がついたきっかけは、1979年に始まった『3年B組金八先生』(TBS系)への生徒役での出演だった。つまり、歌番組ではなく学園ドラマによって、現在のジャニーズ隆盛の礎は築かれたのである。

 それ以降、1980年代にはジャニーズの人気者は学園ドラマから、というパターンが確立した。金八先生第2シリーズ(1980年)のひかる一平、『2年B組仙八先生』(TBS系、1981年)のシブがき隊の三人(布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英)、金八先生第3シリーズ(1988年)の長野博、森且行などである。

 こうしてジャニーズ出演の学園ドラマを年代順に見ていくと行き当たるのが、1991年放送の月9『学校へ行こう!』(フジテレビ系)である。金八先生を思わせる熱血教師役に扮したのが浅野ゆう子。そして生徒役として、CDデビュー直前のSMAP中居正広と稲垣吾郎が出演していた。

 だが中居正広と稲垣吾郎、あるいはSMAPは、たのきんトリオのようにこのドラマ出演をきっかけに一気に人気沸騰とはいかなかった。それは本人たちの問題ではなく、ちょうど学園ドラマというジャンルが大きな転換期にあったからだ。

 1990年前後に大型歌番組が次々と終了したことはこの連載でも前にふれたが、同時にこの時期は学園ドラマのトレンドの変わり目でもあった。この頃を境にして、熱血教師を中心にした王道の青春ものではなく、現実離れした設定や過激なストーリー展開を前面に出したものが学園ドラマの主流になっていく。例えばジャニーズが生徒役で出演した作品に限ってみても、1990年代にはいじめ問題をモチーフにした野島伸司脚本、KinKi Kids出演の『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』(TBS系、1994年)、さらに2000年代に入ってからは、『ごくせん』の第1~第3シリーズ(日本テレビ系、2002~08年)、『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系、2005年)、『花より男子』(TBS系、2005年)、『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』(日本テレビ系、2006年)などがあった。

 V6の『学校へ行こう!』は、そうした学園ドラマの路線変更とともに、ジャニーズが人気者になるきっかけが学園ドラマからバラエティへと移り始めた時代、SMAPが先鞭をつけたその道をより確かなものにする大切な役割を果たした。だからこの番組がドラマ『学校へ行こう!』と全く同じタイトルであったことには、不思議な歴史的因縁を感じてしまう。また「未成年の主張」が、『人間・失格』に続く、いわゆる「TBS野島三部作」の最終作『未成年』(TBS系、1995年)に触発されて生まれたコーナーであることも、同時に思い出されるのである。

■太田省一
1960年生まれ。社会学者。テレビとその周辺(アイドル、お笑いなど)に関することが現在の主な執筆テーマ。著書に『中居正広という生き方』『社会は笑う・増補版』(以上、青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』『アイドル進化論』(以上、筑摩書房)。WEBRONZAにて「ネット動画の風景」を連載中。

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